Angel:糸、すなわちテクストの先を見つめて

 この世の中の夢・目標には、語るに値するものと値しないものがあるようだ。言ってしまえば、就職活動の面接で使えないようなエピソードは、どんなに熱く語ろうにも苦笑いか嘲笑が返ってくる。
 その点、この作品の主人公はひとからすれば、志の低い、小さな小さな夢であり、目標によって生きている人間だ。しかし、そんな小さな夢によって、彼は失った熱意を少しだけ取り戻し、絶望のなかにありながらも生きることを自然に肯定している。零ではない可能性。消極的に見えるかもしれない。しかし彼は、アンチテーゼではなく正面から、この零ではない可能性を希望として生きられている。いったい、だれがこれを否定できるだろうか。
 この、年齢も部活も身長も不安障害も旧蓋形成不全症も、作者である私とまったく同じである「私」は、これを書いている私であると同時に、私ではない。もちろん、この作品は「私小説」として読まれることもあるだろうし、まったくのフィクションとして読まれることもあるだろう。どちらでも構わない。私、あるいは「私」が事実から各々の現実を作って生きているように、読む者もまた各々の現実を作っていく。これこそが読書体験というものだと思うからだ。そもそも、書いている私自身、事実と空想を混ぜ合わせたつもりなのだが、時間を経て読み直すと、どれが事実でどれが空想だったのか、なんだか分からなくなっている。
 上では就職活動の例をあげたが、同じことは文学をはじめとしたフィクション作品においても言えるかもしれない。主題にするに足る問題と、そうでないもの。明確に定められているわけではないけれども、どこか共有されている意識があるようにも感じる。それが良いのか悪いのか、それを決める立場に私はない(そもそも、いったいだれがそれを決められるというのだろうか?)。ただ私は、一般に物語のテーマにならないようなコト・モノによって救われることはある、と感じている。事実、この「私」は、八重洲ブックセンターのエレベーターでの刹那の邂逅と、とある女性声優のこぼした一言によって、これから「生きられる」だろう。

 はっきり言って、私には面白い話を作る才能がないと思っている。いや、思っている、というよりは感じているといった方が適切だろうか。ともかく、これは自分を卑下しているのでも、謙遜しているのでもない。客観的にそう感じてしまうのだ。
 私が本格的に小説なる文章を書き始めたのは、いまから六年前。大学に入学した時期だ。つまり、文芸サークルに入会してからのことだ。私はそれまで、小説といえばもっぱらライトノベルを読んでいた記憶がある。いわゆる文学作品を意識的に読み始めたのも、大学入学あたり。新入生向けに開かれた合評会で、私は意気揚々と作品を持って行った。怖い物知らずだったのである。しかし、先輩はおろか、ほかの同期の作品を読んで驚いた。面白いのである。なかには、先輩たちのあいだで既に話題となっている同期すらいたのだ。私は? 言うまでもないことである。
 また、懇親会などで話を聞いていると、多くのひとが中学、高校から多くの作品を読み、そして作品を書いてきていた。星新一が中学時代のバイブル、という話で盛り上がられると、こちらとしては小さくならざるを得ない。読書に早さは関係ない? それはその通りなのだが、読書には時間がかかるから、早くから蓄積があるに越したことはない。多少、そのことへの劣等感が大学時代の私に良くも悪くも乱読をさせてくれたのだが、いまだ、その劣等感自体は拭えていない。
 また、これはプロ・アマに限らずなのだが、ひとの作品を読んでいると、いったいどうすればこのような世界観や設定が生まれてくるのだろう、と感じずにはいられない。私には世界が作れない。パンチの強い人物も生まれない。あっとひとを驚かせるようなプロットができない。抱腹絶倒のコメディも書けない。きっと、毒にも薬にもならないのだろう。たぶん、同期のなかでもっとも多くのバリエーションで批判されたのは私なのではないか。(いや、被害妄想かもしれないが……)
 やがて後輩もでき、彼らも、私の知らないような作品をたくさん読んで、すごく難しい議論をしているように、少なくとも私からは見えることがある。私には難しい話は書けない。方向は様々だがともかく、これからの文学の世界で評価されていくのはこういったひとたちなんだ、と私は四年間、肌身をもって感じた。事実、このなかには新人賞で良いところまでいったり、地方の文学賞を受賞したり、界隈で話題になっているひとが少なからずいる。
 もしかしたら私も、このまま書き続けていれば彼らに近づけるのだろうか。分からない。そもそも、私はそれを望んでいるのだろうか。それも分からない。私はいまだ、道に迷っている。

