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ニューヨークの老人たち

創作能「マンハッタン翁」を毎年新年に上演している。来年1月の公演前に、この作品について書こうと思う。

 1993年アジア文化交流基金の奨学金を得て、ニューヨークに滞在し、その音楽シーンを訪ねた。ニューヨークの街並みを歩き、カフェに入り…。その中で気になる人がいる。それはこの街で齢(よわい)を重ねた人。ニューヨークの風景に彼らがぴったりとこない。日本で美しい人、というと私の風景の記憶では田畑を耕すおじいさん、おばあさん。日本の風景と彼らはしっくりと来るのだ。しっくり来るというのは、その土地と人が平和に結ばれている、お互いを受け入れている姿だと思う。ニューヨークのおじいさん、おばあさんはニューヨークの街の風景を背にして何か痛々しい感じがした。
 これはなんなんだろうと思った。あらためて日本のおじいさん、おばあさんのことを考えた時に「翁」「嫗」という言葉があることを知った。
 自然や土地ならず、人々からも齢を重ねた人の意義を生み出し、そこに敬意を払う(べき)という文化が日本にはあるのかなぁ、とか。それをアメリカ人に尋ねると「そんなことはない、アメリカのオールドマンだって、美しい人はいる」と言った彼はアメリカの自然に恵まれたオハイオ州出身の人だった。
 若かった当時、老いることは美しさを失うことだと多分思っていた。しかし、日本の一番美しい人を若輩ながら齢を重ねた人にすでに見出していた自分もいた…。
 全く学問フィールドではないところから「翁」を考えるようになった。
 そう、ニューヨークのマンハッタンの風景にぴったりと来るオールドマンが必要なのではないか?そこから「マンハッタン翁」は始まった。
 日本人が勝手にこんなことを考えるのは、ニューヨーカーには余計なお世話だろうけれども。

 ニューヨークの老人、なぜか貧しい人に思いが至る。ブルース・グレモというニューヨークの尺八奏者と、マンハッタンの貧しい老人について語りあったことがある。彼はまず、ヒスパニックの老人に思いが至った。それからマンハッタンの貧しい人々を写真に収めた作品を探すようにもなった。ニューヨークは自然に乏しい街だが、マンハッタンの中央から離れると、まだ空き地に土が草が花がそこそこに見られるだろう。そして「貧しい老人と花」というセット(組み合わせ)が生まれた。
 ヒスパニックの老人は空き地に咲いていたダファデル(白菊)の花に語りかける。「私が亡くなったらどこに行くのだろうか?」花の精は答える。

「優しき眼差しは、われらを絶えず目守(まも)りたり。我らは揃ひて、花の台(うてな)となるからは、汝の御足(みあし)置き給へ。我らは君を引き揚げて、天の国へと旅立たん」

「マンハッタン翁」より

ヒスパニックのほかには?つまり思いに至るのは非ヨーロッパ人だ。もちろん、アメリカ大陸が「アメリカ合衆国」と呼ばれるようになった歴史の最初の悲劇は、ヨーロッパ人による奴隷貿易で取引されたアフリカの人々。のちに、ヒップホップの研究で再びニューヨークを訪ねることのできた時、トレイシー・モリスという当時「ヒップ・ホップ・クイーン」とニューヨーク・タイムズにうたわれた彼女のお母さんの家にホーム・ステイをさせてもらった。2000年だったと思う。お母さんの家はブロンクスにある。お母さんは、主義主張をきちんと発言する人で、彼女の家を飾る絵画、彫刻、民芸品には、ヨーロッパ文化の作品は一つもない。アフリカの人々が奴隷船に乗せられてきた航海の物語を版画にした作品が堂々と飾られている。彼女は私に「これはヨーロッパの貿易商人が私たちの先祖をアニマルと思い、船に積んでいるのだ」と語ってくれた。トレシーのおじいさんは、ネイティブ・アメリカンとのハーフで、毛皮の貿易で成功を収めたアフリカ系の人たちの中では、経済力をつけた一族でもあった。彼女の兄弟たちは、「ガーナに行ったよ、よかった!」とアフリカ旅行の話もしてくれた。アメリカのアフリカ系の人たちの顔は、アフリカ大陸の人々とは違う。まず奴隷時代にヨーロッパ系の主人に強姦され生まれたこども、そして地価の安い場所に住む人々との共存の中でネイティブ・アメリカンとの結婚をして生まれた人たちの子孫の顔だ。トレイシーの家族もそう言っていた。
 アフリカ系の老人が亡くなったとき、アフリカにある赤い百合の花はその香りで舟を作り、天の国へと漕ぎ出だす。

