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君が死んだ場所から帰る

関東に住んでいた弟を自殺で亡くした私。
そんな私はよく関東旅行をするのだけど、これはそこから帰るお話。
詳しくはコチラ🔻(短いのでお時間のあるときにでもよかったらどうぞ)

私は今、旅行から帰る為に空港行きの電車に乗っている。
がたんごとん。がたんごとん。
外の風景に目をやると、■■銀行、みたいな地名の入ったお店もある。
その、■■は弟が自殺した、関東の中でも更にピンポイントの土地の名前が書かれていて、見ると矢張り弟のことを思い出し、落ち込む。
毎度のことなのだ。毎度のことだけど、この心の鈍痛にだけは慣れない。
うちは両親が毒親なものだから、暴力が酷かった。
だから、外部からの痛み、例えば殴られたとか、そういった痛みには多分その辺の人よりは強い自信がある。
というのも、人間というのは辛い現実を受け止め続けると壊れるから、防衛装置が働くように出来ている。
私は殴られたりすると、解離症状が発症する。
この解離症状は多岐に渡り、人によって症状も様々だけど、私の場合は意識を飛ばせる。
だから、殴られている間、ずっとぼーっとしている。
で。こんな症状が発症するくらいだから精神的な痛みには滅法弱い。
豆腐メンタルなので道で迷子になっただけで、自分はもう生きていけない、生きるのに向いてないと泣きそうになるくらいには酷い。
今のように冷静なときだと、何故そんなことで泣きそうになるんだ、と思えるのだが、いざそういう状況になると一気に駄目になる。

がたんごとん。がたんごとん。
電車は相変わらず揺れている。
この土地で、弟は死んだ。
確かに死んだのだ。
そして、確かに生きていた。
でも、私は弟が上京してからあまり会うことが無かった。
同じ屋根の下に居た人間が、今日からいきなり居なくなるのとはまた感覚や受け止め方が違ってくる。
特に、亡くなる一年前からは連絡もほぼ取らなくなっていた。
変な言い方だが、いきなり居なくなった感覚と、徐々に居なくなった感覚が混合しているのだ。
自殺したこと=いきなり居なくなった、
実家を出て上京してだんだん会わなくなってだんだん連絡頻度も少なくなっていった=徐々に居なくなった、
こんな感覚なのだ。

私はまたこの土地に旅行に来る。
関東には友達がいるし、好きなお店もある。
だけど、もう昔みたいに心の底からうきうき出来る日なんて来ない。
だって此処は、君が、頑張って頑張って頑張り続けて、最後まで誰にも怨嗟を言わずに一人居なくなった寂しくて悲しい場所だから。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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