 そんななかで、考えていることがある。こんなこと、いまさらかもしれない。が、ともかく、結局ひとは自分のことしか書けないのではないか、と。
 少なくとも私自身はそうだ。これはなにも「私小説」に限った話ではない。ここでいう「自分」とは、個としての「自分」のみならず、関係の網の目、まさに「テクスト」として立ち上がる「自分」のことである。つまり、かつての私の劣等感の過ちはそこにある。私は、個としての「自分」にないものを生み出すために、「自分」を編み上げている糸を伝うことをせずに遠くばかり見ていたのだ。言ってしまえば、地に足が着いていなかった。こんな簡単なことに気づくのに、五年以上もかかった。
 先年、私は友人に「地味なことを続ける才能がある」と評されたことがある。そう口にした彼は、けっこう本気の表情で、小馬鹿にした様子はない。そして私も、このように言われて悪い気はしなかった。私の文章が地味であることは、まさにその通りだと思う。もちろん、私は進んで地味に向かっているのではない。ただ、心惹かれるものが一般的には地味と言われる性質のものであるだけだ。しかし、私はすでに体験している。そんな地味なものがひとの心を摑む、そんな一瞬があることを。

 これから社会なるものに出なくてはならないなかで(もっとも、正職はいまだ決まらずなのだが)、私はこの世界で息を吸うために、ものを書くことをやめない。あるいは、やめられない。だから、これからの指針を立てるためにも手始めに、私にとって文学・小説とはなんだろうか、と考えてみる。
 それはきっと、いまここには居ない人々、あるいはモノと話をするための希望であり、祈りだ。最初の方で、「生きられる」という言葉を使ったが、これは小川国夫の言葉を借りている(勝呂奏による評伝でも、その副題に「生きられる〝文士〟」と付されている)。小川国夫の遺作『弱い神』の最終章、「未完の少年像」ではまさに、死者の声を聞くために小説を書くことへの希望が語られている。しかし、それだけには終わらない。現実の小川を思わせる作家は、さらにこのように言うのだ。自分にあてた小説もあるだろう、と。小説で食べていこうと考えたとすれば読者層を想定することは必要不可欠だが、そのとき、そこに「自分」を当てはめることなど、現実的ではない。経営戦略としてはまったくの誤りだが、芥川賞候補へのノミネートを断ったという小川らしい言葉である。最近のことだが、結局私は、だれにも読まれなかったとしても文章を書き続けていくのではないか、と感じはじめている。すなわち、ここに私という読者がいる限りは。
 しかし、「未完の少年像」では、ここにさらに続きがある。

それから、遂には、自分さえも相手にすることなく、読者のいない小説を書くことです。言葉が伝達を目的とするなら、こんな小説は矛盾そのものですが、私はあり得ると思っています。(549頁)

 私を摑んで離さない一節だ。もしかしたら、私が本当に目指している小説、いやそれは最早「文」、あるいは「言葉」と呼ぶべきものなのだろうか。
 しかし、いきなりここを目指すのは無謀というものだろう。だとすれば、まず「自分」にあてた小説を書いてみよう。
 私のなかの声に耳を澄ませる。聞こえてきたのは、なんと私自身の声ではなかった。「楽しいです、生きてて」。ヘッドホンを通じて聞いた彼女の声が、しかし「自分」のなかの声として響いていた。間違いない。彼女の言葉は、たしかに私を編み上げている糸の一本だ。いま、私はその糸を摑んだ。強引にはならないように、少しずつたぐり寄せ、その動きを見つめてみる。

(矢馬)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?