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2019.0830-0904 / 道東

✔︎きっかけ

生まれてこのかた道東にある地元の遠軽に住んでいる母親と祖母は「この町には何もいいところがない」と言っていた。田舎の地元を嫌い都会に出て行く同世代も沢山いた。実際「遠軽には何がありますか?」と聞かれると、「だだっ広いコスモス園とか願望岩っていう岩あるけど大した面白くないし、畑しかないようなもんだけど遠軽産とかあんまし見ないしようわからん、なんもない」としか答えられなかった。18年以上住んでいたのに大した魅力を感じることのできない地元が嫌いだと思った。なんだか悔しくて、もっと地元のことを知って誰かに自慢できたり誇りに思えるような場所を自分でつくろうと決めた。その手段として遠軽に溢れていて自分も興味のあった「農業や食」を学ぼうと思い、酪農学園大学の管理栄養士コースに通い始めたのが3年前。

大学1年生の冬に始めたボランティアで、幼稚園小中高同じだったのに1度も話したことのなかった こがえいふう先輩 に出会い、上記のようなことを話してからずっと可愛がってくださっています。
今回も「せっかく浦幌に来るんだったらいろんなところ巡って帰省しよう」と提案してくださり、大切な休みを使って旅に連れて行ってくださいました。(結局私のスケジューリングミスで浦幌行ってない)【助手席ではただただポケ〜っとして、いざ人に会うと緊張で何も話せなくなり、宿に着いた瞬間「楽しかったでsuuu….まだ寝てないでsuuuu… 明日行きたい場所は、うう〜nnnn…zoozoo…」みたいな感じ(人間としてありえない態度)だったにも関わらず最後の最後まで優しくしてくださって、神様か???と思っています。】

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(ワンコロと戯れるえいふうさん、かわいい)

✔︎地元にこだわる?

ずっと「18年住んでたし、田舎に対するモヤモヤが生まれたのも地元だったし、どうせ何かやるなら遠軽でやりたい」と思っていたけれど、気づけば「地元でなければならない理由はなんなんだろう」と思うようになっていた。 今まで私にとっての「帰る場所」は遠軽だけであったけれど、遠軽以外にも「またいつでも帰っておいで」と言ってくれる人たちや、大好きだと思う地域、地元でないからこその視点を生かして魅力を見つけ発信している人に出会ってから、わからなくなっていた。

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(ボランティアがきっかけで出会った岩手の人たちが好きすぎて、1年で4回もお世話になってしまった)

でも今回、道東や地元に対する色々な想いや展望をお聞きして、「やっぱ最後は地元に戻りたい」と思った。それはずっと住んでたからとか、原体験的なものが地元にあるからではなく「道東、想像以上にワクワクに溢れているし、それをバチバチ生み出しているみなさんめっちゃカッコイイし、私もいつか一緒になんかできるくらいの人間になってやれたら人生最高に面白いだろうな」と、思ったから。

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(遠軽の民inオホーツクハウス(住みつきたくなった) (やっぱりかずやさんの見た目が怖いです)(#田舎の未来)

✔︎私もやってこガールになりたい

根拠とか自信みたいなのがないと、何かを自分からやりたいと大きな声で言えない。私なんか...って気持ちは、ガムシャラに動いていれば薄れていく思っていたけど、濃くなってきた気すらする。毎日悩んで、疲弊してる。笑 けど、いつまでもウジウジして失敗ビビってたってなんも始まんないし、もっと自分の気持ち表に出してガンガンやってきたい、少しずつ変わっていきたい

✔︎文化をつくる

「新しい文化をつくっていく」という、とてつもく壮大に感じる言葉を沢山聞いた。その時は全く想像がつかなかったけれど、「いま当たり前でないことを当たり前にしていく」ってことかな?と、今は思ってます(違ったらごめんなさい)

「田舎だから」「都会と距離があるから」できない、やりずらい というのが当たり前で、地元に戻るハードルはとてつもなく高いと思っていたけど、今回で「そうでもないかも」と思えたんです。足寄の「はたらくものづくり村」さんや、津別の「ジンバ」さんのところへいった時に、とても感じた

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(拓郎さんが「できるよ」とめちゃめちゃいってくださったけど、「ええ...でも...(私拓郎さんとかみたいなセンスとか実績とか何も無いし怖すぎるよ...)」としか言えなかったし渋い顔して焼肉食べることしかできなかった)

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(足寄のはたらくものづくり村。「かってば」という建物で、町の獣医さんが 子どもと一緒に来ることのできるカフェ をやっていた。もう1棟の「ながや」では、お試し移住に来ている方が暮らしていた〜。)

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(津別のジンバ、金曜の夜に毎回マスターが変わる「JIMBAR」がやっていた、トマト農家さんのつくるトマト料理たち、メチャクチャ美味しかった...)

