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パキスタンの麻薬事情-2-

繁華街、たくさんの人たちが行き交います。交通量が多い幹線道路、歩道橋の下に30人、もっと多くの影がうごいめいています。影なので気にする人もいません。カラチでは当たり前の光景です。更生施設の職員、ナディームが僕に言います。

「ヘロインユーザーだ」

ナディームは警戒することなく、気軽に彼らに話しかけます。誰もがうつろな眼差しをしています。現実から遠く離れた世界にいるのが僕にも分かります。手には注射器が握られています。地面に倒れたまま、眠り込んでいるのか、死んでいるのか、わからない人もいます。

パキスタンでのヘロインの使用方法は静脈注射が一般的とされている

ヘロインの使用法には3通りあります。鼻からの摂取、経口摂取、静脈への注射です。カラチでは半数以上のドラッグ中毒者が静脈注射を好むとナディームはいいます。理由は、余すことなくヘロインを体内に送り込めることから、快楽が一段と深く味わえるからだそうです。

僕がカメラを構えると、恍惚としていた彼らの表情が強張り、皆が一斉に警戒します。一部の人たちは顔や手を衣類で覆い隠します。イスラム教徒が大半のこの国で、ドラッグの使用は、アルコールと同様にコーランの教義に反します。それは罪であり、許されることではありません。カメラで撮影すれば、個人が特定される恐れがあります。それを彼らは嫌がっています。

ナディームは根気よく、一人ひとりのユーザーに話しかけます。ヘロインの恐ろしさを説き、辞める意思があるのであれば、我々が運営する更生施設で助けることもできると紹介します。僕はナディームの後ろについて、彼らの声を聞きながら、シャッターを切りました。そんなとき、一人の若者が「撮るな!」と叫び、手にしていた注射針を僕の首元につきつけました。さすがに体が硬直して、声も出さず、瞳だけでナディームに助けを求めました。

ヘロイン窟

ナディームは慌てて、若者に声をかけます。僕はある程度、ウルドゥー語が理解できていたのですが、このとき、ナディームが何を言っていたのかは分かりません。ただ、若者は僕の首筋から注射針を離しました。ヘロインを首筋に打たれたら、たぶん死ぬんじゃないのかなあと思います。こういった事態が起きることもあるので、麻薬にしても戦争にしても、必ず頼れる仲間が必要なのです。

・ヘロインに溺れる12歳の少年と女性

たくさんのヘロインユーザーが集まる場所の一つが、カラチの繁華街のど真ん中にあります。30人を超える人たちが幹線道路にかけられた歩道橋の下に群れをなしています。注射針を堂々と腕に突き刺して、そのまま地面に寝そべり、気持ちよさそうに眠る若者がいます。年齢は様々ですが、中にはあどけなさが残る少年もいます。名前を聞くと、ヒラールと答えました。12歳です。

物乞いの稼ぎでヘロインを摂取するヒラール

「ヘロインを覚えたのは半年ぐらい前さ。物乞いをしているときに声を掛けられたんだ。面白いものがあるって。もちろんヘロインなのは知ってた。でも興味があったし、安いから一回やってみた。そしたらやめられなくなったんだ」

ヒラールは物乞いをしながら生計を立てていました。稼いだ額の半分をヘロインに費やし、残りを母親に手渡していると言います。

「両親は僕がヘロインをやっていることは知ってる。でも何も言わない。だって、僕が物乞いをして自分で稼いだお金だから。それにちゃんと母親にお金だって渡してる」

注射針が静脈へとそっと差し込まれます。一瞬、顔を歪めたかと思うと、すぐに快楽の底に沈み、もう周りは見えていないようでした。行き交う人々は蔑んだ眼差しで一瞥をくれるだけです。パキスタンでは児童労働はありふれた光景ですが、働くことで大人と接する機会は増えます。ドラッグの誘いはそうした環境の中でも生まれます。

「女性は家の中でこっそりとドラッグを楽しむ。イスラム教徒が大半を占めるこの国で女性が公共の場でドラッグを使用すれば周囲から厳しい目を向けられる。また性的な暴行を受ける可能性も十分に考えられる」

ナディームが案内してくれたのは、レンガを積み重ねただけの家屋が密集するスラム街です。歩道の両脇を流れる下水の匂いが強く鼻につきます。そのうちの一軒の前で足を止めて、錆び付いた鉄製のドアを押し開けます。

ゴリー(35)は夫に誘われてヘロインに手を出しました。10年以上も前の話です。彼女はヘロインを手に入れるため売春婦として働いていましたが、30歳を過ぎた頃から体調を崩すようになりました。HIVの陽性の疑いがあるとナディームに教えられても、彼女は検査に行くことを強く拒んでいます。

