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石原慎太郎という政治家

古くから尖閣諸島の危機を感じていた石原慎太郎

日本では尖閣諸島への海上保安官の常駐や、ヘリポートをはじめとする恒久施設の建設など、実効支配の強化を求める声がネットを中心に高まっている。
しかし、あまり知られていないが、尖閣諸島には海上保安庁の建造物がすでに存在している。“魚釣島灯台”である。


1978年に青嵐会議員が資金を調達し、関西の大学の冒険部の学生を核にした有志を派遣して魚釣島に手製の灯台を建設したことから始まる。青嵐会は石原慎太郎氏が立ち上げた保守派の政治派閥である。

また2012年4月には都知事であった石原慎太郎氏が発起人となり、尖閣諸島購入計画を発表され、副知事だった猪瀬直樹氏のアイデアにより寄附金の募集が開始された。
みずほ銀行への口座開設より、6日目となる5月2日で1億円、5月7日までの11日間で2億円を超える寄付金が集まり、同年7月7日には13億円を超えた。当時民主党政権であった野田内閣より尖閣諸島が国有化された9月11日以降は鈍化したものの、翌2013年1月末の募集打ち切りまでに計約14億円となった。

尖閣諸島が国有化された結果、寄附金は宙に浮く形となった。石原都知事は関連施設の整備費用に充てることを条件に寄附金を国に譲渡することを表明したものの2021年3月現在、未だ手付かずで残っている。
尖閣諸島は民主党政権が国有化する以前は私有地であった。国有化後、ほぼ放置され現在中国に狙われている状態になっている。

尖閣諸島の先行きを憂いた石原慎太郎という政治家とはどのような人物か。

作家としてキャリアをスタート〜政界進出

昭和7年9月30日生 一橋大学 法学部 卒

公認会計士になるために一橋大学に入学したものの、会計士に向かないと自覚した石原氏は休刊していた一橋大学の同人誌“一橋文藝”の復刊に尽力する。この同人誌に処女作である『灰色の教室』を発表、第2作目の“太陽の季節”を執筆する。賛否両論はあったものの、この“太陽の季節”で文學界新人賞、芥川賞を受賞し華々しく文壇デビューすることとなる。
太陽の季節は1956年に映画化し、実弟の石原裕次郎氏が脇役で出演。後のスターへの第一歩となる。

政界進出は1968年第8回参議院議員通常選挙、自由民主党公認を得て全国区に立候補。史上最高301万票得票して初当選。田中角栄氏の金権選挙を批判。

1972年第34回衆議院議員選挙では無所属で東京2区で自民、公明、社会、共産を押さえてトップ当選。

1973年、石原慎太郎氏は中川一郎氏や浜田幸一氏、森喜朗氏ら保守派の衆参若手31人の議員と血判を持って集結。日本国の憲法を改正するために命をかけて行動することが青嵐会の魂であるとし、田中角栄首相による中華民国との国交を断絶し中華人民共和国と国交を結ぶ日中国交正常化に反対し、反共を旗印に政策集団“青嵐会”を結成(自民党の一派閥、石原派)。

青嵐会

青嵐は寒冷前線の意味で、会名は「渾沌停滞した政界に爽やかな風を送り込もう」という意味を込めて石原慎太郎氏が命名した。設立趣意書には「いたずらに議論に堕することなく、一命を賭して、右、実践する」とあり、結成時に石原の提案で会員名簿に血判状捺した事で知られる。

【青嵐会 設立趣意書】

1.自由社会を守り、外交は自由主義国家群と緊密なる連携を堅持する。
2.国民同義の高揚を図るため、物質万能の風潮を改め、教育の正常化を断行する。
3.勤労を尊び、恵まれぬ人々をいたわり、新しい社会正義を確立するために、富の偏在を是正し、不労所得を排除する。
4.平和国家建設のため、平和は自ら備える事によってのみ獲ち得らるとの自覚に則り、国民と国防と治安の必要性を訴え、この問題を積極的に取り組む。
5.新しい歴史における日本民族の真の自由、安全、繁栄を期すために自主独立の憲法を制定する。
6.党の運営は安易な妥協、官僚化、日和見な旧来の弊習を打破する。


結成当初より、集会では会場となった日本武道館を満員にするほどの人気を得ており“慎太郎新党躍り出る”などと報じメディアもあった。しかし大半のメディアはは自民党の右翼集団、極右集団などと報じており、批判的報道に神経質になっていた中川氏は取材を受ける際には記事に細かい注文をつけていた。

