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万葉の恋 第21夜


「帰るか?」

・・・。

「行くわよ」

彼より先に足を出す。

「どこに?」

背中に聞こえた声に
当たり前のように答えた。

「食後の散歩、さんさく、
ウォーキング」

少しの間の後、
足早に追いついた彼と並んで歩いた。





見えて来た噴水広場。

中央の噴水を囲むようにベンチが
点在している。

ありがたい事に誰もいなかった。

「コーヒー、飲みたい」

「・・わかったよ」

腰掛けたベンチ。私の隣に
座ろうとした三上は、また
腰を上げて、噴水の先にある
自販機に向かって歩きだした。

天使だから、寒くないのかな?

まだ花冷えの夜、
着ていたコートの前を閉じる。

2人の天使が持つ水瓶から
流れる水は
昼間とは違う外灯の光を
吸い込みながら絶える事はなかった。

視線を上げると、
余計な光に囲まれることなく
1つだけ優しく浮かぶ満月。

・・うん、言えるかな。


「ほら」

「ありがと」

目の前のコーヒーを受け取ると
私の右側に座った。

コートの袖口から見えた左手首に
ちゃんと、つけられていた
“私の”時計に
思わず口を結んだ。

彼の左側に
いつまでいられるのか
ずっと不安だった。

でも、もう・・

「三上、」

「んーー」

コーヒーを口に運びながら
返事をする。


「私さぁ、たぶん・・・」




「認知症になると思う。」


視界の端、
盛大にコーヒーが
吹かれたのが見えた。

タイミング、間違えたか・・

「汚ないわね」

私が渡したハンカチで
躊躇なく口を拭いた彼に
思わず笑ってしまった。

「な、何の話だよっっ」


彼の手からハンカチを取り上げる。


「何って・・そんな気がするから」

しばらく見合って、
先に口を開いたのは彼だった。

「・・で?」


彼から外した視線は
目の前の天使に移った。


並ぶ2人の天使は
見つめあう事はなく
1つの水瓶を支え合う。

水を絶えさせない理由が
あるから傍にいれるのか
絶えない水のせいで、
見つめあう事はできないのか

でも、
1人の天使は答えが出てる。

ずっと・・

「・・認知症になったら、
・・三上を忘れられると思うから
それまでは、好きでいようと思う」

「・・・」

「・・何か言いなさいよ」

「・・俺は、・・」

一度、言葉を切った彼は
両手で持ったコーヒーを見ながら

「俺は、・・何も返せない」

呟くように返事をした。

ちがうよ、

「返してほしいわけじゃない。
そう気づいたから、楽になったの」

「・・・」

まだ、視線は上がらない。

「どれだけ想っても報われないって
わかってるのに、それでも、
目の前のあんたに喜んだり、
落ち込んだり・・そんな自分が
・・可哀そうだった。あの夜から
できた溝が自分のせいだったから、
悔しかった。せっかく
大切にしてきたのに・・。」

なんか、話してたら
無意識にタメ息をついてしまった。

「違っ、あれは・・」
「三上・・」


「・・なんだよ。」

ようやく上がった視線。
外さないように
しっかりと合わせた。

「私ね、今まで、たくさんの
理由をつけて生きてきた。それも
全部、自分を否定するような。
怖かったから。
他人に否定されるのが、そんな事
されるぐらいなら、自分で否定
した方が、傷が浅くなると思ったの。
でも、ホントは正直でいたかった。
思ったように生きてみたかった」

キュっと結ばれた口。

「三上が好きだよ。
どんなにたくさんの
理由をつけても、全然、
抑えられなくて。だから、
大切にする事にした。
その気持ちが自然と消えるまで」

「・・んだよ、それ」

大きく息をつきながら
持っていたコーヒーを横に置く。

「まぁ・・迷惑、だろうけど・・」

「誰も、そんな事言ってないだろ」

・・・。

「そ、ならよかった。向こうに
行く前に言っておきたかったの。
・・・・何よ、その顔」

口を尖らせていた。

「・・・自分だけ、スッキリして。
大体なぁ、そういう話聞いたのに
何も考えるなっていう方が無理だろう」

今度は、唇を噛んだ。


・・・・。

ホント、私、どんだけ好きなんだ


「・・何?」

少し緊張した声が左耳の傍で
聞こえたのは、
私が抱きしめたから。

「今、こうしたいって
思ったでしょ」

「・・思ってないよ」


「じゃ、帰る」

別に少しも身体を離した訳じゃ
なかったけど、動きを止めるように
腕が回された。


「・・ほら、やっぱり」


「・・なぁ、この感情・・
なんなんだ?」

「そんなの自分で考えなさいよ」

「お前さぁ」

「“お前”は嫌い」





「・・レン」


耳元で響く声に目を閉じる。


あぁ、やっぱり、好きだ

「何よ」

「俺が弱いの知ってるだろ」

「知ってる」


「・・あの日から、名前で呼べなくて、
近づけなくて・・」

「・・うん」

「知らなかっただろうけど、
・・必死で我慢してたんだ。
レンを傷つける事になると思って」

「・・うん」


回された腕に力が入る。


「なんで、そんな風に
俺を甘やかすんだよ。
・・傷つくだけだろ。」


まったくだ。


でも、

「・・しょうがないじゃない。
こればっかりは、どうしようも
ないんだから。また苦しくなるの
わかってるけど、それでも
・・隼人が好きなんだから」


私の言葉に
ため息をつきながら

「俺が誰かを好きになったら?」

「隼人が幸せならそれでいい」

「じゃあ、別れたら?」

「それは、それで嬉しいから
弱ってるとこにつけこむ」

「…こわっ」

思わず笑ってしまった。

まだ、腕は、ほどかれない。
それだけで幸せだった。

「レン・・もし、俺が年取ってさ、
誰もいなかったら・・」

「身元引受人になって
施設に入れてあげる」

「・・・」


「それから、毎日、面会に行って、
外を散歩して、本を読んであげる」

「・・・」

「あっ、でもオムツは替えない。
そこは、職員さんにまかせる」

私の言葉に彼が笑う。

ふいに浮かんだ
ハンバーグとオムライス。

やっぱり、あの時から
私は、恋に落ちたんだ。

「・・レンの事、忘れるかも」

「大丈夫よ、どんな手を使ってでも
思い出させるから」

「・・こわっ」


なんとでも。

彼を抱きしめなおすと
彼もしっかりと私を抱きしめた。



「・・空港には来ないで」

「・・わかった。」


ようやく腕をほどいて、
視線を合わせる。


ずっと好きだった人、

これからも

ずっと大好きな人。

あなたの背中を見て
涙がでそうだった。

私から離れていきそうで。

あなたの背中を見て
嬉しくなった。

足を止めて
待っていてくれてそうで。


いつか

私の知らない人が
あなたの左手をとる日が
くるかもしれない。


それでもいい。

彼が幸せでありますように。

私が
自分に
正直に生きていけますように。

彼の頬に手を添えると
優しく微笑む彼が少し首を傾けた。


唇が触れ合うだけのキスをする。


愛してるよ、隼人。


本当に


やっかいな片思いだ。


本当に

本当に


幸せな


片思いだ。


ありつつも君をば待たむ 
うち靡(なび)く 
わが黒髪に 霜の置くまでに
*私はいつまでも恋しいあなたを
待ち続けます。私の髪に霜が降りて
白髪に代わっても待ち続けます


fin.

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