見出し画像

『ワンダーウォール』に大学の来し方行く末を見た話

京都大学 吉田寮の建替問題を題材とした短編映画『ワンダーウォール』が、Amazon Primeで見れるようになっていた。 前から気になっていた映画だったのでさっそく視聴。

(Amazon DVD版およびAmazon primeはこちら)

あらすじは以下の通り。

2018年NHKのBSプレミアムで後、SNSなどで多くの反響をよんだ「京都発地域ドラマ ワンダーウォール」に未公開カットなどを追加した劇場版。古都、京都の片隅に、100年以上の歴史を持つちょっと変わった学生寮がある。一見無秩序のようでいて、“変人たち"による“変人たち"のための磨きぬかれた秩序が存在し、一見めんどうくさいようでいて、私たちが忘れかけている言葉にできない“宝”が詰まっている場所。そんな寮に、老朽化による建て替えの議論が巻き起こる。新しく建て替えたい大学側と、補修しながら現在の建物を残したい寮側。双方の意見は平行線をたどり、ある日、両者の間に壁が立った。そして両者を分かつ壁の前に、ひとりの美しい女性が現れて…。

公式サイトおよびAmazon購入ページの説明より。

導入はエモい…このまま、エモく終わるのだろうか。若者の儚い大人への反抗。夢の終わり。僕らの◯日間戦争、みたいな感じに…と思いきや、なんとも現代の大学のありようを鋭くえぐっていた映画だった。

たとえばそれは、学生を置き去りに、文科省から補助金がもらえる事業に必死になっている大学の今の姿。そして抗議する学生の矢面に立っているのが、いくらでも代わりのきく非正規のスタッフ。

学生視点で話は進むけど、個人的には、学生と大学の間で板挟みになって「対話」しようとし、体調を崩し大学を辞めた先生に強く共感してしまった。今年度、自分はある学内業務でとてもストレスを抱えたのだが、似たように孤軍奮闘したなかで体調を崩してしまった。

映画でのその先生の姿は、大学はもうそういう<時代>ではない、ということを暗喩しているようにも見える。現場で(必要以上に)学生と向き合うことに大学は冷淡であり、そうした教員はもはや時代遅れなのだ。

上手く今の波に乗って、隙のないシラバスを作り、15回休講せずに予定調和で無駄のない授業を行い、説明責任のある成績評価をし、学生から苦情が来ないのがよい授業、よい大学教員。それ以上でも、それ以下でもない。

「学生と向き合う」などということは旧世代の遺物であって、今の日本の大学には必要がないこと。そしてそれは、学生自治寮も同じ。

吉田寮を残そうという学生の運動は、何を意味しているか。それは今の大学が見失っている<価値>を問うているのではないか。 クライマックス近くのシーンで、そうした問いが提示される。ただ、その時に何も考えてない(ように見える)学生が道化師のようにそこに存在していて、それがまたいい味を出している。そう、そうした「多様性」「包括性」も、かつての大学が持っていたはずの姿なのだ。

現代の大学が後生大事に掲げる「ダイバーシティ」には「意識低い系」に見える奇人変人は含まれない。 今の大学には迷惑なだけの存在なのだ。

話を戻すと、そのシーンである人物が、「この寮には人間の幸福にとって凄く必要な何かがあるのではないか」と語る。それは、生きるために逡巡すること。モラトリアムをすること。回り道をしてみること。仲間と馬鹿騒ぎしたり、思いやったり、時には夜通し議論をすること。そういったことなのだだろう。

しかし同時にこの映画では、残念だがそうしたことは、今の日本の大学には必要がない「無駄」であることも示されている。学生は目的意識を持って1から順に授業を受け、途中で寄り道したりつまづくことなく卒業すること。そして研究においては、「選択と集中」によって高度に能率化されたテーマで、インパクトファクターの高い雑誌に掲載することしか、求められていないことが。

この映画では特定の「悪者」をつくっていない。それがまたリアリティを生んでいるわけであるが、あえてそれでも最後に蛇足的に補足するならば、この時期に京大の学長を務めた人物は世間でも著名な人物で、「対話を重視」とさまざまな論考に記載しながらも、一度も寮生たちと直接話はせず、訴訟も起こしながら一方的にこの問題を進めていたと記憶している。

今の高等教育では、ナマモノである学生たちと向き合い、なんとか大学の掲げるお題目とのあいだで帳尻をつけようとしている現場のことなど無視して、外向けにウケがよいキャッチフレーズで競争的な資金をとってくることが使命、という風潮が出来つつあるように思う。それがこの映画にありありと描かれている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?