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 「私はね、月から来たんだ。ここに来たばかりなの」
 話があると出会って数日の彼女に呼ばれた。少し真剣そうな赤色の目に捕まった。彼女は笑って本を閉じた。やけに表紙の『竹取物語』の文字が目を惹いた。
「この話を信じるか信じないかは君次第。好きにして」
 聞き入れてくれる我儘であることを自覚しているのだろう。少し甘く高い声が響いた。
「月から来たからこの世界のこと何も知らない。ニホンゴが読めるだけ、ニホンゴが話せるだけ。それだけなんだ」
 窓から風が薫る。花がひらりと舞った。そういえば、年齢も、趣味も、好みも何一つとして知らないことに気づいた。顔と声を知っているだけの関係。
「君は私に知識や楽しいをくれる?」
 彼女は以前、「ここ」に来たばかりだと言った。「ここ」というのは彼女の今住んでいる無駄に本の多いこの部屋なのか、日本なのかがわからなくなった。彼女に聞きたいことばかりだ。彼女と話したいことばかりだ。
「私ね、今からここを発つんだ。鍵はここにある。好きな時に来て好きな本を読めばいい。たまにビデオ電話するね。動画を送るね。あなたに祝福が訪れますように、またね」
 トランクを持ち、車に乗り込んだ。アクセルをふかす音が聞こえた。ああ、とうとう行ってしまうんだ。彼女の車が見えなくなった。いつか、君が戻ってくるまでの間。夜に浮かぶ月に君を探そう。そこに君がいたとしても、いなくても構わない。この月に君がいるなら。この世界のどこかに肝がいるならそれでいい。たまにかけると言ったビデオ通話を、送ると言った動画を今は待つしかない。

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