見出し画像

自分の無意識な偏見に気づきたい

無意識のうちに誰かを差別したり、偏見を持ったりしていないか、不安で仕方ないです。書く仕事を始めてから、今まで以上に自分の無意識に気を配るようになりました。

ただ、無意識のことを意識することは難しく、どうやったら自分の中の差別意識や偏見に気がつけるか、今は模索している段階です。


「あの人たち」って呼んでしまう時。

1つ試していることとして、「あの人たち」という言葉を使うことに気をつけてみ始めています。

例えば、障害を持った方々に対して「あの人たちにどう接していいかわからない」と言ったり、外国から来た方々のことを「あの人たちはそういう文化だから」と決めつけたり。

「あの人たち」にアンテナを立てていろんなシチュエーションを振り返ってみると、「あの人たち」と言っているときは、私は相手のことをよく知らないのに、わかったふりをしているときなんじゃないかと思えたんです。

「よく知らないのに分かったふりをしている」。そんな自分を自分で好きになれそうにありません。

この悩みを抱えて何人かの方に相談させていただいた結果……まずは、名前で呼べる人を増やしてみることにしました。

「失礼ですが、お名前を伺ってもいいですか」「何て呼べばいいですか」と、名前を聞く習慣をつけるようにしたんです。

不思議なことに、名前をきっかけに、相手への興味が無意識に湧いてくるようになりました。名前を知るということは、私にとって、相手を一個人として認識することにつながっているようでした。


小さな一歩になった、ような。

名前だけでは、相手がどんな環境で育ち、何に興味を持ち、どんな価値観を大切にしているのか、その人の背景にあるものまではわかりません。名前を知っている相手が増え始めてから「名前も知らない人に対して、わかったようなことは言えない」と自戒できるようになりました。

自分の中の差別意識や偏見に気がつけるようになりたい。目標への一歩目は、踏み出せたかもしれません。

正直なところ、知らないことを認めるのは勇気のいることです。でも、「知らない」と素直に言えたら、もしかしたら、相手のことを教えてもらえるチャンスになるかもしれません。恥ずかしがらずに、「知らない」と言える関係性を築いていけたらいいなと思います。


一緒に考え、成長していきたい

この記事は、あくまで私の個人的な経験から出発しています。でも、ここで投げかけた問題は、私一人で答えの出せるものではありません。

もしこの記事を読んで、何か感じるところがあったら、ぜひ教えてください。

「私もこんな経験をしたことがある」

「こういう考え方もあるんじゃないかな」

「いや、それは逆に失礼だよ」

などなど、みなさんの意見を聞かせていただけたら嬉しいです。

このnoteにも、匿名でメッセージを送れる「マシュマロ」機能をくっつけました。よければ、ご意見を送ってください。

自分の意見と合っても合わなくても、一人ひとりの声に耳を傾け、理解を深めていきたいなと思っています。

完璧な答えはすぐには見つからないかもしれません。それでも、ゆっくりと対話を重ねながら近づいていけたらいいなと思います。

▼マシュマロではコメント・感想も大歓迎です!


この記事が参加している募集

SDGsへの向き合い方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?