結成から間もなくして、中華人民共和国に対する強硬論に反発した山崎拓氏が中川の度重なる説得にも翻意せず脱会し、それに続いて野田毅氏、綿貫民輔氏、内海英男氏ら離脱者が続いた。
1977年になると中川一郎氏と渡辺美智雄氏が対立。1979年に青嵐会は解消となる。


1975年、無所属で都知事選に立候補する。マルクス共産主義者の美濃部亮吉氏に敗退し初の落選を経験する。

1976年 第34回衆議院議員選挙で国政に復帰し福田赳夫内閣で環境庁長官、1987竹下内閣で運輸大臣を歴任する。
1989年には自民党総裁選に出馬。平沼赳夫氏、亀井静香氏らが支援するが、海部俊樹氏にやぶれる。
1995年「日本の政治はもう駄目だ。失望した」と述べ、衆議院議員を辞職。

都知事として

1999年、告示直前に東京都知事へ立候補を表明。
実弟の石原裕次郎氏を中心とした石原プロが全面支援し保守分裂選挙であったが圧勝し、鳩山邦夫氏、舛添要一氏らを押さえて勝利した。

都知事としての取り組み

銀行税 銀行に課税を組めるも裁判で敗訴(富の偏在を無くすという理念の政策であったが失敗する)

ディーゼル車規制 近隣自治体も追従

新銀行東京 中小企業に積極的融資

首都大学東京 全く新しい大学を作る(都立4大学が整理統合された)

横田空域問題 東京の空を取り戻す

複式簿記 バランスシートを導入

新党結成と国政復帰

2012年、東京都知事4期目途中で辞任、“太陽の党”結成。(“たちあがれ日本”と合流)
その直後に衆議院が解散し、すぐあと日本維新の会と合流、代表に就任する。そして衆議院議員として国政に復帰することになる。

しかしすぐに維新は分裂することとなる。原子力推進派の石原氏政策で対立する。結いの党(代表 江田憲司氏)との合流に護憲政党だと批判する。

2014年、石原氏は日本維新の会から分党し新党“次世代の党”を結党。最高顧問に就任する。そして衆議院議員選挙に東京ブロック比例で出馬するが落選する。



石原慎太郎氏は領土・領海を守るという信念の元、政治活動を行なってきた。
2012年ワシントンでの講演において「東京都は尖閣諸島を買います」と発言。
民間人が所有している島を東京都が購入すると寄付を呼びかけると、10億円以上が集まった。
しかし親中である民主党野田政権により中国の反発を考慮し、東京都より高い金額を提示し予備費から購入し国有化した。

現行憲法は無効、新憲法の制定、それが青嵐会の魂である。
先の大戦で日本は無条件降伏したが、ドイツは3つの条件を付けて降伏した。
1.憲法はドイツが作る
2.教育はドイツが決める
3.国軍は保有する

日本の現行憲法は歴史的正統性がない、戦勝国が敗戦国を統治するための憲法であると主張した。
現行憲法は無効であるとし、新憲法の制定を目指して立ち上げた派閥が青嵐会であった。



都知事時代に中国を支那、朝鮮人を三国人と呼ぶといったことが差別的と言われたり、記者に対する高圧的な態度などメディアでは度々批判に晒されきた。
また、都政の私物化との報道もある。実際、築地市場を豊洲移転、東京オリンピック招致など次世代へ禍根を遺す決定をしている。(ただし築地市場移転問題は1970代から存在し、オリンピック招致したものの2020年にコロナ騒動が発生するとはその時点で誰も想像できなかった)
しかし現在の誰の意思で動いているのか分からない小池百合子氏より、明確なビジョンと思想がある石原氏の方が良いのではと思えてしまう。
石原氏のような保守的な政治家は左派メディアに叩かれるものなのである。安倍前首相も同様である。


今日、尖閣諸島に中国が迫っている。日本政府はアメリカに守ってくれるのかと確認するのみで、自主防衛という考えは毛頭ない。今こそ石原慎太郎氏のような政治家が現れて欲しいと思う。
近年石原氏のような憂国の政治家、強いリーダーがこの日本に存在しないことが寂しくてたまらない。



令和4年2月1日 逝去
石原氏の志を引き継ぐ政治家が現れることを期待したい。

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