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正しい電気

友人が「部屋の模様替えをするとわりと気分が変わるよ」と言った直後「おれが言うと大袈裟に聞こえるかもしれないけど、電気を変えるとかそういうのでじゅうぶん」と訂正してくれた。

ギターの弦が張り替えられない。
ギターを弾き始めたのは15歳の時で、つまりもうわたしは10年くらいギターを弾いているのに、いまだに弦が張り替えられない。

正確に言えば張り替える必要性が差し迫ってない。わたしはあまり手汗をかかないので弦が錆びることは滅多にないし、切れるほどの力で弾くこともない。

たまに見かねた誰かが替えてあげよう、と声をかけてくれるので間に合ってしまっているのである。

ギタリストにこの話をすると苦虫を噛み潰したような顔をされるのであまり言いたくない。ギターによくないことはわかっているものの、だって弾けちゃうし、とか思う。

改めてわたしはずぼらなんだよなと思い直す。

丁寧な生活を目指してたっていつまでもできないのは、やはりずぼらなところに由来していると思う。

「差し迫らないとやらないことが多くて、」と言いながら部屋の電気が切れっぱなしのことも思い出す。浴室と廊下のひとつの電気が切れたまま、わたしはわたしの部屋で暮らしている。

「そういえば浴室の電気切れてました、廊下もです」と告白すると、「うーん、ギターの弦替えられないのと電気替えられないの、似てるね」と言われて妙に納得する。

友人は建築系の人で、電球買うのなんて簡単だよ、煙草買うのとおんなじくらい、などと言うのだが、この人にとっての煙草と電球はおなじものなのか、すごいなあとひとりで感心する。

「そうだ。今日帰りに一緒に買おう!選んであげるよ」

と言われて少し渋ってしまったのは「それ今日じゃなくても困らないよな」という気持ちだったのだけれど、友人の言う「気分が変わる」を少しだけ信じてみることにする。

電気がつけば、気分が変わる。
気分が変われば、もうこの1ヶ月以上引きずった変に憂鬱な気持ちともお別れできるかもしれない。

あとやる気のないわたしの面倒をここまで見てくれるのはこの人しかいない。買うなら今だ、と考えてコンビニへ一緒に寄る。

「電球ってコンビニで売ってるんですね…」と感心するわたしをよそに友人はさくさくとハイこれ、と正しい電池を手渡す。

そう、何を隠そうわたしはチューナーの電池も切らして随分と経っていたのだけれど、「これだよ」と迷うことなく選んで渡してくれた友人のおかげで、なんとギターのチューニングもできるようになってしまった。

ちなみに友人には過去ギターの弦も張り替えていただいた。頭が上がらない、足をむけて寝れないとはこのことである。

「なんでわかるんですか!?」わたしにとって同じに見えるまるい電池が横並びしているのに正しいひとつを選択する。なぜ。

「サイズが違うんだよ〜」ともうすでに電球を見ながらその人は言ったが、わたしには何にもわからなかった。

数字とか品番とか、そういう記号的なものを覚えるのが苦手。言われた言葉とか読んだ好きな言葉とかは覚えてられるのにね。

友人は穏やかで、静かで、気を遣ってくれなくて、それでいて言いたいことを穏やかな声音でさくっと言うところがとても良い。

わたしの中の1番底にあるそのままのわたしでいても、気を遣ったりしてくれない友人と話す時、黙っていてもどうでもいい話をしてしていても、気を遣わないことはこんなにも楽なんだなあと驚く。

「たまに気を遣って話しかけられたりするんだけど、沈黙とかあんまり気にしないんだよね」と言う友人に、たしかにそういう気遣いの応酬って疲れるよな、と思うとともに気を遣われている友人を想像して少し笑う。

気を遣って話しかけたり話しかけられたりすることがないから話しやすいんだな。

面倒見のいい友人のおかげでチューナーが息を吹き返し、浴室の電気がついた。

なんと廊下は誤算で使えなかったのだけれど、明るいお風呂で羽をのばす。明るいお風呂につられて、気持ちまで明るくなるような気がする。

電気を替えると気分が変わるよ。

お守りみたいな言葉。これから暗い気持ちを引きずってしまった時のライフハックに、部屋の模様替えも加味しようと思う。


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