リクルート・オブ・ザ・ラブ:いざ行かん、博論ダンク

新しい「就活=小説」のために。求められるものは「愛」です。「就活」には圧倒的に「愛」が不足しています。私たちは、「愛」によって「就活」を乗り越えていかなければならない……
https://note.com/sakumiraga/n/n35c3b89720a3

 11月22日文学フリマ「炸裂ミラクルガールズ」にて、「リクルート・オブ・ザ・ラブ 第二部『本選考 いつか一緒に働いて(前編)』」という作品を執筆しました。就活と愛をめぐる物語であり、アンチリクナビノベルたることを作品の最大の目標としています。

 前回からの続編になりますので、カクヨムにて前回分作品を公開しております。是非、ご覧いただければと思います。

 ところでみなさんは、博論ダンクについてご存じでしょうか。

 感染症の拡大により、10月1日時点での大学生の就職内定率は69.8%と5年ぶりの低水準を記録しています。(参考:https://www.asahi.com/articles/ASNCK4CR3NCJULFA030.html)その上感染症に端を発した行政悪化による内定取り消しなどが問題になっている今、企業の面接の場で相次いで博論がダンクシュートされる事態が多発している……というのです。

 某教科書会社の人事部で働くAさん(仮名)は、そのときの様子をこう証言しています。

 面接に来たのが、博士課程の学生だったんです。能力は高いのかなとは思ったんですけど、まあ、年齢がね……。プライドとかもなーんか高そうじゃないですか、そういう人って。だから、職場でやっていけんのかっていうのが、ね……。それで、まあこの人はお祈りかなって思ってたら、その人がいきなり立ち上がって、博論を僕らに向けてダンクしてきたんですよ。八村塁かって話ですよね。その衝撃でオフィスは壊れるわ、部下はケガするわ……。まったく、災難ですよ。こないだはすゑひろがりずのパクリか知らないけど自分を武士だと思い込んでるやつが面接に来てたし、もう今年は不作って感じですね……。いい新卒、来ないかなあ……。

 7月以降、博論ダンクによる破壊活動は全国で297件報告されました。被害総額は1億3800万円を超えるとみられています。警察は現在、各大学に対して博士の引き渡しを要求していますが、大学側は要求に一切応じない姿勢を示しました。最悪の場合、大学への直接介入もありえるのではないかとの見方が強く、各大学では武装した修士の学生が自警団を結成するなど、予断を許さない状況が続いています。

 末は博士か大臣か――。かつての日本において、博士は立身出世の象徴として扱われてきました。しかし、今や博士といえば就職もろくにできなくなる人生の墓場であると(自虐的に)捉えられています。実際、人文科学系の博士の25%が博士過程修了後に行方不明になってしまうという非常に恐ろしいデータもあります(参考:https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/09/29/1362371_3_3_3_3.pdf)ポスドク問題も含めて、博士は現在の日本においてきわめて冷遇されている……といえるでしょう。

 個人的には、博士で培われる能力とは企業が求める能力とそのまま合致し得るのではないかと考えています。仮説を立て、綿密な調査を重ねることで真理に迫ろうとする学究的精神は、企業における新規プロジェクト開拓に必要なマネジメント能力と似ているはずなのです。ゆえに、博士の能力を企業の要求とうまくマッチングさせることは不可能ではなく、それどころか博士とは「即戦力」的な存在としても活躍する可能性がある……のではないかと思われます。

 だから、現状頻発している博論ダンクは世間と博士の間に溝を作る結果しか生まない。互いに譲歩し、妥協する道を探るべきだ……とはまったく思いません。逆です。私たちはもっと博論ダンクを応援すべきだし、むしろ博士じゃない人もどんどん博論ダンクやっちゃえ! とすら思うのです。

 長大な博論を書き上げるために費やされた莫大な時間。
 不毛な探究が続きすり減っていく精神。
 つまらない学内政治、課されるノルマ。

 困難と苦悩ばかりが増えていくにも関わらず、なぜ人は博論を書き続けるのでしょうか。

 それは、そこに研究対象への「愛」があるからです。

 途切れることのない問いに身体を晒し、傷つきながらも自らにとっての「真理」を求めていかんとあがいていく。手に入れようとした瞬間にするりと逃げていく答え。誘惑の渦の中心は蜃気楼のようにゆらめき、進むべき道すらわからないまま一歩を踏み出さなければならないことへの恐怖。そして望みが成就しかけたときにはじめて見出されるわずかな光明。

 これが愛ではなくて、なんだというのでしょうか。

 博論とは、愛の結晶。誰もが、自らにとっての博論を盛大に炸裂させようとする瞬間を求めているのです。この狂った世界において、自らの信じるものへの、誰にも理解されないかもしれない情熱を表明するための決死の飛躍。ひそかに鍛え上げた筋肉を奮い立たせ宙を舞う瞬間、世界には、あなたと博論とリングだけが残されます。

 愛は、永遠とも感じられるその一瞬において、高らかにダンクされるのです。

 愛なき就活に、愛に溢れたダンクを。

 この小説が、私なりの愛の表明手段として、文学フリマのごく小さな一ブースにおいて、読者の心にダンクされていくことを願っております。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?