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古い写真を訪ね歩く 1 〜松澤昭一さん(94)を訪問〜

いらっしゃい、ようこそ!と笑顔で昭一さんが迎えてくださいました。
(佐久甲州街道沿いの柳町という地区にお住まい。)

通された部屋に座ると、昭一さんから何冊かのアルバムを手渡されました。その中の1冊を開くとお子さんの入学式ではないかという『旧佐久西小学校』玄関前の白黒の集合写真を発見。

よくみると、現在のコンクリートの建物ではなく木造の様子。
昭一さんが子どもの頃も、この木造の建物だったのかと尋ねると、「どうだったかな、そうだと思うよ。」と写真を覗き込む昭一さん。

旧佐久西小学校は、その前の栄村の頃から今の三本木エリアに建っていたと昨年度の聴き手の活動で知り、何人もの方に学校のエピソードを伺いました。
その中でも印象的だったのは、戦時中は運動場を畑にして作物を育てていたという話でした。

見つけた写真自体は昭和43年のものでしたが、校舎に当時の面影が残っているのではないかと思い、データに残すことにしました。

東町の東家(あずまや)2階

その他にも、東町にある『東家(あずまや)』の2階での集合写真は、消防団の集まりではないかと話してくれました。
昭一さんの妻は、東京で生まれ育ち、ご家族と一緒に東町商店街に引っ越してきたそうです。その後、ご両親は東家を開業されたのだとか。今も残る東町交差点の三叉路の突き当たりの建物です。

「昔は、料理を出したり、ラーメン屋をやったり色々やっていたお店だったんだよ。」と、写真を見ながら懐かしそうに語ってくれました。
「この人は、皿洗いなんかしてたお手伝いさんだね、この人は女中さんだった人じゃないかな?あんた達、女中さんてわかる?」

昭一さんは、東町商店街は佐久町の『銀座』だったと語ります、「夕方になると綺麗にした女性たちが、三味線弾いてね。音が通りに響き渡っていたんだよ。」
そういうと、襖に立てかけてあった三味線をとり、これまた94歳とは思えない指捌きを披露しながら民謡を歌ってくれました。


三味線を披露する昭一さん


そして、印象的な写真もありました。
約70年前、昭一さんが青年だったころ(20〜25歳ではないかとのこと)の高野町祇園祭の写真。
同じような年頃の男性が揃いの浴衣を着て、立派な屋台の前で記念写真を撮っていました。
後ろに写っている家の屋根は茅葺屋根。道路は当然舗装されておらず、戦後間もない頃の柳町の景色がそこにありました。

今年(令和5年)は、高野町で4年ぶりに祇園祭が開催されます。
「小さい頃は、ちゃんちゃどんどだよ。とお祭りのことをよんでいて、みんなうんと楽しみにしていたんだよ。昔はお祭り以外に楽しみがなかったからね〜。」と笑いました。昭一さんはその頃の気持ちに負けないくらい、今年の祇園祭の再開を楽しみにしている様子でした。


約70年前の祇園祭での一枚(高野町柳町)


たくさんある写真の中で、今回の活動の意図に合いそうなものを選びデータ化させていただきました。アルバム丸ごと展示したいほど、当時の暮らしが垣間見える貴重なものばかりでした。

展示会での昭一さんのお写真をぜひ楽しみにしていてください。

※高野町祇園祭:江戸時代から続くと言われている4つの町(集落)のお祭り。御神体の乗った御神輿と、翠町、柳町、相生町、そして大正から加わった東町の人々による4つの屋台がこの地域を練り歩く。屋台では太鼓や笛、三味線などのお囃子の生演奏が行われる。

文:鈴木

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