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27年目の名探偵へ(ハロウィンの花嫁に対するクソデカ感情感想記事)

1996年1月8日、アニメ『名探偵コナン』放送開始。

このときわたしがどこで何をしていたかというと、何と母親の羊水の中にいた。私は1996年2月10日生まれなので、ちょうど羊水で満ちた胸に来たるべく人生への期待と不安を抱いていた頃だろう。

それから約27年。
27年は長い年月なので、自発呼吸すらできなかった胎児は小説を書いたり同人誌を作って売ったり論文を書いたりできるようになった。

同時に、社会も変わった。
誰もが携帯電話やスマートフォンを持つ時代になり、コナン初期の発明品である「イヤリング型携帯電話」はお箱入りとなった。時代に合わせて作品も変化していくことが、コナンを長寿作品にした要因の一つではないかと思う。

アニメと同時進行の映画も、時代の変化を受けて少しずつ変化してきた。25作目の『ハロウィンの花嫁』にコナン映画の一つの転換を感じたので、記しておきたいと思う。

※コナン映画のネタバレ注意

黒でも白でもない、『グレー』のひとたち

1997年に公開された、劇場版名探偵コナンの1作目が『時計仕掛けの摩天楼』だ。連続爆破事件を取り扱っており、爆破と崩壊がお家芸の歴史はこの一作目から続いている。

犯人は、自分が設計した建物に納得がいかなかった建築家だ。
現行犯逮捕されながら「私が抹殺したかった建物はもう一つある!」と高らかに叫ぶ姿はロマン溢れる完全な悪役であり、美しい勧善懲悪の図式が描かれている。

しかし。
それから26年の年月が過ぎ、世の中が求めるのは完全な勧善懲悪ではなくなってきた(とわたしは思っている)。世界にいる人たちは、みんな複雑な事情や立場を抱えており、完全な善でもなく完全な悪でもなく、状況によって善になったり悪になったりもすると、社会が気づき始めたのではないかなと思う。

それに合わせて、コナンの映画にも「黒でも白でもない、グレーのひとたち」の姿が見られるようになってきた。

例えば、20作目『純黒の悪夢』に出てきたキュラソー。彼女は黒の組織に属しているという意味では敵役ではあるが、少年探偵団と仲良くなったり、記憶を取り戻した後も灰原哀を助けたりと、完全な黒とは言えないキャラクターだ。

そして印象的だったのが、22作目『ゼロの執行人』で出てきたセリフだ。

「人にはね、表と裏があるの。ぼうやが見ているのは、その一面に過ぎない」

劇場版名探偵コナン『ゼロの執行人』

わたしは「これをコナンで言うか!」と舌を巻いた。「真実はいつもひとつ!」と言い切ってしまう主人公の作品で、このセリフを取り扱うのはかなり勇気が必要だったのではないかと思う。

ちなみにこのセリフを言った「橘 境子」もグレーな描かれ方をするキャラクターだ。彼女は結果として事件の犯人ではなく犯罪も犯してはいなかったが、無関係の毛利小五郎を使って個人的な復讐を果たそうとしていた部分もあり、そこを「無関係のひとを巻き込んだのか」とコナンに責められるシーンがある。

そして、25作目「ハロウィンの花嫁」。
明確にグレーな描かれ方をしていると感じたのが、ナーダ・ウニチトージティというロシア部隊のリーダー・エレニカだ。

犯罪を犯す一歩手前で踏みとどまったグレーの存在

エレニカは爆弾犯「プラーミャ」によって息子と夫を殺害されており、プラーミャに対する強い復讐心で行動するキャラクターだ。

映画終盤、彼女はプラーミャに対し拳銃を向けたところで、「だめだよ」とコナンにその復讐を止められる。息子の面影を重ねていたコナンに抱きしめられて涙を流すシーンが胸に詰まった。

もしそこで引き金を引いていれば、彼女は完全に「黒」側の人間だった。
しかしそんな黒一歩手前の彼女にも被害者側だった過去があり、傷ついた心がある。

そして彼女は幸運なことに、コナンの助けの手が間に合い、ぎりぎりのところで、完全な黒には落ちずに踏みとどまることができた。これは、これまでの映画ではなかった展開だ。

世界を救うのはヒーローだけじゃない


もう一つ、ハロウィンの花嫁で感じたコナン映画の変化。
それは最後の局面を乗り切るために、エレニカたちナーダウニチトージティや、村中と言った多くの人たちの助けを借りていた点だ。

これまでも、コナンと同じ「ヒーロー」として描かれる降谷零や赤井秀一、少年探偵団の助けを借りることはあっても、ごく普通の一般人やグレーのひとたちの手を借りて局面を乗り切るのはこれまでの映画ではなかったパターンだ。

これまでずっとわれらが名探偵はほとんど一人で何とかしてきた。数々の爆弾を止め、モノレールを止め、ゴッホのひまわりを救出し、飛行機を無事着陸させ、雪崩を起こしてダムの水を止めた。その姿はヒーローと言って差支えがない。

でも世界を救うのは、ヒーローだけじゃない。
黒になる寸前で踏みとどまったひと、騙されていたことが分かり無力感に浸る刑事、みんなの力を借りて、初めて世界が救えることだってある。

27年目にして、我らが名探偵は初めてみんなに支えられていた。そのことに気づき、映画館を出て泣いてしまった。



ここまで読んで下さってありがとうございました。これからもコナンの映画が発展していきますように。

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