作(さく)

心理学やNLPやスピリチュアルなど今まで学んできた事の気づきを書いています。

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最近の記事

ブログを移行しました。

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    • うまくいかない事が続いた時に向き合う事。

      うまくいかない事が続くとそれが当たり前となって そこから抜け出そうとしても 「どうせ私じゃムリだろう。」 が前提になって諦めからの行動になっていく。 だから うまくいかない事が続いたとしても 「どうやったらうまくいくだろう?」 とあくまでも 【私はうまくいく。】 と言う前提で自分を見る事が大切。

      • うまくいきそうになると失敗してしまう。

        うまくいきそうになるとなぜか失敗するのはアクセルを踏みながらブレーキを踏むから。 ブレーキとは自己否定。 「私がこのままうまくいくわけない。」 「良い事がいつまでも続くわけない。」 そうやってブレーキを踏み込む事で流れが止まってしまう。 だからこういう場合は自分を責めるのをやめる事。 なぜ自分を責めてしまうのか? どうしたら自分を責めるのをやめられるか? 私が自分を大切にしない理由は何か? 私が自分を大切にするにはどうしたらいいか? そうやってブレーキを踏

        • 欲しいと言いながら拒むココロ。

          人の心って不思議なもので欲しいと言いながら拒む事もある。 例えば 仕事を頼まれて一日仕事をして一万円をもらえたら「やったー!」と思ったとしても 百万円を出されたら【え?】と動揺すると思う。 そして 【なぜ百万円をもらえるのか?】 の理由を知りたくなると思う。 それは 「自分が納得出来る理由」 がないと百万円を受け取れないから。 ここがターニングポイントで 欲しいと言いながら拒む人は「自分が納得する理由がないと受け取れない」と言う事。 だから どれだけ

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          自分を責める理由と向き合う。

          自分を責める事には自分で出口を作る必要がある。 自分を責める理由があるのならその先に望む事があるはずだから。 例えば やりたい事をやろうとしてもうまくいかなくて自分を責めるとしたら 「やりたい事をうまくいかせたい」 と言うのが本音。 そして うまくいかせられないから自分を責める。 でも やりたい事をうまくいかせたいのが本音なら自分を責める事は寄り道で出口じゃない。 出口は 「やりたい事をうまくいかせる事。」 じゃあその為にどうすればいいか? 自分が楽

          自分を責める理由と向き合う。

          良い人にならなくていいよ。

          良い人にならなくていいよ。 いい人になろうとする前提は「自分は悪い人」だから良い人になろうとするほどに自分を責めるから。 そして 良い人になりたいのに良い人でしょ?って言われると「そんな事ないよ」と否定してみたり。 この行動全てが良い人だから良い人になろうとしなくてもいいよ(^^)

          良い人にならなくていいよ。

          日常で当たり前になってる価値観が自分を責めるきっかけになっている。

          天気が良い=晴れ、天気が悪い=雨。 この価値観は誰が作ったんだろう? 何年前からある価値観なんだろう? これを言い出した人は男女のどちらだろう? その人は何歳の頃にこの価値観を言葉にしたのだろう? この価値観を言葉にする理由はいったいなんだったんだろう? 日常に入り込んで当たり前に使ってる価値観。 例えば 天気が良いとツイてる。 天気が悪いとツイてない。 このように日常に入り込んで当たり前に使っている色々な価値観が無意識に自分を責める原因になっている。

          日常で当たり前になってる価値観が自分を責めるきっかけになっている。

          人を喜ばせたらお金が増えると言うけれど増えない場合は理由がある。

          人を喜ばせたらお金が増えると言うけれど人を喜ばせているのにお金が増えない人は自分を喜ばせていない。 自分は人の中に自分を入れないのはなぜだろう? そんな風に考えてみる。

          人を喜ばせたらお金が増えると言うけれど増えない場合は理由がある。

          私はどうせうまくいかないと私はどうせうまくいくは同じ価値観を通して言っている。

          「私はどうせうまくいかない」「私はどうせうまくいく」 これは真逆の事を言ってるようで実は同じ価値観で言ってる。 それが 【特別意識】 この価値観を通して自分をプラスに見てるか?マイナスに見てるか?だけの違い。 だから ここに気づいてどちらも否定する必要のないものだと視点を変えれば見方が変わる。

