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シリア-6- アレッポ

2012年5月、僕はシリアから帰国しました。ちょっとだけアラブの春をこの目で見てみたい、そんな軽い気持ちから訪れたシリアでしたが、このまま無責任に放置することはできませんでした。これまで取材をしてきて、発表をしてきました。それはジャーナリストとして義務感からでした。でも、シリアはちょっと違いました。この世界で生きる一人の人間として、許されないことがシリアで起きているのです。だから、それを伝えないといけないという本能みたいなものが働きました。

・シリアに行きたいけれど

僕が帰国してまもなく、ドゥーマがアサド政権の支配下に置かれました。日本のメディアも、ドゥーマ入りをしていました。政府軍にエスコートされながら、「国連による仲介で、停戦が実現しました」とメディアは報じていました。アサド政権がどれほどの罪のない人々をこの町で殺戮したのかは、まったくのスルーでした。

売り込みは珍しく順調にいきました。貯金にも余裕がありました。だから、すぐにでもシリアに向かいたいという思いがありました。ただ、シリアから帰国したばかりの僕に、再びシリア大使館がビザを発行してくれるとは思えません。となると、レバノンからの密入国が一般的なルートになります。自由シリア軍と共に国境を越えて、シリア中部のホムス県に入る。でも、入っても出られなくケースがいくつか報告されていました。レバノンとシリアとの国境は情勢が不安定らしいのです。

僕はとりあえず、いつもの運送会社を頼り、トラックのドライバーに復帰しました。でも、頭はシリアのことでいっぱいです。そんなある日、びっくりするようなニュースが飛び込んできました。シリアで大規模な武装蜂起が始まったのです。2012年7月中旬、ダマスカスとアレッポで一斉に自由シリア軍がアサド政権に攻撃を仕掛けました。「ゼロの時間」という暗号名で噂されてはいましたが、本当に存在するのかどうか、誰もが半信半疑でした。でも、起きたのでした。

・開かれた扉「平和の門」

日本では軽く報じられた「ゼロの時間」も、海外では連日連夜のように日々の情勢が詳細に伝えられました。ダマスカス中心部にまで銃声が鳴り響き、郊外は軒並み、自由シリア軍の手に落ちました。ドゥーマも例外にもれず、自由シリア軍が奪取しました。アサド政権は終わりだろうと思われましたが、ここから、政府軍による無差別爆撃が始まります。死傷者の数も急激に膨れ上がり、もはや統計が困難になるほどでした。

僕はニュースを追う中で、一つのことに気が付きました。ダマスカス周辺の情勢を伝えているのは、現地の住民でした。スマホを片手に映像を撮影して、ネットを通して配信しているのです。それと比較して、シリア北部の商業都市アレッポでは、外国人の記者の姿が目立ちました。自由シリア軍と一緒に行動して、前線からの生々しいレポートを送り続けています。

もしかしたら、アレッポには行けるのでは?と僕は考えるようになりました。どうやって入るのかは分かりませんが、これだけ海外のメディアがアレッポ入りしているということは、どこかの国境が開いていることは間違いありません。密入国のようなリスクの高いルートとは別の何か、、、そうなると、考えられるのは、どこかの国境が自由シリア軍の手に渡った可能性がありました。そうすれば、アサド政権のビザなんて必要なく入国できることになります。

アレッポから近い国境といえば、トルコがまっさき浮かびます。トルコとシリアはいくつか国境が開いています。その中で、アレッポに通じる最短ルートの国境の町は、トルコ側ではキリス、シリア側ではアザーズがあり、ニュースによれば、アザーズは自由シリア軍が落としていました。さらに、難民も大量に押し寄せて、この国境を通過してトルコに逃げ込んでいるようです。ほぼ確定しました。ここからなら、シリアに入れると。

「来月、また辞めるんだって!まだ3か月も働いていねえじゃねえか!いい加減しろよ。次はないからな!」

申し訳ないとは思いながらも、僕は運送会社を早々と退職して、2012年10月、トルコに向かいました。イスタンブールからバスで丸一日かけて、南部の都市、ガジアンテップに到着しました。町の至る所でシリア人を見かけます。さらに、30分ほど車を走らせると、トルコとシリアの国境が見えてきます。この国境には名前があります。

「Bab al-Salam」

日本語にすれば、「平和の門」です。ただ、今、そこは「地獄の門」と呼ばれてもおかしくない惨状でした。何万人というシリア人が着の身着のままトルコ側になだれ込んでいました。シリアで何が起きているのだろうか。僕は、おどおどとしながらも、トルコ側の検問を無事に通り抜けて、シリア側に向かいます。10分ほど歩くと、べニア板で仕切られたブースが見えてきました。そこに、迷彩服を着た兵士が立っています。

「パスポートを見せてくれ。ん?日本人か。何か月か前に、女性のジャーナリストが亡くなったが、あれは気の毒だった。お悔み申し上げるよ」

彼がまっさきに述べた女性のジャーナリストとは、山本美香さんのことでした。彼女は8月、アレッポで取材中、戦闘に巻き込まれて、もしくは意図的に狙われて、命を落としていました。

「よし、通っていいぞ。とりあえず、すぐ横にあるオフィスがメディアセンターだから、そこで車を手配すれば、アレッポまでは行けるさ。ようこそ、シリアへ!」

彼は自由シリア軍の兵士でした。そして、僕は、二度目のシリアに足を踏み入れました。

シリアとトルコとの国境の町、アザーズには自由シリア軍の国旗がひるがえっていた(2012年10月撮影)

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