母上、先生、あんたら図星でござった

※こちらの記事は、自分の思考や過去を整理する目的で書いています。また、いままで他人に言ってこなかった本音をあえてありのままに書いています。毒吐きです。読後感が大変よろしくないと思います。どうぞ、ご容赦ください。

 アプリゲームが好きで、ちょこちょこ時間を割いてやっています。
 難しいステージをクリアすると、そのクリア数に応じて「勲章」とかがもらえたりします。「金の勲章」「銀の勲章」「銅の勲章」てな具合にね。一種の称号みたいなもので、ユーザーのコレクター精神というか、達成感をくすぐるおまけコンテンツです。
 わたしは「金の勲章」を持ってます。勲章が付与されていない他ユーザーを見かけたときに「むふふ」と思います。完全に自己満足の、ちょっとした優越感を感じるのです。ゲームは暇つぶしでハラの足しにもならない娯楽なワケですが、ガンバった自分を誇らしく思う。
 ただ、ゲームのファンが集う掲示板では「金の勲章取れてないヤツ、ヘタクソ~」とか「勲章取れてない勢、テラワロス」みたいな、ちょっと斜め上のコメントも見受けられます。
 「金の勲章」は、そのゲームの中で通じる称号であり、「そのゲームの練度が高い」以上の意味はありません。ステージのクリア数に応じて付与されるので、他ユーザーと競って優劣をつけるものでもない。そのゲームで「金の勲章」だからといって、別のゲームの練度も高いわけではないでしょう。「テトリス」と「シューティングゲーム」では、まったく違う方向性の練度が必要になる。当たり前のことですね。

 さて、ここから自分語り&真黒な本音のぶっちゃけタイムとなります。いいですか、いいですね。今回は本当に救いがありません。ブラウザバックするなら今ですぞ。

 わたしは、機能不全家族の中で「貧乏くじ役」として、ガンガンにいじめられてきました。
 母は、わたしに対して「弱い者(妹)をイジメて楽しいのか」とか「お前は自分さえよければいいと思っているのだろう」とか、ことあるごとに罵ってきました。
 また、田舎の小学校で少しばかりお勉強がデキタことを、教師からも生徒からも「お前は勉強ができないヤツのことをバカにしている」と、ネチネチネチネチ人格攻撃をされてきました。

 幼いわたしは、「違う!」と思いました。
 自分さえよければ、なんて思っていない。他人のことをバカになんてしていない。
 だけど、クチでいくら伝えても、些細な行動の上げ足を取られたり、計算が早くできて手持ち無沙汰でまだの子を待っていたりすると、「ほれみたことか」と言われるわけです。
 そこでわたしは、「他人の気持ちに寄り添うこと」「自分が得意なことに対しおごったりせず、『デキナイ』人に寄り添おう」と、自分なりに心掛けて行動に表してきた、つもりでした。
 だけど、家族のためにと「気持ちを寄り添って」きた結果、自分に残ったのは「自分を顧みないDV男に情の限りを尽くして、結果燃え尽きたらこうなるのかな」みたいな境地だったり、他人軸に巻き込まれて、いいように扱われる「都合のいい」人ポジションだったりしたわけです。
 わたしは、自分にとって「どーでもいいこと」を、「自分にとってはどうでもいいけど、相手が大切にするなら自分も尊重しよう」みたいな姿勢で接してきました。もう疲労困憊です。
 どーでもいいこと、は「どーでもいい!」と線を引かなければならない、と今になって気づきました。

 また、自分が得意なことを苦手とする人に対して「バカにしたような態度を取らない」ことを心掛けてきました。「バカにした態度を取らない」と言ってる時点で、上から目線で恐縮なのですが、もともと小学校のアホ教師から言われたのが「お前は勉強ができないヤツのことをバカにしてるんだろう」だったので……。相手が、どんなに稚拙で視野の狭いことを言っていても、その言うことに一理あると耳を傾け、その意図を汲み、できるだけ寄り添うことを心掛ける、ようにしてきました。自分なりに、ですよ。
 家族に対しても、同級生に対しても、心掛けてきました。
 だけど、最近。そうつい最近。
 仮面ホワイトな職場のおばちゃん上司や他の同僚と接していて。
 ああ、わたしはこの人たちのことを「バカだ……」と思っている、と。もう、庇いようもフォローのしようもなく、ちゃんと線を引いてこちらが身を正して付き合わなければならないと。相手を分かろうとする、その努力がすべて徒労であると本当に真剣に思うほど、「こいつら、バカなんだ……」としみじみ感じるのです。次元が違う。寄り添うとか、理解するとかいう以前に、存在の次元が違うとしか思えません。