          私はどうせうまくいかないと私はどうせうまくいくは同じ価値観を通して言っている。

          落ち込んだ親友を励ますように自分を励ます。

          今日やろうと思ってた事が出来なかった。 「はー、ちゃんとしないといけないのに。自分の事が嫌になる。」 この状況が親友の場合なら同じ事を言うのか考えてみる。 【そんな時もあるんじゃない。無理せずにいこうね‪\(^0^)/】 親友に向けてならこんな風に言うかもしれない。 親友に伝える言葉と同じように自分にも伝えてあげる。 自分を甘やかしたらダメになると言う価値観もそれが真実なら親友を意図的に甘やかしてダメにしてると言う事になる。 でもそんなわけないしこの価値観は破綻

          落ち込んだ親友を励ますように自分を励ます。

          自分が自分の味方をしてくれる。

          昨日の自分がライバル。 そんな考え方もあるけれど昨日の自分より今日の自分は自分を好きになってる。 そうやって少しずつ少しずつ自分を好きになっていく方が幸せに過ごせる。 今日の自分は昨日の自分より自分の事が好きなら 明日の自分は今日の自分より自分を好きでいてくれる。 そうやって 自分が自分の味方をしてくれるから。

          自分が自分の味方をしてくれる。

          現実は変えられない。

          現実は変えられない。 こう聞くと絶望的な感覚になる人もいるかもだけどこれって当たり前と言えば当たり前の事。 現実とは今見ているけど起きた後の事。 だから言うなればご飯を食べた後に元に戻す事は出来ないのと同じ。 巻き戻しは出来ない。 でも ここに気づいたら変えられない現実に振り回されなくなって楽になる。 そして 今までなら起きた現実を見て どうしようー、どうしようーと変えられない事を変えようとあたふたしていたところから 起きた現実を見て 【で、私はこの事に

          現実は変えられない。

          想像力と言う魔法。

          人は空を飛ぶ事が出来ないのに宇宙にまで行ける。 人は目の前にいない遠くの人に瞬時に連絡を取る事も出来る。 人は想像力と言う創造の魔法を使える。 私にはそんな大それた力はないと勘違いする事もあるけれど想像力は全ての人に備わった能力。 その魔法を願いを叶える事に使うか願いを叶えない事に使うかはあなた次第。

          想像力と言う魔法。

          うまくいかない時って自分の中に願いと相反する価値観がある。

          うまくいかない時って自分の中に願いと相反する価値観がある。 例えば 恋愛をしたいのに「私は好きになった人には振り向いてもらえない」とか お金を稼ぎたいのに「お金を稼いでるやつは汚い事をしている」とか 子供と仲良くしたいのに「私は親として失格」とか 望む事と相反する価値観が自分の中にある。 そして 価値観に引っ張られて思うように動けなくなる事がある。 ここで重要な事は望む気持ちより価値観の方が影響力が強いと言う事。 価値観とはいわば催眠。 物心ついた頃から信

          うまくいかない時って自分の中に願いと相反する価値観がある。

          自分を愛する事をナルシストと勘違いすると自分を見失う。

          自分を愛する事ってナルシストと勘違いする事もあるけれど 例えば 願いを叶えたいのだってキレイになりたいのだって承認欲求があるのだって 「今の自分より自分を好きになれるかも」 って思ってるから。 これって例えば今の自分とキレイになった自分。 どちらの自分の方が自分は好きだと思いますかと自問すれば気づくと思う。 自分を好きになりたいからやってた事に気づくと思う。 自分を愛する事ってあらゆる行動の起因になっている。 自分にとって良い悪い関係なく。 だから 本当

          自分を愛する事をナルシストと勘違いすると自分を見失う。

          足るを知るは無理やり感謝を見つける事じゃない。

          「足るを知る」を今ある事に感謝をすると言う事だけに意識を向けたら苦しみになる。 例えば 恋人が欲しいと言う思いがあるのにあなたには住む家もあるでしょ? ステキな友達もいるでしょ? あなたの心臓はあなたの為に休まず働いてくれてるでしょ? だから 足るを知るだよ。と言われて それを真に受けたら 足るを知る=我慢 になってしまう。 足るを知るは我慢じゃない。 「足るを知るはここに望むものがある」と言う事。 だけど 今まで生きてきた過去の経験に基づく選択肢し

          足るを知るは無理やり感謝を見つける事じゃない。