「期待してる」よ

※こちらの記事は、自分の体験から過去や思ったことを整理するために、自分のブラックな本音をあますところなく書き連ねた自己満足感満載の自分語り記事でございます。読後感には責任持てません。どうぞご容赦ください。

「あなたには期待しているのよ。もっとできるって」
 職場の上長面談で言われました。
 今日のお相手は、いつものおばちゃん係長ではありません。もうワンランク上のつわもの、ドン(首領)・課長でございます。長年労働組合女性部長としてブイブイ言わせた人脈と声の大きさから、数多の者に影に表に恐れられるヒエラルキーの支配者、部下には飴と鞭を使いわけ、甘い言葉で相手の本音を引き出したかと思えば、何か不都合な言葉が出てくるとすかさずカウンターパンチを食らわせ出鼻をくじく、弁舌達者な百戦錬磨の剛の者でございます。
 ただのオバカなおばちゃん係長とは格が違う。相手の状態に目配りし、ささいな変化を逃さず、一見その心情に沿うようなそぶりを見せるので始末が悪い。
 わたしはつい最近、病気休暇を取得しました。比較的短い休暇で事なきを得て、さて復帰の段取りになったときに、あーだこーだとドン(首領)との間で言った言わないの問答が繰り広げられ、主治医も総務課長も産業医も引っ張り出してすったもんだした挙句、「しんどかったら有給つかってぼちぼちやんなさいよ」という、ものすごく普通のところに着地した苦い経験があります。
 話を聞くようなそぶりにつられて、ちょっと心を開いて本音を言おうものなら、その咢(あぎと)に首から上を喰われます。恐ろしや、あな恐ろしや。

 まあ、物心ついたときから家族にいじめられてきた極度の人間不信が、必要以上に恐れおののいているだけ、とも言います。
 うひゃー、ドン(首領)かー、と同僚の皆さん言いますが、うまくやっておられますよ。マジスゲーや、尊敬する。

 そのドン(首領)課長からですね。冒頭のセリフを、さも「あなたのためを思って言っているのよ」と言わんばかりの情ある調子で言われたのです。
 「あなたはもっとできると思ってるから、期待してるのよ」そして、こうも言われました。「期待されなくなったら、おしまいよ」。

 こんなふうに言う人、よーく知っています。わたしの母です。
 さあ、ここから過去のあーだこーだが始まりますよ。書いて吐いて捨てますよ、読後感には責任持てません。どうぞお気をつけください。

 わたしが物心ついたときから、何かあって怒る度に母はよく口にしていました。「(お前が)できると思っているから怒っている。なにも言われなくなったらおしまいだと思え」と。
 これは一見、相手の能力を信じ、鼓舞しているようにも見えます。
 成長には、ある程度の「負荷」が必要であり、「獅子千尋の谷に子を落とす」ではないですが、ともすればかわいい我が子や弟子や部下に対して、相手の力を信じ、その生命力を信じて、心を鬼にして厳しい試練を課すこともあるでしょう。星一徹と星飛馬のように。アレはマンガだから過激描写ですが、その時点での限界の「ちょっと先」の負荷がかかって人は成長するものです。
 ただですね。と、今から述べることは、わたしの人生での経験から述べる一個人の主観ですのでお含みおきをお願いいたしますね。

 「あなたの○○を好きだと思っている」とか「あなたの○○という活動を応援したい」とか言ってくれる人がいます。Facebookのお友達に、とてもたくさんいます。ただ、「言うだけ」です。わたしが参加する催し物があっても来てくれるわけでなく、物販しても買うわけでもなく、ご自分のイベントに呼ぶわけでもない。ただ、わたしが○○について投稿(告知)すれば「いいね!」してくれ、「いつか一度ナマで見たいです」とか「いつも応援しています!」とか温かいコメントをくれます。
 わたしは、ありがとうございます、とお返ししています。

