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アドレスホッパー道(破)

こんにちは。さくひとです。アドレスホッパー道2回目、破です。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、エヴァンゲリオンのパクリなので次回はQです。さくひとは雑食の漫画オタクです。

前回は寮を出るまでの経緯をお話ししたので、今回は本題に移りたいと思います。退去日は忘れもしない2021年3月20日でした。管理人さんがいる9時から17時の間に退去をしなければならなかったのですが、私はなぜかその日にアルバイトを入れてしまっており、しかもそれが9時から18時という何とも言い難いポンコツスケジュール管理能力。バイトを断ることもできず、管理人さんにお願いして朝の8時に退去手続きをしたのですが、引越し業者代をケチった私には大量の手荷物が残っていました。(家具家電付きの寮だったので...)寛大すぎる管理人さんの計らいで、バイトが終わるまでロビーに荷物を置かせて頂き、貴重品が入ったスーツケースだけを持ってバイトへ向かいました。当然の流れでバイト先の先輩方にどうしてスーツケースなのかを聞かれ、「家がなくなったんで...」と言えば掴みはバッチリ。笑いをかっさらってきましたドヤ(?)とまあ楽しいバイトも終わり、帰路(家ないけど)についたわけですが、寮に帰ると大量の手荷物が。朝より増えてる気がしたんですが多分疲労とかメンタルとかの問題でしょう。ともかくこれをバイトに持って行こうとした私はただの阿呆でした。管理人さん、止めてくれてありがとう。リュック1つに手提げ鞄4つ、そしてキャリーケースの計6点。それがこちら。

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私の寮は最寄りの駅まで徒歩3分で着く駅近の良物件でした。しかし、台車も車もなしにこの大量の荷物をどう持ち運べばいいのかわからず、何度も落とし、何度も中身をぶちまけ(特に赤いカバンに入った洗濯ラックとハンガー)、寮に着いたのが19時だったにもかかわらず、駅に着いたのは20時。もうこの荷物を持って電車に乗るのは無理だと悟り、泣きそうになりながら母親にタクシーに乗らせてくれという旨の電話をかけました。成人してバイトもしている大学生がそんな許可を取りたがったわけは今となっては本当に謎なのですが、高田馬場から親戚の家までタクシーで1.5万円くらいかかるので親にバレたら怒られると思ったのでしょうか。あの時の疲労とメンタルは今までのお気楽人生の中ではワースト3に入るレベルだったのでもうよくわかりません。「荷物が多すぎてもう一歩も歩けんのやけどタクシー乗ってもええ?」「ダメに決まっとるやろ!ブチッ」この時ばかりは道端でうずくまってガチ泣きしました。友達に電話して手伝ってもらおうか、でももう遅い時間だし迷惑かな...とぐるぐる考えた結果、よし、自力で行こう。幸い、この1時間で歩くコツはつかめたし、電車の乗り換えは高田馬場と九段下での2回だけ、周りの目は気になるけど浮いた1万4000円で叙々苑(ランチ)に行こう。

後に分かったのですが、この時私が電話をかけようか悩んでいた友達は高校同期と新宿(私の家から車で10分ほど)ドライブをしており、「電話くれたら迎えに行ったよ」と言われましたし、私自身の高校同期も私のこの荷物の写真を見て「呼んでくれたら荷物持ちでもなんでもしたのに」と言ってくれました。キュンです。友達最高!でも泣いてるところなんて友達に見られたくないんで何回過去に戻っても電話はできないだろうなって思います。大学の健康診断で、「困ったときに頼れる友達は何人いますか」という質問がありますよね。去年や一昨年は「今連絡をとってる人でいいかなあ。20人!」と答えていたのですが、今年は「0人」。頼るってすごく難しいんですね。

とまあ無事電車には乗れたのですが、乗り換えがまた大変。西武新宿線からメトロの東西線に乗り換え、都営新宿線に乗り換える。すれ違う人にジロジロと見られながらようやく九段下のホームに降りると、ホームで安全確認等を行っている駅員のおじさんに「よう姉ちゃん!夜逃げかい?」と聞かれます。違いますよ〜と答え、それまでの経緯や地元の話、おじさんの故郷や家族についての雑談を楽しんでいると次の電車が来ました。せっかく仲良くなれたのでお別れは悲しかったですが、こんな状況でなければ絶対話しかけもしないし話しかけられもしないであろうおじさんとの一期一会の出会いが嬉しくもありました。

その後も順調に電車に揺られ、親戚宅の最寄り駅に着いたのは21時半を回った頃でした。バイトのおかげで携帯の充電は0%、記憶を頼りに歩くこと10分、やっと、、、やっと到着しました。インターホンを押すと従兄弟が心配そうに出てきてくれたのですが、私の滑稽な姿を見て笑い崩れ、それを見た私も安堵の気持ちで手に持っていた4つの手提げとキャリーケースを全てずり落として笑ってしまいました。ずっと荷物がぶつかっていた膝やすねは内出血で真っ黒になっていたのですが、そんなことは至極どうでも良くて、屋根のある生活がこんなにも良いものなのだと改めて実感しました。

しかしそう悠長にもしていられません。次の日はなんとTOEICの試験日だったのです。どうして私はTOEICの前日にあんな間抜けな格好をして何時間も歩き回っていたんでしょうね。家に入れてもらって3時間ほど勉強をしましたが結果は惨敗。普通に悔しいので6月のTOEICは万全の備えで臨みます。でも1つだけ。21日は嵐でした。20日があの天気だったら身投げしただろうなあ、、、と考えると運が良かったんですかね!

続く

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