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(こちらもジンバ、モーニング。「幾島珈琲研究所」のマスターが焙煎からこだわってつくっているコーヒーが飲み放題な上に、奥様が焼いているパンがとんでもなく美味しい。朝から幸せすぎた〜)

田舎でもやってみたいことを応援してくれたり実際に挑戦できる環境が割とハードルの低い場所にあるって、ものすごいことだと思ったんです。とても羨ましいと思った。私のやってみたいことが「食」だからカフェばかりに目がいってしまったけれど。こういうことがすごいことでなく、当たり前だよね、となる世界になればイイなあと思うので、何年か後どういう風になっているのか、何をするのか、しっかりとはわからないけれどやっていきたい、えいふうさんとも。笑

アト、昔の文化や歴史ももっと知っていかな、と思った。今まで頑張ってきた人の話、全然知らない

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✔︎できることをやる

「マーケットイン(費者がより必要とするモノを提供する)」と「プロダクトアウト(独自技術に合わせた商品を作り出す)」という言葉を、拓郎さんに教えてもらった。欲張りなので、私にしかできないことをみんなが必要としてほしいと思ってしまう。

どちらにしろ、できることを少しずつやってくしかないよなあ、やりたいことができるように〜。頑張る、、、

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(シゲチャンランド。万が一どこかで物凄く評価されたり認められることがあっても、ブレずにできることとやりたいことをやり続けたい〜)

✔︎田舎に残ることは、カッコ悪いことじゃない

本当にそう思う。実際みんなカッコよかった。

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田舎だからこそ世界に認められたり、愛されるモノや空間が作れるような気もした。「誰かに自慢できたり誇りに思えるような場所がないからつくろう」と思っていたけれど、今は自慢できる場所ばかり。でも見ようとしなければ見えなかったようなことも沢山ある。渡辺組という建設会社で、お蕎麦屋さんをはじめ、建設以外でもまちづくりに関わるのプロデュースをしているとか。

このnoteを見てわかる通り「自分の言葉で伝える」ことがとてつもなく苦手な私だけど、みなさんそれぞれイケてるHP作られたりなどしているので、いろんな人に伝えていきたい。ガツガツ。

✔︎管理栄養士として

「管理栄養士を目指しています」と言ってもあまり通じない、ということに気づいて。私が将来やりたいことは管理の資格がなくてもやれるし、管理というより〜ソムリエですとか言うほうが出来そうだし、社会的評価もまだまだ低い(私の体感的に)のに、何故日付変わる直前まで大学篭って勉強したりしてんだ???時間の無駄???とずっと思っていて、国家試験の受験を辞めようか、とも思ってたんです

でも「生きていくために」取ろう、と、決めました。

「困った時に役立つ」とか「とりあえずとっといたほうがいい」も同義なんだろうけど、性格が悪いので「取り敢えずとかわけわかんねえから、それでとって使わず死んだら私の4年どうしてくれる???」など考えてしまい、今までしっくりこなくて。笑  でも、「生きていくために」と言われるとストンと落ちました。

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(スペシャルゲストのあいりさん!!!佐呂間町の栄養教諭さん、給食食べに行きたい...)

✔︎つないでいきたい

今回の経験を、出会った方に、自分に、他の誰かに、つなげていきたい、というかつなげます、絶対

小さいながら頑張っていこうと思うので、温かい目で見守っていただけるとありがたいです。。。

✔︎今回出会った、面白すぎる方々

はたらくものづくり村

ジンバ

◆拓郎さん(ドット道東

     (HARU)

     (1988

シゲチャンランド

西洋軒

でてこいランド

ツクール

流氷硝子館

北方民族博物館

オホーツクハウス(かずやさん)

井上牧場

casochi

みるとんはうす

渡辺組

MYSTAR





日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!