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「はじめまして、咲吾です。僕はこんな人です。」〜大学中退に至るまで〜

はじめまして、咲吾(さくご)と申します!

学生の頃は自分のことをよく発信していたのですが、
最近はあまり自分語りをしなくなりました。

どんな過去なの?って聞かれることが多くなったので、
この機会にバンバン自分を語っていきます!

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3000g超の元気な元気な赤ん坊でした
ザ末っ子のような性格で自由気まま、我が道をいくタイプ。
もしかすると何にも変わっていないかもしれません。。。(笑)

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今は趣味は特にないのですが、大学生の時は割と趣味がありました!
海を眺めることとたこ焼きを作ることも趣味かもしれないです。
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現在、女性の自尊心に寄り添うブランドをメイン事業として行っているので、この話をすると驚かれるのですが、大学進学の理由は教師になることでした。

大学3年目の頃はNPO法人Teach For Japan様にて3ヶ月間インターンをしておりました。経済格差が教育格差に比例している現実に真っ向から立ち向かっている団体です。ぜひHPをご覧ください。==================================================

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これから、クラウドファンディングを成功させた実績をもとにクラファンコンサルとブランド支援をします!

そして、死ぬまでに「夢を語れる街」を創るという夢に近づくべく動きます!

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【咲吾の人生時系列】

ここからは長文となりますので、お手隙の際に少しずつ読むことをお勧めします。

時系列

【一人遊びの天才時期】


小学校低学年の時は一人で遊ぶことが多く、1人ヒーロー対戦や一人で球を蹴っていることがしばしば。熱中すると周りからどう思われようと構わず遊んでいました。

苦手なことから遠ざかりひたすら蹴ることばかりしていたため、サッカーの試合では出る機会が少なく、5、6年時だと全くと言っていいほど出た記憶がないです。 

小学校の時の良い記憶といえば、小学校4年の時に取った書き初め金賞とか100マス計算が早くなり算数のテストを高得点取れていた等勉強に関することくらいです。。。

そんなこんなで真面目に育った僕は、兄弟がやんちゃしていたのに対し、反面教師として育ちあまのじゃく真面目ボーイとして育ったと自分では信じてます。

【さっさといじめのループから抜け出した中学生】


中学時代は、サッカー部とサッカークラブに所属し、ひたすら走る部活動の練習後にクラブ活動で考えるサッカーという今の自分から考えると凄い鬼畜な生活を送っていました。 

そんな生活だったからか、中学2年生では1個上の試合に出たり、キーパーでバンバン止めたり小学生の頃よりかは成果を出してました。

中学生活を思い返すと、サッカーとひたすら寝ていた授業の記憶があります。

おそらく僕の性格が良い方向へ向かっているのだと思うのですが、
超マイペースのめんどくさがりやだったので、いじめのループが始まり、恐怖に怯えていた僕は自ら1人になり、昼休みみんなで遊びに行くのを横目に速攻、横になれるフリースペースへ向かっていました。

すると面白いことに最初は1人だけだったのですが、
同じような考えの友達が集まり、グループが生まれたんです。

【ターニングポイントはオーストラリア】

中学サッカー引退後、兄の通っていた国際色豊かな高校に進学し英語とサッカーに力を入れました。サッカーでは結果は出ませんでしたが、ホストファミリーとして留学生を受け入れ、異文化に触れる経験をしました。

この経験が役に立ったのは高校3年生の夏休みを利用し行ったオーストラリアへの交換留学です。サッカーへの不満が夏休み前に爆発し、急遽留学したいと考え、当時よくしていただいていた先生が留学斡旋の担当だったこともありコフスハーバーというオーストラリアの田舎町へ留学できました。

オーストラリアの良い記憶。それは「サッカー」でした。

 オーストラリアは日本と季節が逆転しており現地では冬です。
寒ければ室内でフットサルをするのはオーストラリアでも同じようで、しょっちゅうフットサルをしていました。 

そんなある日、体育の先生からお誘いがありました。

 『学区対抗フットサル大会があるんだけどどう?』
答えはもちろんイエス! 

胸を躍らせながら片道2時間ほどバスに揺られ会場へ向かうとめちゃめちゃ大勢の学生が集まってました。

 試合数は8試合ほどと日本では考えられない試合数を1日でこなさなければならなく、案の定、午後は足がつって動けませんでしたが、僕たちの学校はなんと準優勝を納めることができました。

この日のみならず他にも社会人チームのメンバーとして練習試合に出たりとサッカーを諦めたはずでしたが、サッカーにたくさん触れた留学となりました。

ですが、、、正直に申しますと、この留学はイメージと大きくギャップがあり「つまらない」と感じちゃってました。

ただその反面、得られたものは『自分と向き合えた』ことです。

自分がこの先どうして行きたいか。何になりたいか。その為には何をしなければならないかを考える良い機会となり、この経験が今の自分を作っているといっても過言ではありません。

【外語大学進学、選ばれたのは神田でした】

留学から帰ってきて、留学前は大学を考えていなかったのですが、急遽大学進学を決意しました。とは言っても大学選びもよくわからず、ネットで"英語""サッカー""大学"という好きなことを並べて検索すると神田外語大学の英語でサッカーを教えるプロジェクトがヒットし勢いで志望!

一般では学力的に厳しいとのことで自己推薦で挑むことにしました。
小論文の書き方、面接練習、時事ニュース収集をして受験すると

なんと!合格!

