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【治療歴10年】子宮内膜症と多嚢胞性卵巣

タイトルの通り、子宮内膜と多嚢胞性卵巣を患っていました。
主人には言おうか、言わまいか迷ってるタイミングで妊娠したので、病気のことを家族は両親も含めて誰も知りません。
今回は治療の経過だったり、結婚する前後の主人とのことなどを書こうと思います。
※これから結婚される方はちゃんと話しておくことをオススメします。

難治性だねー」と言われたわたしでも妊娠できたので、
妊娠はしていなくても何かしら症状のある方や、
治療をすでにしている妊娠希望の方に少しでも届いたらと願っています。

治療について

診断されるまで

とにもかくにも高校時代から生理前の症状が重かったわたし。
生理になる前は「血液が鉛になったの?」と思うくらい身体が重たく、座っているのも一苦労な状態でひどいときにはほぼ1日熟睡していました。
そして食欲もすごい。シャトレーゼでケーキを5個買ってペロリと平らげた朧げな記憶も…。
そしてニキビがひどくて、基礎化粧品で工夫しても何も改善しません。

早く病院に行きたかったのですが、
両親にバレたくないという思いから学生時代はひたすら我慢していました。
ほら、父の扶養なので、どの病院にかかったか後々ばれちゃうでしょう?
「婦人科」、「レディースクリニック」なんて文字を見たら我が家は大騒動になってしまうので(笑)

で、ようやく就職したわけです。
お昼ご飯を食べながら先輩とそんな話になったとき、先輩自身も治療をして楽になったから早く病院に行くようにと勧められました。
まだ保険証は届いていませんでしたが、労務に仮発行してもらい、先輩と同じ不妊治療を得意とするクリニックに受診したのが10年前の4月です。

そこでついた診断がタイトルの通り、子宮内膜症と多嚢胞性卵巣
昔過ぎて詳細は覚えていませんが、
難治性だねー
・なんで早く来なかったの
・普通なら生理痛なんてないんだから、症状がある地点で何かしら起きてるんだよ
といったことを院長のおじいちゃん先生に言われました。
どんな病気か全く知識はありませんでしたが、
直感で「妊娠できないかも」と思ったことは覚えています。

治療方針

・治療用のピル
・月2回のホルモン注射

あれよ、あれよという間に決まる治療方針。
わたしの意思など存在しません(笑)。
ま、選択肢を与えられてもわからないのでいいんですけどね。
ピルで生理をコントロールすることで子宮内膜症がやわらぐとかそんな説明だったような…。

この注射が本当に辛かった。
確か生理の時期から注射のタイミングが決められており、それに合わせて受診しなくてはいけないですし、
倦怠感と足のむくみもひどかったです。

数ヶ月通ったタイミングでニキビについて相談したところ血液検査で高プロラクチン血症と、ひとつまた病名が増えました。
脳一部、下垂体の異常で本来は母乳を作るためのホルモンが分泌されていたそうです。
こちらはアルダクトンと呼ばれる一般的には利尿剤で治療。

治療経過

結局注射は半年以上続けた記憶があります。
ピルは途中で先生が脳梗塞のリスクがわかったので、「生理を完全に止める薬に変えませんか」とご提案いただきました。
生 理 を 完 全 に 止め る ? ?
そんなことしたら妊娠できなくなるじゃないか、と呆然としたのをよく覚えています。
先生の説明によると薬で妊娠している状態と同じホルモンバランスにするため、
身体が妊娠したと勘違いをして生理が来なくなるそうです。
そして、薬をやめたらちゃんと生理はくるとのこと。
わかったような、わからないような気持ちでノアルテンを処方してもらってきました。

やっぱり擬妊娠状態になるので1ヶ月くらいは全然治らないむくみに悩まされましたが、
人間の身体ってすごいですね。いつの間にか気にならなくなっていました。

2年、3年服用し続けたタイミングで先生から「だいぶよくなったね」とのお言葉。
軽い感じで薬をどうするか聞かれましたが、
その頃には生理が来ないことに慣れ、むちゃくちゃ楽をしていたので「このまま続けまーす」とわたしも軽く返しておきました(笑)。生理がないとナプキン不要、旅行や外出のときに生理のタイミングを考えなくてもよく、
結局プロポーズされるまでお世話になりました。

それで、症状は?

この頃にはわたしの体調も改善しており、生理前のだるさや生理痛は、
生理がないので当然といえば当然ですが、なくなっており、
至って普通な快適な生活を過ごせるようになっていました。

最後の最後まで治らなかったのはニキビです。
数値が下がったので、アルダクトンは途中で服用しなくなりました。
大量に存在していた膿のようなニキビは数個できる程度に減りましたが、やっぱり顔にできると目立つし、気になりますよね…。 

生理が来るのか、排卵するのかは、薬を飲み続けていたこの段階では不明です。

主人とのこと

何度か言おうと迷いました。
多分病気のことを言っても別れる選択をする人ではないのですが、わたしに勇気がなかったのが最大の理由です。
心配させるのではないか、子どもができない可能性で悲しませてしまうのではないか、と。

結婚後に急に産婦人科だの、妊活だの言い出したら何事かと思うだろうと
結婚の話が出始めたあたりから、
生理前の症状がひどくって、生理痛が重くって、
なんて話題を振るようにしていました、わたし。

そしてしばらく様子を見てダメそうなら、
病院を変えたら診断を受けたと
そんな流れで話を切り出そうと考えていました。

今思うと不誠実ですね。笑
どこかで「難治性と言われても10年治療してきたんだもん。妊娠できてもいいんじゃない?」なんて甘い考えもあったのかもしれません。
結局無排卵のままだったので、クロミッドに頼るのですが、
随分と長くなってしまったので、その話はまた今度。

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