ヘロインを吸引したあと、おいしそうにタバコをくゆらすゴリー

「ヘロインをやめたいけど、やめられないんだ。子供が3人もいる。子供たちを育てるお金は全てドラッグに消えていく。だからやめないといけないのに」彼女が言っていることは嘘には聞こえません。ヘロイン中毒者の大半がこう言います。「今すぐドラッグから手を切りたい」。でも、ヘロインの恐ろしさは効果が切れた後の禁断症状にあります。発熱、頭痛、悪寒、手足の痺れ、全身を切り裂くような激しい痛み、涙や鼻水が止まらなくなり一切の物事が考えられなくなる。不眠症に陥り、心身ともに衰弱する。ある中毒者は禁断症状を抑えるため全身を鋭利な刃物で傷つけるという自傷行為に及んでいました。

禁断症状を抑えるために自傷行為を繰り返す若者

更生施設の職員であるナディームは、強制的に中毒者に薬物を辞めるように説得はしません。ゆっくりとじっくりと彼らに向き合います。幾人かはナディームの説得に応じて、更生施設に入るための手続きをします。その際も、「更生施設に入ったら、もうヘロインは味わえないぞ。だから、今のうちにやっとけ」とジョークを飛ばしたりします。辞める意思があるかどうか、それは本人次第で、他人が強制したところでダメなんだとナディームは言いました。

・売人を追い求めて

「カラチの売人は警戒心が強い。大きな都市だけに警察や軍によるパトロールが強化されている。もし売人と会いたければ、俺が紹介してやる。ただし、カラチじゃないぞ」

彼の名前はジャウィード(48)、元売人です。彼と向かった先はカラチから220キロも離れたミルプル・カースという小さな町でした。

「何でもあるぜ。チャラス、アヘン、ヘロイン、クリスタル(覚醒剤の一種)」

ナイロン袋に無造作詰め込まれた各種麻薬

売人は線路付近でござを広げて、各種様々な麻薬を堂々と売っています。ジャーナリストであることを説明すると、途端に彼の表情は険しくなります。案内役であるジャウィードが「顔は撮影しないから安心しろ」と説得し、インタビューに嫌々ながらも応じてくれました。

アフガニスタンで精製されたヘロインは運び屋によって国境を越えてパキスタンに流れ込みます。運び屋は何十キロというヘロインをトラックや乗用車で各都市の売人に手渡し、売人は買い込んだヘロインを人里離れた村に保管します。そして小分けにした各種のドラッグを町で売りさばく手順です。

「ヘロインは運び屋から1キロ当たり35万ルピーで仕入れて、客には1グラム、600ルピーで売るんだ」

仮に1キロのヘロインを全て売った場合、売人の利益は25万ルピーになります。パキスタンの平均給与が月15,000ルピーから30,000ルピーであることから、悪い商売ではありません。でも、売人は多額の賄賂を毎日のように支払わなければいけないのです。

地区警察と市警察にそれぞれ一日8,000ルピー、ドラッグを専門に取り締まる警察組織の「エクサイズ」に一日2,000ルピー、軍が管轄する「ANF(anti narcotic force)」には1ヶ月50,000ルピー、その他にも様々な場面で警察や軍、政府役人から金をせびられます。

「たまに売人が捕まるが、あれは十分な賄賂を支払わなかったからさ。俺は警察にも軍にもたんまりと金を払っているから、問題なく商売できている。一日の利益は賄賂を除いても5,000ルピーから8,000ルピーにはなるな」

売人はそう言いながら、次から次へと来る客にヘロインやアヘンなどを手渡しています。ここまであからさまに麻薬が売買されているのを目の当たりにすると、汚職の根の深さを実感せざるを得ません。

ヘロインの末端価格は質にもよりますが、1グラム当たり20,000円から30,000円はします。それが僅か600ルピー、日本円にして600円で購入できる。しかも、賄賂さえ支払えば、逮捕される心配はないのです。これではアフガニスタン同様に麻薬が減らないのも納得ができます。

ヘロインに溺れる人々の横でゴミの分別をする子供たち

カラチの橋の下は何百人という中毒者で埋め尽くされています。その近くで、市内からゴミを集めて、分別に励む子供たちがいました。「何してるの?」と声をかけられたので、「麻薬の取材をしてるんだよ」と返答しました。その子は、あまり関心なさそうでしたが、「僕はやらないよ」と言います。「お父さんに怒られるから」。「そうだね」と僕が笑うと、そのまま仕事に戻っていきました。

麻薬の取材で訪れた都市は、カラチだけで終わる予定でしたが、ペシャワル、クエッタにも足を運びました。国全体に麻薬が氾濫しています。ただ、見ようとしなければ、彼らの姿は見えません。でも、少しでも彼らの姿が見えたとき、その深刻な実態に誰もが気が付くかと思います。

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