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シリア-16- アレッポへ

・ダマスカスからアレッポへ

二日目、翌朝10時にダマスカスを出発しました。目的地はシリア第二の都市、アレッポです。ダマスカスとアレッポを結ぶ幹線道路、通称M5は常に戦闘の最前線でした。政府軍と反体制派はM5を奪うことで自らの補給路を確保すると同時に相手の補給路を奪う目的も兼ねていたのです。

ダマスカス郊外に出ると、右を見ても、左を見ても、さら地です。ダマスカス一帯をアサド政権が掌握したのが2018年です。それから政府軍は破壊された住宅や商店などを取り壊して平らにしました。もちろん、持ち主の許可なく、土地を接収したのです。それでも、解体が困難な建物は放置されたまま残されていました。空爆で半壊していたり、銃弾で蜂の巣にされていたり、戦闘の激しさが車窓から眺めていても分かりました。

ハマの町の巨大水車

途中、ハマという町に立ち寄り、世界遺産にも登録されている巨大な水車を見ました。ハマは初めて訪れました。長閑な田舎町といった印象です。「もう少しハマを観光したい」と言うと、アブドゥルは「ツアープログラムには含まれていないからダメだ」と素気なく断られてしまいました。

それぞれ市内に入る際には、必ず検問があります。特に外国人が乗っていると、兵士の顔つきは厳しくなります。書類をチェックし、ときには上官が出てきて、アブドゥルに何やら質問をしたりします。僕は聞き耳を立てますが、アラビア語もずいぶんと忘れており、内容はほとんど分かりません。過去の経歴がばれていたら、どうしようという不安が付きまといます。

でも、問題ないと分かると、兵士たちは笑顔でいろいろ話しかけてきます。僕もホッとして、片言のアラビア語で受け答えします。反体制派側に立って何年も取材してきた僕にとって、政府軍は残虐非道な人間なはずでした。でも、今、こうして話す兵士たちは、無邪気で屈託のないどこにでもいる普通の若者やおじさんに見えました。

僕は2012年、2013年、2014年、計三度、アレッポで取材をしていました。当時はアレッポは東西に分断され、東が反体制派、西はアサド政権が支配ししていました。僕がいたのは東側の反体制派地域でした。毎日のように政府軍は空から爆弾を落としました。住宅街、病院、学校、モスク、市場、あらゆるものが標的にされました。ただし、無差別爆撃ではありません。意図的に、民間施設を狙うことで、そこで暮らす人々に恐怖を植え付ける、非人道的な殺戮、ジェノサイドでした。

町は粉々になり、電気も水道も遮断され、食料も不足していました。物資の供給も不安定で、市場にある野菜や果物、飲料水、主食のパン、燃料であるガスやガソリン、何もかもが戦争前と比べて2倍から3倍に跳ね上がっていました。そんなとき、ある反体制派の戦闘員が僕に信じられないことを口にしました。

「アサドの支配地域がどうなってるか知ってるか。電気も水道もあるし、若い奴らはカフェで水タバコやってたり、街中は買い物を楽しむ家族連れで賑わってるんだ」

シリア人は冗談が大好きだから、そのときは彼の言葉を話半分で聞き流しました。四六時中鳴りやまない銃声と昼夜問わず爆弾が降ってくる日常、そのすぐ隣では普通の暮らしが営まれている。反体制派の世界とアサド政権の世界、前者に身を置く僕には、後者がどうなっているのか確認する術がありませんでした。あれから8年後、僕は、初めてアサド政権の支配下、西アレッポに足を踏み入れることになりました。

・アサド政権が掌握したアレッポ

実際に訪れてみると、戦闘員だった彼の言葉が本当だったんだと感じました。なぜなら、無傷の建物が大半だったからです。壁に穴があいていたり、広場にくぼみがあったりしますが、僕が目にした反体制派の地域とは比べるまでもなく、被害が少ないのです。アレッポが完全にアサド政権の手に落ちたのが、2016年12月です。あれから5年半が経ち、戦争の面影も薄れているようでした。

初めて足を踏み入れた西アレッポ

翌日はアレッポ市内の観光をしました。目玉は、なんといっても、市内の小高い丘にそびえるアレッポ城です。この城は政府軍の根城で、反体制派は連日のように猛攻撃を仕掛けていました。2014年、僕はこの城の真下で野営する反体制派の戦闘員と共に何日間も寝食を共にしました。地下壕を掘り爆弾を仕掛けたり、迫撃砲を撃ち込んだり、総攻撃を仕掛けたり、反体制派はあらゆる手段を用いて、この城を攻略しようとしましたが、結局、城を陥落させる前に、反体制派はアレッポで敗北をしました。

アレッポ城正面に掲げられたアサドの写真

アレッポ城の周辺はまだまだ破壊された建物がそのまま放置されていました。僕は、当時のことを思い出し、懐かしさに胸が締め付けられました。ガイドのアブドゥルにはアレッポに来たのは初めてだと伝えていました。だから、下手なことは言えません。それでも、反体制派だった支配地区を案内されると、「あっ、その道をまっすぐに行って」と思わず口に出ます。

