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戦争に絶望した、そのときに。

私にはウクライナ人の友人Liliyaがいる。

2022年2月24日
Liliyaが泣いている。Liliyaがボイスメッセージで私に助けを求めている。
Liliyaが涙を拭いて必死にSNSで発信をして戦っている。
だから、他人事じゃないし、私もできることは全部しようと決めた25日。

Liliyaと実際にやり取りした内容

2月26日、渋谷ハチ公前のデモに参加し、その晩、在日ウクライナ大使館に募金した。2月28日、楽天の緊急支援募金にも全楽天ポイントを寄付した。毎日毎日欠かさずSNSでウクライナの情報を発信して、募金の必要性を呼びかけた。友人と会う度、戦争の話題を語り合った。


SNSの投稿に対して、友人から「おかげで募金したよ」「発信してくれてありがとう」等多くの反応をもらって、自分の無力はゼロ0じゃなくて、0.1くらいはあるんじゃないか、こうやって少しずつ波紋となって何かが変わるかもしれない実感がほんの少ししたのも事実。

デモ当日にインタビューされた内容が記事になり、yahooニュースに載りました。
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でも、3月2日に心が折れたんだ。
圧倒的な暴力と向き合うこと、人々がボロボロに壊れていくことを目の当たりにして、やっぱり自分の無力さを体感して。
夜眠る度に少しでも状況がよくなるよう祈っているけれど、朝目覚めると日に日に悪いニュースばかり。

勉強すればするほど、アメリカやNATOが動かない理屈も分かった。
じゃあどうしたらいいっていうんだ。SNSでの投稿もできなくて、ここ2,3日ずっと絶望を纏っていた。



「No War 0305」と題して、新宿南口にて戦争反対とウクライナ侵攻によって傷ついた人たちのサポートを呼びかけます。
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戦争に絶望した、そんなときに。
ふと友人ストーリーからこの画像が流れてきた。向かっていたヨガのレッスンをキャンセルし、気づいたら新宿に向かっていた。ずっと苦しかったし、痛かった。だから私自身がこの気持ちをどうにかしたいと、助けを乞いに行ったのかもしれない。

新宿南口に到着すると、横断歩道を渡る前から車道を挟んだ反対側まで人が溢れていた。どこか切羽詰まっていた私はどうにか発言者の言葉をしっかり受け止めたくてぐんぐん人混みをかき分けて、前から5,6列のところまで進んで足を止めた。そこからはもう別世界に紛れ込んだような感覚で、少し朦朧としている。

GEZANのパフォーマンス。そして、この会の主催者のマヒトゥ・ザ・ピーポーさん(真ん中)


辻愛沙子さんが手足を震わせて語ったスピーチに共感し涙した。折坂悠太さんのメッセージが籠った歌を100%感じたくて、私自身に刻み込みたくて目を閉じて涙した。GEZANの剥き出し魂の叫びと怒りをぶつけられて、「もう一度声を上げてみようかな、もう一度人間を信じてみようかな」と思うと共に涙が止まらなくなった。

いろんな難しいことがたくさん絡み合っているんですけど、このくらいのことは言葉なんかを選ばずに言いたいんですけど、戦争なんかいらねえだろ。これはまじで言いたい。これからの20分は戦争に対しての憎しみとそれでも人間がまだ前に進めるんだって信じる気持ちの20分にしたいと思います。

GEZANパフォーマンス前のマヒトゥ・ザ・ピーポーさんの言葉

今日演奏していい演奏するって何だろうな。達成感は今日において何だと正解が分からないままステージに立っています。今日集まってくれたここのみんなは同じ風に吹かれながらそれぞれの方法で迷っている。それも共に生きているということだと思っていて。これを達成感「今日楽しかった」「いろいろ見れてよかったな」とかじゃなくって、次の場所に自分なりの種を撒くということだと思っていて、今日思った実感だったりとかを本当に大切な友達でも家族でもパートナーにでもちゃんと自分の言葉で話すことだなと思っていて、今日という日が始まりになればいいなと本気で思っています。

1曲目終わったときのマヒトゥ・ザ・ピーポーさんの言葉


帰り道、私は登壇者のみなさんのようにあそこまで叫ぶことができていないくせに落ち込んでいる自分が少し恥ずかしくなった。そして、達成感ややり切った気持ちがあったって仕方ないんだ、モヤモヤを抱えたまま自分なりの種を撒いて育てていくことが自分のやるべきことだし、やりたいことだと腑に落ちた。

「あなたは一人じゃない」と「戦争反対」と声を上げることは無意味じゃない。絶望を作り出すのが人間なら、希望だって人間は作れるはず。

戦争に絶望をした、そのときに。
私は希望を少しでも生み出せる人でありたいと覚悟を決めたのだった。
声を上げてくれた人のおかげで。

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