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「Jリーグ初勝利から得たこと」vs.盛岡

2024明治安田J3リーグ 第4節
VSいわてグルージャ盛岡
3-1 勝ち
スタメン

まずは、遠い盛岡まで足を運んでくださったサポーターの皆さん、本当に熱い応援ありがとうございました。
そして、DAZNで観戦された方、境港で開かれたPVで観戦された方など、皆さんの声援のおかげで、今シーズン初勝利という結果を得ることができました。ありがとうございます!

では、早速この試合を通して得たこと、考えたこと、主に2点。
整理していきたいと思います。
特に、1はサッカーに触れる全ての方々に、2はGKに関わる全ての方々に、読んでもらいたいです。
今回もよろしくお願いします!

1 チームの勝利と個人の活躍の関係

つい、先日、『競争闘争理論』という本を読みました。サッカーについての本です。
この本には僕がサッカー選手としてモヤモヤしていた部分を非常にクリアにしてくれました。
そのモヤモヤの1つがチームの勝利と個人の活躍の関係についてです。
そして、この試合で早速、顕著にこの関係を表現するのにぴったりな内容だったと思います。
特にGKにとっては。

まずは、サッカーにおいて、最大の目的はチームの勝利です。これは揺るぎません。
そして、これに向かって、選手はもちろん、コーチ陣などチームに関わる全ての人が戦っていきます。
その中で、それぞれ色んな役職や役割が与えられそれらを全うします。
僕はそのチームの勝利のために与えられた自分の役割にただひたすら向き合うことが全てだと考えていました。
ただ、ここに落とし穴があります。
その個人に与えられた役割に向き合いすぎると、個人の活躍はチームの勝利に向かわず、自分のパフォーマンスさえ良ければ満足してしまうという個人の勝利に向かっていってしまうのです。
ここが僕がこれまでサッカー選手として、特に、特殊な孤独なGKとして、抱えていたジレンマでした。
今シーズンの開幕戦では、0-1で負けたものの個人のセーブ数やハイボール対応ではある程度満足のいくものでした。ただ、チームは負け。
そして、今節は、自分の1つのミスが失点に繋がり、個人的なパフォーマンスは反省が必要なものの、チームは勝利。
自分のパフォーマンスは良いのに勝てないのと自分のパフォーマンスは悪いのに勝つという、僕にとって圧倒的なジレンマがここにはありました。
特にGKはいわゆる“減点法”で評価されるので、このようなチームの勝利と個人の活躍がなかなか合わないことがあります。このジレンマがよりサッカー選手を陸上選手のような個人種目的スポーツ選手にしてしまって、仲間との繋がりやコミュニケーションという重要な要素から切り離させてしまいます。

先ほど紹介した本では、サッカーでの個人の役割は影響を与える与えないというような表現が使われています。
理由や理論などはここでは説明しません。気になった方はぜひ読んでみてください。
良し悪しは別として、文化的に職人気質な日本人だからこそ、団体スポーツにおいても個人の活躍が美徳とされます。俺はこんなにやったんだぞ、ここまで力を出したんだぞ、というような背景がすぐバズります。それはやっぱり個人スポーツに起こるべきことです。
我々がスポーツとひとくくりにするは、それぞれを見ていくと絶対的に本質が異なるものが存在します。
サッカーはチームの勝利だけが美徳なのです。
現在、町田ゼルビアが示しているサッカーがJリーグで1番美しいのです。

このnoteを読んでくださる皆さんはサッカーが好きな方が多いと思います。
ここで僕が綴ったことは、多くの方のこれまでの考え方の逆をいくもので、読んでいて心地の良いことは書いていないと思います。この心地の悪さは日本の文化が影響していて、その文化は歴史的なものでなかなか変わるものではありません。僕自身も、この考えに出会えるまで、潜在的な思慮深い日本人文化の頭でしか、サッカーと向き合えませんでした。サッカーのルーツは日本ではないことを今一度再認識しましょう。サッカーに携わる全ての方々の頭のチップを取り替えなければ、いつまでも日本サッカーは世界に対して美しくならないようです。

このように僕自身も今まで、分かりやすく、見栄えの良い、個人の活躍に逃げていましたが、もっとチームの勝利のためにやるべきこと、やらなきゃいけないことを考えていこうとこの本と今治戦と盛岡戦から学ぶことができました。ブラジルのサッカー界でマリーシアと呼ばれる言葉があるのはブラジルだからではありません。『サッカー』だからです。

読書感想文っぽくもなってしまいましたが、人生も思考もシームレスです。
良い影響を与える人間になれればな、と。

2 GKが立つ場所

「GKが立つ場所」と書きましたが、これは技術的ないわゆるポジショニングの話ではありません。
もっと大きな視点での話です。

僕自身、GKとして、Jリーグも今さっき、初勝利したばかりの身分ですが、GKの良さを広めたり、今、GKをやっている子どもたちを助けたりすることが出来たらなと思っています。
その中で、僕が思う、GKが立つ場所について、この機会に整理しておきたいです。
少しでも参考になれば嬉しいです。

まず、前提の事実として、当たり前のことを言葉にしていきます。

GKは
唯一、手が使えます。
唯一、ユニフォームの色が違います。
唯一、GKがいないと試合が中止になります。


まだまだ挙げられますが、一旦、この3つを選びました。
特筆すべきは、表記上わかる通り、3つ目です。
我々GKはサッカーが成り立つために必要不可欠な存在なのです。

これが、僕が考えるGKが立つ場所、立っている場所です。

では、もう少し深く考えていきましょう。

相手のことを直接的に邪魔することができるサッカーやバスケなどのスポーツは相手が目の前で邪魔しようとしてくるから面白いのです。
他のスポーツとの圧倒的な違いはこの邪魔という点にあります。
1でも書きましたが、サッカーにおいて個人のパフォーマンスのみが美徳とされてはいけない理由はここにあります。個人のパフォーマンスにフォーカスしていると対戦相手からの邪魔や影響を考慮していかなくなってしまうのです。

言葉として僕は「邪魔」を選択したので、ネガティブな思考を引き出してしまうかもしれませんが、何も普通に、皆さんがディフェンスと呼んでいることは「邪魔」以外の何物でもありません。
この邪魔=ディフェンスをどうにかしてかいくぐろうとしたり、相手の攻撃をルール上、倫理上で邪魔するのが、サッカーの醍醐味です。勝っている状況下でルール内で時間稼ぎをすることは美しいのです。個人スポーツでは起こり得ない特有の面白さなのです。
サッカーの醍醐味がGKにはっきりとルールブックに明記されていることをこのように言われれば理解が簡単なものをこうして言語化し、きちんと整理して欲しいなと思います。意外と認識出来ていないことが多いと思います。
GKが偉い、立場的に上だぞ、と言いたいわけでもちろんありません。
自身と過信は紙一重であることと同じことだと思っていただければと思います。

良い理解で、全てのGKが自尊心を持って、唯一無二のユニフォームを纏い、あの、時に最大限を輝きを放ち、時に、形容し難いどん底を味わえる、GKしか立てない場所に、立って欲しいです。


いつでも僕はGKの仲間です。


以上、2点です。
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たくさんの方に読んでもらい、そして、正解のないものを愛して欲しいなと思います。
今回も読んでいただきありがとうございました😊


GK 櫻庭‘立’樹より。

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