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2022/これまでとこれからの間で

散々だったこれまで

自分の声が聞こえるようになって、人の声も聞けるようになりたいと思い始めた。

「自分の意思」を持ったままいると生きていられないと思ってしまう性格だった。
だからいま、想像できること、そうしてきたからできることもあり、「散々だったけど、まあ・・・」と最近は思う。

「散々だった」というのは、普通に就職して上司の元で働いていたら思わなかったことかもしれない。自分で自分の身を立てていく性分で、「自分の意思がない(自分でも自分の意思がわかりづらい)」というのは、シンプルにヤバかった。

人間の形をした私は土俵にあがって闘っているのに、人の目に見えない私は土俵にすら上がれていない感覚。物凄く辛いけれど、誰かを責められるわけでもなければ、すぐに解決する問題でもない。死ぬことばかり考えていたら夏が終わった。


はかれないものをはかる

大切にしたいものを大切にしていられるほどの余裕、自分を守れるものがない現場の方が多い。
「お前に何ができる?」と言われても、何もできない。それじゃ意味がない。(本当はそんなことない)

マジそれな・・・・伊之助が怒ってくれなかったら私も落ち込んだままだったかも・・・


そもそも「私にとって大切なもの、大切にしたいもの」というのは一体何なのか?ということをよく考えた日々だった。
何に時間や体力、お金を使い、対価として何を得たいのか?は、ずっと考えている。

最近やっと「これかも」という判断の裁量はでき始めていて、それでも試行錯誤の日々。
いろんなことを叶えるバランスは未だにとれていない。

悔いなく魂もやせ

「なぜか忙しい。気付いたら1日が終わってる」と話したら、「時間泥棒・・・」と言われた。盗難にあっているのかもしれない。

最近はお金にならないことばかりやっている。
それも楽しい。確実に、次につながる学びになっている。
好きな本や好きなご飯を悩まず買えるくらいにはお金もある。
丸1日休みは早々ない。
家には寝に帰っているようなもの(スキピとデートにいく暇もない)
悩まず買った本はほとんど読まれずにいるし、ご飯もたまに腐らせてしまう。
帰省する度、「まだ彼氏いないの?」と言われ不機嫌になってしまう。

自分の日々に満足はしていない。けれど、幸せ。

友達のおかげで幸せ

これから

「私が大切にしたいと思う誰かの想いは一体なんなのか。その側で暮らせるように、なにが必要なのか。そのうち、今の私が「これがほしい」と思うことは何なのか。」を、問い続けること。あと、沢山遊びに出かけること。やってきたい。

今年もよろしくお願いします。

日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!