プロフィールに色々書いてしまうことが恥ずかしい
Twitterにしろnoteにしろ、自分のプロフィール欄に色々書いてしまうことに気恥ずかしさというか、何か見えない抵抗感がある。
この抵抗感は何なのだろうか。たとえ他の人のプロフィールに何かが書いてあっても、「この人はそういう人なんだ」とわかることができるので第三者にとっては書いてあったほうが有益だとは頭の中で考えてはいるのだが……。
こう書いてあるうちに、そういや自分は「自分がこういう人なんだ」と思われたくない気持ちもあるなと思った。
なんで「自分がこういう人なんだ」と思われたくないんだろう。考えてみたけど、まだ言語化まではできていない。
自分は卑下するような自分でもないし、かといって誇らしい自分でもないし、……、うーん、他者から見られるときの自分を意識しすぎている???まとまらないな。わからない。
あとは呪縛を持ってしまうのが嫌なんだろうなというのはある。例えば、〇〇(例えば例として代表取締役社長)と書いたときに、それに見合ったようなツイートをしなければいけないといった呪縛が生まれるのが嫌なんだと思う。
他にも小さな理由は色々思い浮かんだのだけれど、自分起因の理由が多いと感じた。つまり、第三者にとってプロフィールを書いてあることのメリットvs自分起因のプロフィールに書かない理由 で対決したときにずっと後者が勝っていた構図だったんだと思う。そこまで意識したことはなかったのだけれど。自分本位だねえ
一旦変えてみよう。第三者にとってプロフィールを書いてあるときに「この人はそういう人なんだ」とわかるプロフィールに変えてみようと思う。
それで時間経ってみてどうしても気にかかるなら変えればよい。変えた直後は、気恥ずかしさや見えない抵抗感に苛まれることになるだろう。でもまあ死ぬわけではない。一回やってみよう。