それが頻繁に続くので、アブドゥルの顔が険しくなります。

「この先は立ち入り禁止だ。テロリストが占拠していた地区だ。どうして、そんな場所に行きたいんだ?アレッポは初めてじゃなかったのか。なのに、まるで何度も来たような口ぶりだな」

「しまった!」と心の中でつぶやき、僕は首を横に大袈裟に振りました。気を付けないとと思いながらも、どうしても考えるより先に行動に出てしまいます。アレッポではたくさんの人々に命を助けられ、取材というより共に戦い、その中で何人もの友人が命を落としました。だから、危険だと了解しながらも、感情に揺さぶられ、気が付くと、余計なことを口にしていました。

反体制派の地域だった東アレッポは多くの建物が損壊したまま放置されていた

アレッポ城を見て周りながら、僕は、またしても、余計なことを聞かずにはいられませんでした。隣にいるアブドゥルに僕は尋ねました。

「アサド政権は戦闘員も一般市民も区別することなく無差別に爆弾を落とした。たくさんの罪のない子供や女性が犠牲になった。これはひどいと思わないか?」

アブドゥルは、少し間を置きました。

「テロリスト(反体制派)だって、迫撃砲を我々政府(アサド政権)の地域に無差別に撃ち込んでいた。それを止めるためにはこちらも攻撃しないといけない」

「でも、迫撃砲と空爆では威力が違う。空爆は建物を丸ごと吹き飛ばすし、周りの人たちが誰だろうと関係なく殺してしまう」

「いや、人口密度が違う。政府の地域はたくさん人が暮らしている。砲弾一発でも何十人と被害がでるんだ。でも、テロリストの地域なんてほとんど人が暮らしてないから、ミサイルを撃ち込んでも、たいした被害にはならない」

「でも、ニュースなんかを見ると、アサド政権が落とした爆弾で50人も60人も殺されてるって報道されてたし、病院や学校まで狙い撃ちにしたって」

これはニュースからの情報ではありませんでした。僕が取材をしている中で、実際に目にしたり、そこで暮らしている住民から聞いた話に基づいていいます。ただ、僕の取材がソースだともちろん言えません。

アブドゥルは「そんなニュースは西側諸国(欧米)が流すデタラメだ」と少し声を荒げると、僕を説き伏せるように口調を和らげました。

「政府軍の空爆で市民に被害が出るのは、テロリストが住民を『人間の盾』として使っていたからだ。市民はテロリストの人質にされていた。攻撃ができないようにテロリストは学校や病院、住宅街を拠点にしてたんだ。だから、多少の市民が犠牲になっても仕方ない。こちらが何もしなければ、テロリストの攻撃は激しくなるばかりだから」

アブドゥルは本心からそう語っているのだろうか。僕は疑問に感じていました。なぜなら、ダマスカス郊外にあった彼の家も2016年に政府軍の空爆で崩壊しているからです。2002年に購入したばかりの新築のマンションでした。破壊された家の残骸をアブドゥルに動画で見せてもらいました。外壁が吹き飛び、家具が散乱し、天井も傾いています。空爆による被害に間違いありませんでした。

「アブドゥルの家も空爆で破壊されたんでしょ?つまり、アブドゥルの家にテロリストが潜んでいたってこと?」

アブドゥルにそのことを尋ねると、「俺の家は戦争で破壊されたんだ」と口ごもりました。政府軍がやったんじゃないかと何度も聞く僕に、そもそもアサド政権に刃向かったシリア人が悪いんだと開き直りました。さらに反政府デモをした連中は、カタールやサウジアラビアから金をもらってたんだとよくある陰謀論を持ち出して、まともな話し合いはできませんでした。

アブドゥルがアサド政権を擁護するのは、彼のビジネスに深く関係します。外国人を相手にツアーガイドをするためには政府からの許可が必要です。そのため、アサド政権をあからさまに非難することはできません。むしろ称賛することでビジネスはよりうまくいきます。それに、アブドゥルは今の荒廃したシリアを見て、口癖のように僕に不満を漏らしました。

「戦争前のシリアは素晴らしかった。民主主義の国々はシリアを独裁国家だと非難するが、宗教も民族もバラバラな国を一つにまとめたのはアサド親子だ。それが、民主主義だ、自由だ、そんな耳障りのいい言葉に騙されて、シリアはおかしくなった」

アブドゥルの言葉の全てに同意はできません。シリアの国民が命をかけてアサド政権に反抗したのにはそれなりに理由もあります。報道の自由も言論の自由もなく、秘密警察が国民を監視する。アサド大統領が信仰するアラウィ派が優遇されたり、汚職や賄賂も蔓延していました。

でも、シリアが今のような姿になるのなら、最初からアサド大統領に逆らわなければよかった。当初は反体制派を支持していた人々も戦争が長引くにつれ、厭戦気分が広がるようになりました。アブドゥルほど直接的ではないにしても、僕はそう言った声をシリア人から幾度も聞きました。でも、それは戦争前と戦争後を比較した話であって、アサド政権が多数の一般市民を殺戮したことは決して許されないことには違いありません。

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