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少年期の回想(小学校低学年:前編)

平成初期のことですが、私は地元の公立小学校に進学しました。

1クラス40人弱で、3クラスあったので学年120人弱の小学校でした。

市内では高度経済成長期に住宅地として開発された地域ですので、所謂、新興住宅街と呼ぶのでしょうか?似たような家庭も多い地域だったと記憶しています。

入学式の日。よく覚えています。教室で泣いてしまったんですよね。

と言うのも、いくつかの幼稚園や保育園から集まってくる小学校なのですが、私が通っていた幼稚園の出身者はほとんどおらず、多数派によるコミュニティーが既に出来上がっていたのです。その時の感情として、自分には友達がいない、不安だ不安だ、、、そして不安に押しつぶされ泣いてしまったのです。(私の経験として、息子が進学する時には、このような精神的なサポートも必要だなと思っています。)

そして、小学校生活が始まります。

それでも、初めて受ける授業は楽しいと思え、すぐに友達もでき、順調にスタートを切ったかのように思えましたが、下校〜帰宅時に問題が発生しました。

それぞれの通学路(方面)別に先生が引率して帰宅するのですが、これがまた不安で仕方なくて。。。普通に歩いてついて行けば当然帰宅できるのですが、なぜかこの時帰れなくなるのではないか?という不安が頭をよぎり、また泣いてしまいました。

きっと精神的に弱く泣き虫だったのです。温室育ちでしたから。

しかも体格も小さく痩せていたから、クラスのガキ大将に目を付けられてからかわれるようになりました。ここで、敢えて「いじめられた」と書かずに「からかわれた」と書いたのは、彼自身には全く悪気はなく、すぐ泣くから面白がっていただけだったからです。結局1年生の1学期の間は散々からかわれ泣かされましたが、その後は逆に仲良くなり、タイプも世界も全く違う人同士であるのに、未だに地元の仲良い友達の一人なのです。ドラえもんのジャイアンみたいな人で、なんだかんだで良い男なんです。

色々ありましたが、なんとか二学期くらいから小学校生活にも馴染んでいきました。

教育熱心な母親だったので、少なくとも勉強は常にトップでした。ただ、先述した通り体格は小さかったため、足は速かったですが、ドッジボールなどの球技はとにかく弱く、スポーツ全般としては出来ないグループに属していたと思います。

ただ、小学生って面白いです。大人になって分かったことですが、小学校では勉強が出来て足が早かったら女子にモテることもあるんです。(今の時代は分かりませんが。。。)

小学校2年生の時、私の人生最大のモテ期が到来しました。女子より圧倒的に小さいし、顔が良いわけでもないし、かといって女子に気遣いできるような器量もない。しかし、勉強は一番出来てリレーでもマラソンでも足が早かったためモテたのではないかと推察します。クラスの大半の女子から好かれ、バレンタインチョコも二桁の勢いでした。(人生には3回のモテ期があるようですが、小学校低学年で一つ消費するのは少し勿体無い気もします。。。)

体格も小さく泣き虫タイプ。しかし、女性はいつの時代もいつの年代も男性より賢い生き物ですから、評価されるところで評価していただけていたのだと、今になって思います。

さて前編では、色々ありましたが順調にスタートしましたよといった話題で締めました。

後編では、当時小さな頭で感じたこと・悩んだことについて綴っていこうと思います。

後編につづく


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