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万葉の恋 【白夜】

【2002年】

就職活動、最後の面接が終わった。

見えない鎖でつながれたような
緊張感から解かれ、
ロビーで大きく背伸びをする。

腕を下ろした時だった。

「痛っ」

後ろから来ていた
女性の肩に当たってしまった。

「あっ、すみませんっっ」

慌てて、謝ると

「いえ、大丈夫です」

一定の音で返ってきた言葉に
もう1度、会釈してしまった。

・・怒ってる?

表情1つ変えない女性の服装から
同じ面接を受けに来ていた事がわかった。

その時、ロビーがざわついた。

壁面の大型ビジョンで
流れたニュース。

・・・・。

アメリカの映画俳優が
ゲイである事をカミングアウトした。

ふと左隣を見ると、
彼女も画面を見ていた。


「・・気持ち、悪いですよね・・」

つい話しかけてしまった。

・・・やっぱり、怒ってる?

こっちを見た彼女の表情は
明らかに、不愉快そうで
話しかけた事を少し後悔した時、

「びっくりはしましたけど、
気持ち悪くはないですよ」

・・・。

もう別のニュースが流れる画面に
視線を戻しながら彼女の口は動いた。

「自分に正直に生きているだけでしょ。
逆にうらやましいですけどね」

少し上がった口角。
優しい音が入った言葉に
彼女が心から、そう思っている事が
伝わって、返事が出来なかった。


黙ったままの俺に軽く会釈をして、
彼女は、その場を後にした。


~・~・~・~

【2003.4.4】

入社式、

急に左肩に重みを感じた。

え?

視線を落とすと
隣に座っていた女性が

・・寝てんの?

隣に女性が座ったのはわかっていたけど
見ないようにしていた。

近くに女性がいるのは
正直、苦手だった。

その感覚に
自分が他人と違う事を
改めて感じてしまう。

誰と付き合っても、一緒だった。
SEXができなかった。

【それができない=私を好きじゃない】

その方程式の元、いつも振られた。

なんで、ソレが出来ないのか
“普通じゃない”と思っていたけど
その理由はわからないまま。

自分の事を自覚したのは、
高2の夏。

突然、腑に落ちた。

それでも、
それは隠さないといけないと思った。
母親になんて言えるわけない。
きっと、たくさん苦しませてしまう。

腑に落ちたのに
“普通じゃない”自分に落ち込むのは
変わらなかった。

自分だけでも、自分の事を認めたくて、
このままでいいと思った翌日、
他人に否定されるのが怖くて
“普通”を演じる。

そんな事を繰り返す自分に
少し、疲れていた。

“自分に正直に生きているだけでしょ。
逆にうらやましいですけどね。”

あれから、
彼女の言葉が消えなかった。


それにしても・・

変わらない左肩の重み。

・・・。

試しに右手で少し、
女性のこめかみ辺りを
押してみたけど、ビクともしない。

マジかよ・・。

少しだけ、首を倒す。

見えた顔。

・・ん?

1度、視線を戻して
記憶をなぞる。

もう1度、女性の顔を見た。

・・・この人。

そう思った瞬間、
彼女の手から書類が落ちた。

目を開けた彼女は、
条件反射のように姿勢を正す。

あまりの素早さに
思わず笑ってしまった。

書類を拾って差し出した俺に、
会釈をした彼女。

やっぱり、あの時の。

右目の下に泣きぼくろが
あったのを覚えていた。

それから、何度も瞬きを
しながら、見えない睡魔と闘う彼女。

間違っても笑わないように
口を結んで、我慢した。

もし、俺の事話したら
どう思うかな・・

急にそんな考えが浮かんだ。

入社式当日、
まだ1日も働いてないのに
これで、失敗したら・・でも

彼女は・・

「そうなの」って

答えそうな気がした。

~・~・~・~

ロビーで大きく
背伸びをする彼女に声をかける。

「私・・ですか?」

「うん」

じっと、俺の顔を見てくる。

今、何考えてんだろ・・。

不思議な感覚が包む。

あの日、俺の左側に立った彼女が
落とした言葉に、フッと息をついた。

今まで、どんなに頑張っても
そんな風に思えなかったのに
彼女の右側に立てば、それだけで
正直でいられる気がして・・

並んで歩きたかった。


「メシ、行かない?」



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