K先生

 今はどうしておられるか、皆目見当もつきませんが、小学校の時に2年間担任であった方です。

 先生、と便宜上表しましたが、はっきり申し上げると人間のクズと認識しております。色黒でぬん、とした異様な存在感を持った男性で、「校長や教頭は変わっていくが、わしはこの学校にずっといる(校長や教頭は怖くない、やりたいようにやる)」とはっきり言いました。教頭先生もその場にいたと思います。

 個人的な主義思想を公然と押し付ける方でした。

 平和学習の一環で、第二次世界大戦で日本が降伏したときのことを学習した際には、「天皇(呼び捨てでした)は、自分の命が惜しいから沖縄をアメリカにくれてやった」といった趣旨の発言をされました。また、異様な全体主義・平等主義で、「班のメンバー全員、計算ドリルが終わるまでチャイムが鳴っても休憩してはいけない」「(すべての授業が終わった)放課後居残らせて、家に帰さない」「給食時間に生徒を廊下に並ばせ、教科書を暗唱させる」など、文字通り「やりたいように」やられていました。

 わたしは当時、学習塾に通っており、K先生が授業後も居残らせたために、塾に行くための電車に間に合わず、「電車があるので帰ります」というとクラス全員に向かって「塾になんて行かんでいい。おい、これが塾に行くもんじゃ」といった趣旨のことを言われました。(当時、塾に通っていたのはクラスでわたしだけでした)。彼は教室の中で絶対権力を持っており、少しでも逆らうとトられる雰囲気に満ちていました。母は「塾があるから帰らせてもらえ」と軽く言い放ちましたが、母から先生に言付けしてくれるわけでもなく、自分が矢面に立って戦わなければなりませんでした。また母は、「あの先生はおかしい」という口で「先生の言うことは聞かなければいけない」と平然と言い放ち、子供心にダブルバインドに翻弄される日々でございました。

 わたしがK先生から言われて、いまだに忘れられない言葉があります。田舎の小さなコミュニティの中では勉強ができたわたしは、計算ドリルもほとんど一番乗りで終わっていました。「先生、終わりました」とノートを提出しにいくと、「○○ちゃんは、輪を乱すね。そんなじゃ人から嫌われるよ」と諭すように言われました。繰り返しますが、田舎の小さな学校で少々計算が早かった程度の生徒です。それを「あの子は勉強がよくできる」「○○ちゃんはよくできるから(嘲笑)」と特別視(笑)され、精神的に孤立されられ、計算が遅い子からは「わたしのこと、バカにしてんだろ」と目の敵にされ、なかなか身も心も削る日々でございました。人と群れないことが習性づいてしまい、面倒ごとから離れたがるクセができてしまって、いまだに職場で苦労しています。困ったことだなあ。

 そうそうもう一つ。帰りの会「こまったこと」で、内容は忘れてしまいましたが、名指しされ、わたしと他2人、計3人が立たされてあーでもない、こーでもない、と長時間延々と拘束されました。もちろん、クラス全員その場で拘束されていました。トイレに行くこともできず、わたしはクラス全員の前で失禁してしまいました。あの時の空気は、なかなか忘れられません。それでもわたしは「問題を起こしてしまった…」と自分を責めていました。母からも祖母からも「問題を起こしてはいけない」と呪いのように言われていましたから。

 これって、今だったら、何かしら問題になるのかしら? 本当に当時PTAも教育委員会も、何も関知していなかったのでしょうか。まあ、1番のガンは「親」ですね。わが子がそうなっても、「あの先生はおかしい」「あの先生に逆らってはいけない」で、「なかったこと」になりました。

 で、結局K先生(笑)は、わたしが卒業した後、新しく赴任してきた教頭先生によって、異動となりました。おそらく、現在は定年を迎えているでしょうが、公立の小学校に勤めていた教員免許を持った方の実話です。

 長らく、わたしのなかで「あの先生が…」「小学校が…」「親がー」「家族がー」とがーがー言っていましたが、公開してみればスッキリするかな、と、好き勝手に書き連ねてみた所存です(笑)。書いてみたら、少し客観的になれた気がします。万一、お付き合いくださった方がおられましたら、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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