無作為に選ばれたペンギン

※こちらの記事は、自分の思ったことや家族との過去を整理し、また公開するという練習を兼ねて、思うまま気ままに書き連ねている自己満足感満載の自分語り記事でございます。読後感はお約束致しかねます。どうぞご容赦ください。

 家族LINEで、母がこんなメッセージを投稿してきました。

「おとうさんが歯がいたいのよ、でも怖いから歯医者に行きません。痛み止めを飲んでがんばっています。」

 は?と思いました。なんでも、生まれてから一度も歯医者に行ったことがないそうです。いや、それは結構なことなのですが、それと「歯医者は怖いから行かない」という現象がまったく結びつきません。

 過去の自分語りで恐縮ですが、うちの実家は機能不全家庭で、わたしは貧乏くじ役でございました。なので実家とは適度に距離をとるように心掛けています。
 母とはねちゃっとした確執がありますが、父とはなにもないのです。そう不自然なくらい、なにもないのです。10歳まで、マトモに個人的な会話をしたことがほとんどありません。そのくせ、「お前は常識がない」ということをさんざんに言われてきました。ね、機能が不全状態でしょう? 

 父自身が、機能不全の環境で(祖父母マジGJ)、健全な精神的発育を得られず、いまだにその状態にとらわれているのだと思います。でももう、遠くから観察するしかないくらい、わたしは父とかかわり合いになることはないと思います。ネグレクトっていうのかなあ、精神的なネグレクト。
 母は、依存体質な方で、何かにつけて「お父さんがお父さんが」と立てようと(その責任を丸投げしようと)してきました。しかし、そのお父さんは、精神的な柱がまったく育っておらず、まったく頼りにならなかった。そのしわよせが「おねえちゃん」に少なからずきたいたのであろうことは、最近少し分かってきました。分かったからといって、わたしの溜飲が下がるわけでも、家族を許せるわけでも、自分の精神的未熟さが解決するわけでもないのですがね。

 頑なな子供のような「お父さん」を、何とか立てて家族の体裁を整えようとするのが、わたしの家族の在り方でした。
 そんなお父さんの「わしは怖いから歯医者に行かない」を、実家にいるときのわたしは「歯医者に行かないなんておかしい!」と正義のツルギで戦ってみたり、「うん、お父さん、歯医者に行きたくないんだね」と優しい抱擁のコロモで包み込もうとしてみたり、してみました。
 どこかに、相手に変わってほしいという願いがあったのだと思います。今も、正直少しあります。ただ、相手は変わらない。本当に、「頑なな子供」のまま、そこから変わろうとしないのです。
 60歳を超えてそうなので、おそらくもうそのままでしょう。

 で、わたしは今回趣向を変えてみることにしました。
 LINEメッセージの返信に「えー、ヨクワカラナイ人だね。でもお大事に!」とびっくりした楽天パンダのスタンプを緩衝材にしながら、突き放す?ようなメッセージを送ってみたのです。
 「歯医者に行きなさい」と正論もダメ、「そんなおとうさんだから」と認めるのもダメ、もう「分からない人ですね」と達観した態度をとってみるのがいいのではないかと、考えたのです。

 まあ、家族からは「はーい、心配ありがとう」で、やりとりは終わったのですが、「分からない人だ」と送った、その言葉に対する自分の中での気づきがあったので、こちらの記事を書いております。
 前置きが長くなって、申し訳ない。

 いままでわたしは、機能不全家族が、理に合わないことをするたびに「なんで」と思ってきました。それは、必死に理由を探し、その環境の中で自分の在り方や居場所を確立していかなければならない幼子の、必死の模索でした。
 「なんで」の後ろには、(なんでわたしはこんな目に遭わなければならないの)という、「家族」の中で割り当てられた「貧乏くじ」という役割に対する不満と抵抗がありました。その「なんで」の答えは、結局分かりませんでした。
 ただ、集団の中でいびつな作用がかかつたときに、種として誰かを「イケニエ」にする必要があるのではないかと推察します。
 立ち読みした本の中に、こんな話がありました。記憶を頼りに書いているので、少し間違っているかもしれません。
 あるペンギンの群れは、餌をとる際に海に潜ります。海の中にはペンギンをエサとする天敵がいるかもしれません。なので、群れの一匹を最初に蹴り落として、仲間の死体が浮いてこなければ、群れの全員が海に入るのだということです。「群れ」という集団を守るために、「個」を犠牲にする自然の摂理です。もちろん、イジメだとかイヤガラセみたいな「意図」などペンギンは持っていないでしょう。
 その「無作為の一匹」が、「機能不全家族の中の貧乏くじ役」だとすれば、それは集団にとって必要な犠牲なのだと思います。しかし、現代日本の集団は「いびつな圧」が常にかかり続け、それが長期にわたると心身に影響を及ぼしてしまう。天敵に食べられてオシマイ、ではないのです。延々と、その集団をリタイヤするまで、搾取され続ける枠組みの中に取り込まれてしまう。人間は、「自然」の部分と「理性」の部分がありますが、群れの「人柱」が自然の部分の摂理であるなら、そこに罪悪感や悪意などないわけです。「苦しかったよ」と家族に何度訴えても、きょとんとされました。自然の摂理だと、言い聞かせようとしても、やるせないものです。

 なので、「なんで」と問うことは、意味も救いもないのだと思っています。
 その代わりにと使ってみた「分からない」。
 コレ、分からないと突き放すように見えて、その実「分からないことを分かりたい」という意図も含んでしまいますね。
 本当に、相手のことを突き放し、自分から切り離した異物として扱うのに、よい言葉はないものでしょうか。

 「不可思議」とか「不思議」というのも、相手への興味や関心を引く言葉です。
 「ご勝手に」だと、(本当は病院に行った方がいいと思いけど、お父さんの意思を尊重して)といった意味が入ります。
 相手を「分からない」「不思議」と形容したり、相手の行動を「勝手にどうぞ」というのは、「相手」を主軸にしているので、相手への干渉が暗に含まれてしまうのかもしれません。

 では、「自分」を主軸にした言葉はどうでしょう。
 「どうでもいい」これは本音ですが、相手とのコミュニケーションを全否定する言葉ですね。「関わりたくない」も同じ。

 オウムのように相手の言葉を繰り返すという手法もあります。
「へー、歯が痛いんだ。歯医者行かないんだ。痛み止め飲んでるんだ」と。
 これは一見、事実を繰り返しているだけのようですが、相手の状態把握を繰り返すことで再度自分の中に落とし込んでいる作業です。言葉を繰り返すことで、自分の中に取り込んでしまう。カウンセラーの方などは、うまく「忘れる」術を持っておられるのでしょうが、わたしなどは一体化しやすいみたいで、後後になってその時のやりとりを延々空耳リピートしてしまいます。

 「お大事に」、これが無難でしょうか。「お大事になさってください、治ることをお祈りしています」と。もう、お父さんの歯の行く末を神様に委ねちゃう。ただこれは、相手の歯の痛みが治ったかどうか、行く末を気にさせてしまう側面があります。

 と、だらだら書いていたら、立った今、妹が端的かつものすごく正解のメッセージを送ってきました。
「歯は大事」
 正論!誰も傷つけない、誰も裁かない、誰にも干渉しない、超正論!!

 すごいや、尊敬する。人との距離のとり方が上手な子だなあ。親とのコミュニケーションで困ったら、彼女に相談しようと思います。

 こんなオチですが、すっきりしたので終わります。本当に自己満足な記事でごめんなさい。ご拝読ありがとうございました!

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