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元気だよ

彼女と私は特別仲良しとは言えず、複数人で会うことばかりで、2人きりで食事に行ったこともない。だけど、年に数回程度顔を合わせるという関係が、もう何年も続いていた。

彼女はいつもホワっとした笑顔で、誰に対しても礼儀正しく、話すとその物腰は柔らかくて、なんだかしなやかだった。9つも年が下で、「さくらさーん!」となぜか慕ってくれた。

そんな彼女が、亡くなった。

珍しく、普段電話がかかってくることのない友だちから、平日の夜22時にLINE電話が鳴った。

彼女の訃報だった。
事故や病気ではない、ということだけ、わかった。
それ以外は、いつ亡くなっていたのかも、原因も、何もわからない。

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今年の7月。彼女から初めてのLINEが届いた。
仲間内から私の連絡先をわざわざ聞き、「お元気ですか?」と書かれた、特別な用事のない内容だった。
不思議に思いながらも、「前から慕ってくれてたもんなぁ」くらいに思い、それなりの返事をした。

その後また彼女から返信が届いたが、私は連日の残業と引っ越しのバタバタの中で、返信を忘れてしまった。
いや、バタバタなんてのは言い訳で、私はもともと返信が遅い。そのうちにすっかり忘れてしまうこともあるような、仕事以外の連絡に関しては超絶マイペースな人間なのだ。

約2週間後、彼女は再度連絡をくれた。

「もしよろしければ、いろんなお話を聞かせてほしいので、会えませんか?ご迷惑でしたらごめんなさい。」

相変わらず柔らかく、礼儀正しい彼女の文章の中に、「どうしても会いたい」と思ってくれている熱を感じた。私から返信がなければ、それで終わっていたかもしれない中、再度アタックしてくれたからだ。

そうか、人づてでまで私の連絡先を聞いたのは、会うためだったのか。

当時、かなり自粛モードで暮らしていた私は、地元の親しい旧友にも県外に住む親友にも、何ヶ月もずっと会っていなかった。そのため彼女に会うのも、正直断ろうかと思った。
それでもなぜか、会うことに決めた。

8月の終わりの、たった2時間。引っ越し直前で、これしか時間を作れなかった。初めての『2人』は少し、緊張した。
お互いの中間地点の駅のカフェで、珈琲一点張りの私が珍しく、抹茶の甘いドリンクを注文した。彼女は流行りの、ほうじ茶のスイーツっぽいドリンクだった気がする。

私たちは実は、似たような仕事をしていて、彼女はまだ若干26歳。私の仕事の話が聞きたかったようだ。だけど特別悩んでいるふうでもなく、とても勉強になる毎日です、と仕事を楽しんでいた。ますますこの仕事を深く挑戦したくなって、未来のステップアップを描いて、将来へ胸を膨らませていた。

私は20代から積み重ねてきた仕事を、昨年33歳で辞めた。
今はまったく違う仕事をしているが、スキなことを生かして、つまづきさえも味わって楽しんで暮らしている。
自分の今に満足しながらも、若くて純粋でスタートを切ったばかりの彼女が、眩しくて、ちょっと羨ましくて、嬉しかった。

律儀な彼女は、帰り道にまたLINEをくれた。

もっと自分の生き方を自由にのびのび過ごそうと思えました。
ほんとにありがとうございました!

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電話で訃報を伝える友だちも、それを聞く私も、多くの言葉は出なかった。
その間を埋めるように、
「どう?元気なの?インスタ見てる限り、元気そうだけど。」
友だちは私のことまで、心配してくれた。
よくわかる気がする。今日ばかりは、長らく会えていない友だちも家族も、みんなのことが心配になる。

「元気?」

その言葉が、初めてズシンと重く感じた。
何度使ってきただろう。何度使われてきただろう。
でも、元気?と聞ける関係があること、気に掛ける人がいること、聞いてくれる存在がいること、元気だよといつもの返事ができることが、今日ほど胸が痛いことはなかった。
噛みしめるように、「うん‥元気だよ」と応えた。

20分程で電話を切ったあと、我慢していた涙が溢れた。

何があったんだろう。
あの日の2時間、どんな気持ちでおしゃべりをしたのだろう。
もっと長く時間を作ればよかった。
眩しいほどに夢を描いていた仕事は。
親友みたいに仲が良いんですと、誇らしく話した家族は。
彼女の周りにいたたくさんの友人は。

とめどない感情が渦を巻き、そのすべてが悲しくて、まだ26歳の彼女の人生に想いを馳せると、涙が止まらなくなってしまった。
ホワっとした笑顔と、もう聞こえることのない「さくらさーん!」と懐く彼女の柔らかい声が、今も浮かぶ。

パートナーが心配そうになだめてくれた。
なるべく今夜だけにするから、めいっぱい全力で悲しもうと思った。
泣いて泣いて、目が腫れても止めずに泣こうと思った。
そんなこと、彼女は望んでないかもしれないけど。

泣きながら浮かんだのは、12年前にオーストラリアで出会い、誕生日と英語力の未熟さが同じ、仲良しのブラジル人・ルーのことだった。
彼氏といつも仲良しで、互いが大切だから信頼しあい、裏切る行為も疑う行為をしないという、素敵なふたりだった。

帰国後、ルーは妊娠し、お腹の子と共にこの世を去った。
みんなが好きだったルーの弾けるような笑顔、高めの可愛い声、ゆっくり不器用に話す英語、愛する彼と肩を寄せ合う姿。
すべてが鮮明で、子を宿ったルーがどんな思いで彼を残し、人生に終わりを迎えたのか、その晩も私は思い切り泣いて、ただただルーを想った。

そんな昔のことまで蘇り、声を上げて泣いた。
すべてが悲しい時、こうして彼女のそばに居てくれる人はいたのだろうか。
「元気?」と問いかけ合う仲間に、心を委ねられなかったのだろうか。

朝起きると、夜に涙と鼻水を拭いて投げ捨てたティッシュが、寝室の床に散乱していた。8枚くらいだ。涙はもう止まったんだなと寝不足の頭で思った。残ったのは頭痛と無力感。
でも朝ごはんにいつものパンを焼いた。お腹は減るし、珈琲も淹れる。寒いから今日はホットにした。

あっという間に日常に戻るのは、薄情なんだろうか。
そんなことないと、わかっているんだけど。

仕事の取材許可、今日中に4軒取らなくちゃ。新しいライティングの打ち合わせ、14時からだ。勉強して事前準備しないと。

私の日常は止まらない。止めないことを選んだからだ。
生きることは選択の連続で、生まれた環境や生まれた家族以外、大人になってからの大抵のことは、選べる。

いろんなつらいこともあるけれど、それを選んでいるのは元をたどればいつも自分だ。それで起こったさまざまな出来事や感情は、誰のせいでもない。

大切な人を大切にしよう。
後悔しないように、いつも丁寧に言葉をかけよう。
いつ会えなくなるかわからないのだから、優しくしよう。

そんなありきたりなセリフは、ただの綺麗事だろうか。
大切にしたいのに、無気力なあまり早速ぶっきらぼうじゃないか。
「大丈夫か?」と心配するパートナーに、「うん、平気」と表情も変えずに返事をしてしまう。
「まだ悲しいよ」というと、崩れてしまいそうな気がして。

嫌なやつでごめんね。
やっぱりまた、泣いてしまった。

寝ても寝なくても、また朝が来る。
それでもこんな時、やっぱりわたしは書きたい。ここが、心の居場所のひとつなんだと思った。
ここに書くから、もう優しくなろう。
人と生きていく世界を選んだなら、調和を作ろう。

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