 そもそも、学校で言われる頭のいい悪い、なんて、ゲームの「金の勲章」以上のものではないと思います。
 学校では「テスト」だの「受験」だので比較されるので、多感な時期に優越感や劣等感を刺激される側面はあろうかと思いますが、基本的には「そのゲームの中で頑張った自分が達成した小さな誇り、喜び」以上のものではないと思うのです。
 わたしは「クラスで一番」計算がはやかったですが、別にうれしくもなんとももなかったです。逆に「おねえちゃんは勉強ができる」と言われていたので、「できなければならない」とプレッシャーでした。そう、「おねえちゃんは勉強ができる」と言われ、もうそこしか精神的なよりどころがなく、「わたしはできる」を拠り所としてきた部分はあります。井の中の蛙ですね。最終学歴は、地方の国立大学です。勉強ができる?ちゃんちゃらオカシイわ。
 ただ、通っていたそろばん教室で2級がなかなか合格できなくて、1年以上かかってやっとギリギリ合格できたとき、ほっとしました。もう合格なんてできないものだと思っていたけど、なんとか為せるものかと、思いました。
 そういう「あ、やれば自分にもできるんじゃん」という積み重ねが、その人の自信を作っていくものだと思うんですよね。現在の学校教育は、将来会社で8時間勤める(=ガマンする)ことができる「均一に能力ある人材を育てる」ことが目的なので、成果や結果をテストで図ったりするのでしょうが、社会人になって周囲にいる人と会話をすると「なんてバカなんだろう」と冷静にしみじみ思います。「均一に能力ある人材」を育てた結果がコレかと。自分と同じ大学出身の方に対しても思います。偏差値の問題ではないのでしょうね。
 
 わたしはこれまで、親や先生に「あなたは○○だ」と人格攻撃されたことに対して、「違う!」とムキになって自分を律して生きてきました。人の気持ちに寄り添うように、相手をバカにしないように、努めてきました。
 ですが、人の気持ちになど寄り添えません。人の気持ちも分かりません。わたしは自分がよければいいと思う、身勝手な人間です。また、バカにはもう「バカなんだ」としか思えません。寄り添えません、バカすぎて。存在が異次元です。かかわりません。めんどうなので。
 いままで、母や先生から押し付けられた「わたし」に対するレッテルと戦ってきましたが、もう降参します。あなたたちの言う通り。わたしは自分勝手で、周囲のバカをバカだと思っています。いやバカなんて、馬と鹿に失礼ですね。言語の最低限の整合性が取れていないうえに、それを「わたしっておおらかだから、細かいことは気にしないの」といけしゃあしゃあといってのける厚顔無恥ぶり。なぜその有り様で二足歩行してるのか。1万年前の猿人類だか類人猿だかからやり直した方がよろしいようにお見受け致します。猿人類の方が、文明レベルはともかく、品性レベルは高いと思いますけどね。
 まあそんなこんなで、今回は本当に救いようなく思うところをただただ吐き出したひどい内容でしたが、他人に貼られたレッテルにあらがって、自分を美化しても、毒になるだけで何にもなりません。
 外面は多少磨かれたかもしれませんが、最低限の社会性以上の外面なんて、極論必要ないですよ。やりすぎると、自分の首をしめるだけです。「100%いい人」なんていないのに、「100%いい人」みたいにふるまってるわけですから。
 他人のレッテル貼りについては、現在の職場で思う部分があるのでまた記事にしようと思います。
 今回は本当にただの毒吐きでした。ごめんなさいね。
 ここまでうっかり読んでしまったあなたに、ちっぽけなわたしにできる最大の感謝を持って、記事を終えたいと思います。読後感よろしくなくてごめんなさい、ありがとうございました。

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