 わたしに本当に「期待してくれる」人って、わたしの能力(できるであろうこと)に応じた「頼み事」または「宿題」または「課題」を、具体的に提示したり依頼したりしてくれるんですよね。
 わたしは、それに応えるべく力を尽くす。弱音を吐きながら、もう無理だ―とかいいながら、納品したり仕上げたり本番を迎えたりする。
 すると、「ありがとう」と言われたり、「ここはこうした方がいい」とアドバイスをくれたり、何かしらの「お返し」をいただきます。たまに次につながったりすると、嬉しいものです。
 アドバイスというのもですね。「本当に相手(わたし)の能力をより引き出そうとして」アドバイスしてくれているか、「アドバイスをすること(正しい指摘をする自分)に酔っているかどうか」も、言われる側は大体分かるものです。
 趣味でわたしが嗜んでいることについて、アドバイスをしてくれた方がありました。いつも催しに呼ばれたときは、専用の機材を貸してくださる方で、本当にお世話になっているのです。わたしの出し物をみて、とても具体的に練習方法についての助言をしてくださり、参考にできそうなお手本教材なども教えてくださいました。
 決して、押しつけがましいものでなく、「こんなことをおじさんが言って、煩わしいだろうけど」と、とても気を配ってくださるのです。わたしはその気持ちが嬉しかったけど、どう自分を変えたらいいものか分からず、四苦八苦しました。とてもしんどかったです。
 途中までですね、「(わたしが師事している)先生に何とかしてもらおう」と思っていました。他人任せというヤツです。だけど、先生がわたしの体の使い方を変えてくれるわけではないと、あるとき気づきました。わたし自身が何とか取り組まなければならないことなんだ、と腹を決めて、フェルデンクライスで自分の体と向き合い、呼吸のしかたが変わった、体の使い方が今までと違う、と体感できる瞬間がありました。
 その後、アドバイスをくれた方の前でそれを披露した時に「本当に変わった。よくがんばりましたね」と言ってもらえました。嬉しかったです。
 何回かアドバイスをもらっても、すぐに応えられたわけではなかったのです。やり方、即ち体の使い方を変えるのに、時間がかかりました。だけど、毎回その方はアドバイスをし続けてくださいました。たぶん、見返りとか求めていなかったと思います。
 「あなたに期待している」って、こういうのを言うものだと、個人的には思うわけです。

 さて、うちのバカ母やドン(首領)課長が何と言ったか。
「あなたには期待している」「期待されなくなったら終わりよ」
 本当に期待しているのであれば、「具体的に」指示を言うはずです。彼女たちのいう「期待」というのは、わたしという人間のできる強みを生かして磨くよう促すのではなく、「(母やドンが抱く)理想像を、(わたしが)適切にくみ取って遂行する」ことを指すと思われます。
 「期待されなくなったら終わりよ」というのは、脅し文句の一種ですね。とくに母が子にそれを言う場合というのは、「おかあさんは、あなたのめんどうを見ませんよ」と暗に仄めかしていることに他なりません。
 
 今まで、なんとか彼女らの言う「期待」に応えようと頑張ってきました。 
 といいますのがですね。情を見せられると、弱いんです。
 母は毎日料理を作ってくれましたが、物心つくころに、その手料理に対して「きょうのは(味付けが)あまりおいしくない」と正直に言ったことがあります。忖度などない子供の本音です。すると母はしおらしげに、「おかあさん、いっしょうめんけい、つくったのにな」と言ったのです。
 なんかね、これがものすごく心に突き刺さった。ちょっと切なそうに「いっしょうけんめい」と言われた。
 「いっしょうめんけい」。わたしはこの言葉に弱い、と思いました。
 それからズルズルと情に引きずられる日々が始まるわけですが、ドン(首領)も、母が見せた「いっしょうめんけいやったのにな」に通じるような情を見せるので、面談中は心の奥底の罪悪感が刺激されてつろうございました。しかし、一見しおらしげに情を語るその口で、何度、言葉の鋭角カウンターパンチをくらわされたことか。情に弱いのは人の性、わたしも血が通った人間の一面があったようです。ただ問題は、それが自分の立場を脅かす方向に作用してしまうことですね。
 「言われなくなったらおしまいよ」という言葉は、母もドン(首領)も、おそらく善意で言っていることと思います。人間群れなければ生きていけませんから、どうにかして群れの中でやっていくように、よかれと思って促してくれたものなのだろうと思います。
 だけど、彼女たちがいうその群れは、わたしにとっては「(無意識に)搾取されいじめられる」環境に他なりません。
 いままでは、本当にわたしのことを心配してくれる(と思われる)その情に応えるように、「期待に応えよう」としてきました。
 期待に応えようとやってきたことは、「やってあたりまえ」で感謝されず、ミスや至らないところばかりをあーだこーだと言われてきました。
 それは、わたしという存在に対する冒とくであるとはっきり認識いたします。なので、あなたたちの期待には応えることはできません。どうぞ期待せず放っておいてください。
 ……と、ドン(首領)には面と向かって言えないので、「がんばっているけど期待通りにはできません」と泣きながら訴えてなんとかやり過ごしました。
 人間、年を喰うとしたたかになっていけませんね。

 バカ母やドン(首領)のような人種が「期待しなくなったら終わりよ」を実行すると、「仕事上、(この人には責任ある仕事を任せられないと)匙を投げる」のではなく、「組織の中で村八分にする(協力しない、かかわらない、話しかけない)」と同義のことをやらかすことは分かっています。
 大体、「仲良く和気あいあいとみんなで楽しく仕事をするっ!」みたいな価値観の人って「仲良くお話しない人とは、お仕事できない」思考なのが多くて、びっくりします。仕事と仲良しが切り分けらせずに一緒くたになっているのですね。本当に近づきたくありません。
 とはいえ、わたしも「情」と「ズルさ」をごった煮状態で長らく来たものですから、少しずつ人間のズルさの機微を知って、トカゲのしっぽを切ったり生やしたりするように、賢く立ち振る舞えるよう、少しずつ取り組んでいこうと思っています。

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