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茹でて青菜の臭みを取る

三浦梅園(みうらばいえん)江戸時代の本職が医者でありながら思想家、自然哲学者の方。彼は学問についてこう例えている。

「青菜はその青臭さを取り除くために、何度も茹でなければならない。少ししか読書をしない者は少し学者臭く、大いに読書している者はさらに学者臭く、どちらも同じように困りものである」


新渡戸稲造曰く、

知識というものは、これを学ぶものが心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知恵となる。知識はそれ自体が目的とはならず、あくまで智恵を得るための手段でなければ“便利な機械”だ。と。

何も行動していない人が知識を披露した時に違和感を持つのがこの点かと思います。

昔の野菜は今よりずっと青臭く苦かったので、何度も茹でたのでしょう。それを中途半端に茹でると青臭い。


行動をして、心身ともにその知識を智恵に変え目的の事柄を達成する。


師である友野は良く“机上の空論”と言っています。机上の空論の次は“捕らぬ狸の皮算用”です。捕ってもいない狸の皮が幾らになるか計算しているんですね。

そのような青臭い青菜を「さあ、お食べ」と言われても難しいです。


勉強は大事ですが、この地球では行動無くして何も始まりません。
行動をして、行動をして、青臭さを無くしていく事が大切ですね。

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