自己推薦対策と同時にフットサルをまたやりたいと思い地元にできたフットサルチームに行きました。 最初はコーチとして見学していたのですが、年齢的にはギリギリ選手として参加できるとのことで選手として参加してみることに!能力的には劣っていたもののフットサルU-18富山県代表に選ばれ東京で開催された全国大会に出場しました。

ディズニー楽しかったな。。。(笑)

大学1年生の時はサッカー部に所属しサッカーとバイトと彼女作りに励むことにし、大学初となるバイトは大学近くにあるたこ焼き屋を選びました。

入学早々、いわゆる5月病と言われるもので

友達と呼べる人がいない。。。大学に通う意味がよくわからなくなってしまった。。。と考える日々を2ヶ月ほど過ごしました。

その後、話の合う友達ができ、良い先輩に恵まれ授業にも集中できるようになりつつも思い立っていたことがあります。

【海外でサッカーしたい】

海外に行くならサッカーで挑戦しに行きたい!

これは入学前から思っていたことでしたが、あまり浮き沈みのない生活をしているとなおさら考えるようになり。

『思い立ったが吉日』僕の力の源にもなっている言葉を信じ、即行動!Twitterを使って海外で活躍する選手に聞いてみると同じく海外でプレーしたいという学生選手に繋いでいただけて連絡を取ってみることにしました。

話はトントン拍子で進み、2年目には大学を休学し、ニュージーランドへ飛び立ちました。

【ニュージーランドで悩みに悩んだ1年間】

当初の目的はサッカーを中心に生活してみることでした。。。
ですが滞在中に幾度と考えが変わり、大学を退学し永住VISAを取ることも考えました。

常に悩み事があり、チームを決めたかと思えば、次にバイト先を探さなければならず、プライベートも充実させたい。。。色々考えたし、人ともお会いさせていただき、そこで感じたものはいつも周りの人から影響をとても受けているなと。

チャレンジをすることはできる。けれどもチャレンジ精神を持続させることができていなかったんです。思うように生計を立てられていないというストレスがあったにしろ、途中グダグダしていたのは言い訳のしようがないです。

そんな僕にとって大きなチャレンジをしました。

シーズンが終わり、サマーシーズン(冬のシーズンが終わり、夏はオークランドシティ等 有名なチームのリーグが始まる)のチームを探さなければならなくなり、当時の年齢が19歳だったため、ユースチームでも入団できることがわかりました。

サマーでプレーできたら中にはプロ契約の選手もいて、夢があります。
どうしても入団したかった僕は、北海道から九州くらいまでの距離があるチームまで弾丸でセレクションを受けに行きました。
(メールは送ってはいたが返信なし)

緊張で心臓がバクバクだった僕をチームはセレクション参加を受け入れてくれ、思う存分楽しみました。

うまい選手がたくさんいましたが、手応えを感じていたのですが、結果は不合格。結果の出ない8ヶ月間だったがサッカーと向き合った期間でした。

最後にニュージーランドを寝袋とテントを持って周り日本ではなかなか味わえない体験をしました。最後に貴重品以外の荷物を盗まれ帰国したというなはなかなかいいオチだと今でも思ってます。。。

【ビジネスと向き合い始めた原点】

帰国後、大学が始まるまで5ヶ月ほど空いたので、何か将来の役に立つことをしたいと思い、就職した後、何が役に立つか?→『副業』と考え転売ビジネスから始めようとしていた時に祖父母が転売のツールを買ったと聞き、やってみることにしました。

ツールを使っても全く稼げませんでした。

【初めて自分の力でお金を稼いだ経験】

大学復学まで時間があったので、東京タワーにあるワンピースタワーで働いておりました。そこでの限定商品や割安商品を転売することできるんじゃないかと思って、メルカリに出品するとなかなか売れることがわかりました。

さらにツイッターと連動させ定期的に流すとファンがつくこともわかり、初めての副業は楽しみながらそこそこ売れて成功となりました。

やまない向上心を持つリトル咲吾はもっともっと面白いことをやりたいと考え、SNSを利用して様々な人とお会いしました。

ネットワーカー、飲食店経営者、投資家、ビジネススクール、他大学生。。。 そういう人たちとお話しすると起業という言葉がなんども流れ、いつしかニュージーランドで感じた課題を問題視していくようになりました。

【全くノウハウがない状態でイベントを開催してみた】

何か変わったことをしたい!将来のために学びたい!という想いから4月からビジネススクールへ通い、5月にも別のビジネススクールへ通った過去があります。正直、なくても良い経験ではあったなと思っちゃう自分と価値があったと思う自分がいまして、事実、7月にフットサルイベントをビジネススクールのメンバーと一緒に開催し、40人ほどの規模でフットサル大会を行えました。

そこから7月末日にイベント団体VentureBlossomを作り、お笑い・スポーツ・セミナーでイベントを打ち、イベントを4ヶ月間のうちに6回くらい開催しました。

途中イベントで生計を立てたいと考え、自分を追い込むためにアルバイトを辞めましたが、うまくいかず。。。

9月からNPO法人Teach For Japanとリクルートキャリアにて短期インターンをはじめ、両インターン共にイベントを開き、集客力を競うようなイベントだったのですが、どちらも優勝することができ、良い経験となりました。

【僅かな光をまた追い求めて】

2018年に入る前にイベントとインターンどちらも終わらせていたので1ヶ月間はほとんど何もしておらず、気持ちも抜けていました。

教育に関心はあったが、実体験として教えるということをしていなかったため、2月に入ると塾講師のバイトを始め、教えること、教えられることの喜び、楽しさを感じることとなりました。

2018年春、大学に向き合う決意をしましたが、結局前期で中退し、
意識高い系(笑)大学生から高卒へと進化を遂げました。

一旦、ここで休憩をしようと思います。

以上が生まれてから大学中退までの咲吾の人生です。

ご覧いただきありがとうございます。



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