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子どもを指導するということについて


最近よく泣いています。

動物園のアシカくらいないてしまいます。

でも元気です。

そんな私ですが、実は3月に大学を卒業いたしました。

ありがとうございます。

その際に学位記というものをもらいました。

初めてもらう学位記、ふかふかでかわい〜🥰

そんな萌かわ学位記に加え、わたしのもとにもうひとつのなにかが届きました。

教員免許状です。

なにこれ、全然ふかふかじゃないしかわいくない!!

…いらない!!

でもこれめちゃくちゃ頑張ってとったんですよ。

実はこの立派でふかふかの学位記よりとるの大変なんですよ。

ということでせっかく教員免許をとりに大学に行ったので、自分の指導観の話をしたいと思います。

私の教員免許は中学社会、高校地理歴史、高校公民の3種類です。

写真は教育実習の際の私です。

あと経験としてはバイトで学童支援員を1年近くやっておりました。


私はもともと怒られるのが異常に嫌いなので、そんな傷つきやすい子どものことを考えて指導ができるような教員になりたいと思っていました。

でもやはり学校のレベルによっては、それがなかなか難しいものがあると感じました。

特に小学生の指導をしてからはその難しさをより強く感じます。

小学生の頃の私は少し注意されるだけでもそれを気に病んでしまっていました。

でも小学生と接してみて、みんな怒られることを気にしなさすぎてびっくりしました。

わたしが気にしすぎていて、みんな思ったより適当に生きてきたんだなとここまで生きてきた自分を憐れに思いました。

実際学童では怒るというより「何が悪いのかを説明する」感じで接していました。

あるとき子どもを叱らなければならなかったのですが、なかなか話が通じず、正社員の先生とバトンタッチしました。

そのときに先生に「話長すぎ」と怒られてしまいました。

集中力のない子だと長々と話してもダメだと。

たしかに私は子どもになぜ怒ってるのかをきちんと理解してもらうために話が長くなっていた自覚があり、集中力がないとわかっていたのに気が回らなかったと反省しました。

ただ、そのあと

「もっと声を上げて怒れ」「イラッとしたのをそのままぶつけたらいい」

といったことを言われました。

これには私は異を唱えたかったです。

綺麗事かもしれないけれど、声を上げて怒って怖がらせて指導するのは違うな、ということ。

まあとはいえ必要なことを強く伝えることは小学生に関しては大事だと思うようになっていて、自分もやっていなかったわけではないのでここは受け入れるとします。

でも、イラッとしたのをぶつける、これは本当に違うと思います。

私は子ども接していてイラッとしたことはほとんどありませんでしたが、

イラッときたから怒る、ではなく 

「その行動が間違っているかどうか」「その子のためになるか」

そういうことを考えたうえでこれは直したほうがいい、となると叱るという形を取っていました。

仮にイラッときたとして、これは主観でしかありません。

逆にイラッとこなかったから叱らなくていいというわけでもないと思います。

自分の感情は置いておいて、客観的に見て「いいか、よくないか」「どう育ってほしいか」そういうところを意識しないといけないのではないかと思いました。

実際その先生が私の代わりに指導してくださっているとき、「この言葉はよくないのでは?」と思うこともありました。

そのため私は「感情でいくのは違うんじゃないか?」と言いたかったのですが堪えました。

でも「はい」とも言えずにいたので、それを見た先生が

「イラッとくるところあったでしょ?」

と聞いてきました。

私はそのとき子どもに唾をかけられるまでしましたが、別に苛立ちはしませんでした。

悲しくはなったけど。

そのためそれにも答えられずにいると

「心が広すぎるよ!!」

と怒られました。

心が広すぎて怒られたのは初めてでした。

みなさんはありますか?

心が広すぎて怒られたこと。


私は未だにこの件だけは納得がいっていなくて、正社員じゃなかったけど「私の方が絶対子どものこと考えているぞ!」

と思ってしまいました。

でも何も言えなかったし、怒られたのも嫌だったのでちょっと泣きそうでした。

ただ別にそんなに心は広くないです。


人を許すとき、その人を憎むのではなくその人をとりまく環境を憎めば割とイライラせずすみます。

子どもの場合、特に環境がそうさせるので「家庭環境が悪いのかな」と思うと哀れになりこそすれ、苛立ちはあまり覚えませんでした。

ほんとに片手で数えられるくらいしかなかったですが、苛立ちを覚えるときは自分のコンディションがよくないときだなと思って反省していました。

とはいえ自分は怒ることが苦手です。

怒らないことが優しいことだと勘違いせず、怒られなくても反省し、きちんとできる人間になりたいし

人を怒れない怠惰な自分を優しいと思い込むような大人にならないようにします。


怠惰といえば、

最近職場のトイレが手をかざすと石鹸が出てくるタイプなので、手動のやつにも手をかざしてしまって機械に怠惰にさせられてしまった感が悔しいです。




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子どもに教えられたこと

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