「百合の香りの充(み)ちみちて。御魂(みたま)を運ぶ乗物は、百合の香りの船となる。病(やもお)の床を離れ来よ。天(てん)の川原(かわら)に漕ぎ出でて、天の国へと旅立たん。」

「マンハッタン翁」より

私が非ヨーロッパ人の日本人であることから、もう一人の翁は日系の人にしよう。その方がこの作品への思い入れも増すだろうと思った。トレイシーのお母さんの家にホームステイしてヒップ・ホップの研究をしつつ、ニューヨークの日系の人々ともコンタクトを取ろうと思った。そこでニューヨーク日系人会を訪ね、ニューヨークで「翁(オールド・ワイズマン)」といわれる人は誰ですか?と尋ねると「ジョージ・ユザワさん」と返事が返ってきて、彼にインタビューをすることになった。
 彼の父親は長野県からアメリカに移民した。西海岸に住んでいたが、第二次世界大戦の時に銀行の取引を停止させられ、さらにサンタフェの日系人の強制収容所に移された。戦後は東海岸に移住し、花屋として成功を治める。日本は食糧難に陥っているニュースを聞いて、海外貿易の資格を取り、長野県の親族のもとに食料を送り続ける活動をした。
 こんな勇敢な日系人の彼らの活動をどうして私たちは知らないのだろうか?日本でジョージ・ユザワを知っている人は今まで誰一人いなかった。ジョージ翁にお会いしたのは、2000年。なんとなくGoogleで彼の名前を引いてみると…

あった!そしてそのお顔もインタビューも見られます。


「マンハッタン翁」の台本には、フィクションとしての日系の翁を描きました。日本人に訪れる花の精として思い起こすのは、やはり桜だろうと思い、日系の翁を天に迎えるのは桜の精にしました。

翁「春の訪れありや」
桜の精「窓に映りし櫻花」
翁「祖国の春の美しき日」
桜の精「麗しき光に伝へし物語」
翁「今に甦(よみがへ)り幽(かす)かなる命の、煌(きら)めきたり」

「マンハッタン翁」より

 マンハッタン翁のチラシを作る時に、必ず台本から取った言葉として出すのが

 「この都、貧しき人々、多くあり。その人々を祝すため」

「マンハッタン翁」より

 花の精の住む精神世界の中で、人々を救い、そして祝すことのできる人は、権力者でも富豪でもない。現実でも慎ましくビニールからサンドイッチやおにぎりを出し、ベンチで食べている齢を重ねた人を見ると、その謙虚さは本当のものであり、何か神聖なものを見たような気がする。その姿に心が洗われ、その心に、困窮し孤独な人々は救われるのだろうと思った。
 自然を失った都会、多くの貧しい人々の住む都会にふさわしい翁とは、最も貧しく、孤独な人なのだと。
 一人ひとりの魂を愛おしむことのできる彼らは、天の国で私たちを見守る翁となるのだろうと。

■マンハッタン翁2024 公演概要
富にも幸にも恵まれず、貧しく孤独な生涯を終えた老いたる人は、マンハッタンを祝福する天の翁となった。 新年にふさわしい祝祭能です。
●原作・脚本・主演:桜井真樹子
●出演
シテ「翁」:桜井真樹子 / ワキ「花の精」、アイ:吉松章
声明:山口裕加奈 / 面箱・地謡:吉田正子 / 小鼓:今井尋也
面:北澤秀太
●主催:桜樹座
●日時:1月7日(日)16:30開場17:00開演
●会場:楽道庵(禁煙)
●場所:東京都千代田区神田司町2-16
●料金:前売り3.000円、当日3,500円

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