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『進撃の巨人』『葬送のフリーレン』『僕の心のヤバイやつ』ヒット作を貫くもの/凍った心を砕く斧

テレビアニメ『僕の心のヤバイやつ』が最終回を迎えた。国内だけでなく海外でも評価が高いようだ。いわゆる恋物語として受容されただけではなく、もう少し深いところに届いた作品だと感じるのだけれど、それをうまく言語化できず気持ちが悪い状態が続いている。多くの人の心の深いところに間違いなく届いたであろう作品『進撃の巨人』と『葬送のフリーレン』を補助線にして、『僕の心のヤバイやつ』が広く受け入れられた、少し深い理由を言語化してみたい。

#ネタばれあり

●「自分を砕く斧」という比喩
私はカフカの言葉「本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。」が好きだ。なのでこの比喩を使って『葬送のフリーレン』と『進撃の巨人』という品がどんな斧なのか、作品が広く受け入れられた「今の時代」はどんな時代なのか、という記事を以前書いた。

記事の趣旨は簡単だ。『進撃の巨人』は私たちの鈍感な部分である「固定化した善悪概念」を砕く斧で、『葬送のフリーレン』は私たちの敏感な部分である「後悔への恐怖」を砕く斧だろう。そしてそこから、今の時代の形が見えてくるのではないか。そういう記事だ。でも、時代の形なんてものは、当然ながら私には荷が重すぎる。なので、ぼんやりした結論になっていた。

そして、同じ比喩を『僕の心のヤバイやつ』に当てはめるとどうなるだろうか。この作品の一番の特徴は、主人公である市川のキャラだろう。彼は「変化を恐れる人」だ。でもその彼がヒロインとの出会いによって「変化への恐怖」を乗り越えていく姿に、私たちは強く心を揺さぶられる。だから、この作品を斧で比喩するなら、私たちの敏感な部分である「変化への恐怖」を砕く斧だ、ということができるだろう。

●3作品が心に響くという症状
この3作品は今の世の中に広く受け入れられた。そしてそれは日本に限らない傾向だ。そこから、今の時代の私たちの心の凍結具合について、傾向が見えるはずだ。凍結具合を症状として記述するならこういう症状だろう。

「善悪概念」は踵の皮膚のように硬直している。一方で「後悔への恐怖」「変化への恐怖」は、歯槽膿漏の歯茎のような知覚過敏にある。

この症状の人は『進撃の巨人・葬送のフリーレン・僕の心のヤバイやつ』と言う3作品に心を動かされる、ということだ。それは、これらの作品が心の凍結を色々な角度から丁度いい強さで砕くから。そういう人が増えているのが今の時代だ、ということになる。この分析が的を射ているのであれば、なぜ今このような症状を持つ人が多いのか。それを実感を伴って説明することが可能だろうか。

●症状から見える現代性
私たちの症状、「善悪概念の硬直」と「後悔・変化への恐怖に対する知覚過敏」に共通の原因は、SNSの急速な拡大だろう。
SNSでは「善悪基準」は分かりやすくないといけない。わかりにくい善悪基準では炎上から身を守ることができない。だから善悪概念は硬直してゆく。
SNSでは「私」も分かりやすくないといけない。だからキャラを演じる強迫観念が強まる。「前向きさ」は重要な属性だ。「後悔のない日々」を誇示するインスタ映えが流行する。私たちは、本来の前向きさよりも、前向きな方向に無理をしてシフトしている。その反動は「後悔に対する恐怖」への知覚過敏という症状になる。
SNSによって、私らしさが分かりやすくなるということは「私らしさの壁」が誰の目にもはっきりしてくる、ということだ。以前はあいまいで気軽に超えられた壁が、はっきりした壁になって超えることが難しくなっている。例えば、学校で自分のキャラに合わないことをして大失敗し、もう二度とやらないと心に誓う。そんな経験がある人は多いだろう。「私らしさの壁」を超えることは怖いものなのだ。SNS社会によって「私らしさの壁」が強化され、その結果「変化への恐怖」への知覚過敏が生まれてくる。
SNSでは「分かりやすさ」が重要だ。SNSの拡大によって、私たちの社会は過度にわかりやすさが求められる社会になっている。このSNSが生み出した「分かりやすさへの過剰な偏り」が私たちの今の状態をよく表しているのではないだろうか。

●『僕の心のヤバイやつ』が広く受容されたわけ
市川は変化を恐れる人である。そして今、自分を変えることが難しい時代になっている。今の時代「自分を変えること」が否定されているわけではない。むしろ変化の時代と言われていて、変化は推奨されている。しかしそれは表向きでしかない。変化している最中に、ひとは多くの失敗をするものだ。でも、そういう失敗に対しても容赦はされない。なぜ失敗したかは問われない。失敗したのかしていないのか、それが問われる。なぜなら、その方が分かりやすいからだ。
変化を恐れる市川が、変化が難しい時代に、変化が難しい中学校で、彼は自分を変える。変化の途中で彼は、数々の失敗をする。奇妙な行動をとる。でもそこには、一貫して彼の勇気が描かれる。そしてそれに気付ける感受性の高いヒロインがいる。変化が一番難しい市川が、彼の勇気を武器に、ヒロインの応援をパワーにして、変化を成し遂げる現代のおとぎ話。それが『僕の心のヤバイやつ』というお話なのではないだろうか。そしてそのおとぎ話が、私たちの心の息苦しさに風穴を開ける斧になった。だから、中学生の恋愛物語がこれだけ広く受け入れられたのだろう。

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