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みんな、ほんとのこといわないよね。て話

こんにちは、マルマグと申します。

読者のあなたが「このタイトルで開いた」ので、何かしら思い当たる節があるってことですよね?

なぜ、みんな、ほんとうのことをいわないんだろう。

きらわれたくなから?

妄言だといわれたくないから?

仮にそうだとしても、自分にとっては現実なのに、共感を得られない場面なんていうのは人生多々あります。

好きなアイドルの話、今読んでるマンガなど、恋愛とか

なんでもいいんですけど、好きなことや好きな人を否定されるのは、想像しただけで恐怖を覚える人も多いはず。

逆に「なんとも思ってませんよ」て態度を取るビジネスマンも、

たとえば、駐車場の喫煙所で愚痴ってる、なんて光景もよく見かけます。

そんな社会の現実と言いますか、実際に「村社会みたいなコミュニティに属していて思ったこと」を執筆します。

自己完結していて共感を求めていない

まず考えられるのは、「自己完結」しているから、ほんとのことを話さないが一番多いケースでしょう。

自己完結というのは、すでに答えは出ている本音の部分です。

他者に「相談事がある」としてアドバイスを乞う場面によくある現象です。

相談される側は、「んで、結局どうするの?」と問うだけで、大体は相手が自己完結しているのに、あーでもないこーでもないと口上が止まりません。

「自分をよく見せたい」

「自分の味方であってほしい」

そんな人間として弱い部分を見せられない人が、この記事で言うところの「みんな」になるんです。

つまり、みんな、人間として弱い部分を多かれ少なかれ持ち合わせていて、共感してくれないのは分かっているので、ほんとのことを言わないんです。

泥臭い努力なんて話しても無駄

みんなは、ほんとに行った努力でも「結果を残した努力」ばかり話したがる傾向にあるんじゃないでしょうか。

特に顕著なのが、自己啓発書によくある現象です。

みんなが求めているのは「成功例」であり、「失敗談」はお笑い・エンタメ枠というプライドの高い人ほど惨めさを感じるかもしれませんね。

私も最近では、ブログに関する啓発書を読んだりしましたが、

まぁ、プロセスとして泥臭い努力をしてきた”風味”を醸し出して、結果は成功したからこうしましょう。以上

みたいな「テンプレが用意されているのか?」というくらい同じ件なので、最近は積み本と化しています。

私みたいに、いわゆる意識低い系の人間からしたら

「そんなことより、今日の晩御飯なににしようかな?」くらいの軽いほんとのことのほうがよっぽど刺さりますね。

「私たち友達だよね?」という嘘

なぜ、わざわざ確認しなければならないんでしょうか。

更に上位版として「私たち親友だよね?」という特別感満載の嘘。

このセリフを言われて、今でも付き合いのある友人は1人もおりません。

断言できます、「友情を言葉で確認する人には気を付けましょう」

友情というのは、確認なんかしなくても芽生えていき、育んでいく感情です。

それと「私は友達とは思っていないけど、なんか言われたから友達のフリ」をするのも、アルアル過ぎて辛いですw

個人的に一番の地雷ワードとして、「私(俺)のこと好き?」が最強に胡散臭いです。

もう一度書きます。

なぜ、わざわざ確認しなければならないんでしょうか。

末尾

今回はサクッと簡潔に書いたつもりいますが、筆者は相当の疑り深い性格上、ひねくれていると捉えられても仕方ないくらいの気持ちです。

旦那と口論になり論破しては、旦那を大事にできていないマダオバさん化に拍車がかかりました。

このような私でも話し相手になってくれている人には、感謝の気持ちもあります。

旦那もよく相手してくれているなぁと感嘆しています。

そして、最後に個人的な体験を一つ。

「美容院選び&美容師さんはマジでジプシーしないほうがよい」

つい最近、髪を切ったのですが、これまでにない仕上がりになってしまった失敗談でした☆

ではでは(/・ω・)/

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