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年末年始は卒論添削でした

(トップは美味しそうなお雑煮の写真をお借りしました。ありがとうございます。年始に行った温泉で、朝食に出たお雑煮がこんな感じでした)

なんだか年末年始の記憶がない。というのも、大学の授業が終わった12/24からずっと、学会の仕事をして、卒論添削をしていたから。一応、大学は6日から授業始まったけど3連休入って、それでも引き続き2回生・3回生のレポート添削をしている。添削マシーンとして過ごしたこの2週間。仕事が本格的に始まる前に、仕事が終わってよかった(錯乱

もちろん間に、年賀状書きとか大掃除とか家の仕事もしつつ、だけど。今年もコロナで帰省は見送ったが、それでも家族旅行で雪深い温泉に出かけたりした(ほぼ24時間ぐらい)。

それにしても、卒論添削の仕方を変えないと、毎年こんなことでは大変。去年までこんなんだったっけなあ、と思いつつ。私が所属する学部では2018年から卒論が必修になったので、今回で4回目のゼミ生全員卒論指導だったわけですが、なぜか今回の年末年始だけやたら添削に時間をかけている気がする(今まで適当だった?)。

そんななか、ツイッター上ではこんな議論が交わされていました。卒論など出せば終わりだし、最後の最後に赤入れても、学生には教育効果なく、教員の自己満足でしかない、と。

そうかもしれません。教育・指導とは自己満足にならないように、厳しく戒めなければ。温泉の休憩室でたまたま見たTVのニュースバラエティでは、高校のチアリーダー部がとりあげられていました。そこは強豪で有名な関西のある高校。先生の指導は熱心ですが、しかし、うわっと思ってしまうほど虐待ギリギリ…いや、アウトかもしれない練習風景が。もちろん、生徒自身が望んでその戸塚ヨットスクール的(古)スパルタ指導を受けていると言えるかもしれませんが、それでも子供ですからね…どうなのかと…。

徹底的に赤入れはしましたが、「形式的・日本語的な部分は絶対に直して。内容的な修正は可能ならでいいけど、成績にはちゃんと関係します」という言い方でコメントを返しました。内容的な部分で赤入れが多いというのは、それだけ完成度が低いということ。そのことは自覚してもらいつつ、無理だったらそこまでで評価をします。

結局、添削と言いながら、提出物・成果物のフィードバックになっているんですね。これはやらざるを得ない。ましてや、必修となっている学部教育の「集大成」なわけですから。来年も結局、こんな感じかな。あー…。

ちなみに添削が最後の最後にしかしないのは、トートロジーですが、いったん完成させたものしか添削はできないから。途中のを添削しても、全体構成が変わったり、文章も変えざるを得なかったり、なので、「通し添削」でないと、あまり意味がないんですよね。

とはいえまったく原稿を見てきていないわけではなく、卒論指導はこれまで、4回生の6月ぐらいから夏休みを挟み、2週間に1回30分程度の指導をしてきています(×人数分の教員負担です)。そして10月末と11月末には、その時点でのできるだけ完成に近い原稿をあげてもらい、12月末に最終稿提出、です。とは言っても、完成原稿が出るのは最終締め切りになってしまうんですよねー。これは人のことをは言えないので、あまり学生は責めませんが。


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