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キツネの嫁入り

「狐のせいで電車遅延?」
「はい、なんでも線路上に狐が居座っているとか何とかで・・・・・・申し訳ありません」
「・・・・・・そうですか」

 俺はがっくりと肩を落としとぼとぼ歩いてホームの椅子に腰掛ける。

「ほんとについてねえなぁ・・・・・・」

 嘆息して起床してからの出来事に思いを馳せる。
 まず最初に熱々のコーヒーを制服にこぼした。
 次に、眩しく輝く太陽に一切の疑いを持たずに家を出れば青空から雨が降ってきた。いわゆる狐の嫁入りだが、かわいらしさは微塵もなくおかげで俺はびしょ濡れだ。
 そして最後に遅刻を確定させた電車の遅延。
 いつもなら気にしないのだが、今日は間の悪いことに転校生が来る日なのだ。特に何も期待してはいないし、何も起こらないのは分かっているがそれでも心躍らせてしまうのが人間という生き物である。
 というわけで俺も今朝は珍しくるんるん気分で家を出たのだが結果はこのザマ。俺も転校生をうきうき教室で迎えたかったんだが・・・・・・。

「・・・・・・もしかして今日の不運がとてつもない幸運の前ぶりだったりしない?」
「わたしと結婚しませんか!!!!!!!!」
「!?!?!?!?!?」
 
などと持ち前のポジティブを発揮していると唐突に俺の聴覚を襲った絶叫に肩を跳ねさせ反射的に振り向く。
 そこにいたのは俺と同じ高校の制服を着た太陽みたいに笑う見知らぬ女の子だった。
 短く切りそろえられた金色の髪の毛がさらさら陽光に輝き、ぱちくりきらきら大きな瞳がたくさんの元気をはらんで俺だけを世界に捉える。思わず触れたくなるほどに滑らかな肌は血行の良さを示すように淡く朱に染まり、大きく開いた口内にのぞく小さな犬歯が庇護欲をそそる。制服の第一ボタンは外されており、開放された胸元からのぞく首筋と鎖骨は否応なしに視線を吸い寄せ、控えめな胸がかすかにシャツを押し上げる。ひらひら揺れる短いスカートからのぞくふとももは健康的に引き締まっており、その脚線美は言葉では言い表せないほどに美しい。
 ようするにとてつもなくかわいい女の子がいた。
 驚きに動くことの出来ない俺に女の子が一歩詰めてくる。

「わたしと結婚しませんか!」
「いや聞こえてないわけじゃないんだよな!」

 俺の全力のツッコミに女の子は可愛らしく小首をかしげるのみ。
 なんだか痛み出した頭を押さえつつ俺は口を開く。

「・・・・・・冗談で言ってんだよな?」
「? 何を?」
「・・・・・・俺と結婚したいとかなんとか」

 がーん、なんていう擬音が聞こえたのかと思った。

「ま、まさかけんとくん・・・・・・わたしのこと忘れたの!?」

 触れ合いそうになる距離まで近づいてきた女の子に俺は一歩後ずさる。

「忘れるも何も俺は君と会ったこと・・・・・・というかなんで君は俺の名前を」
「わたしにあんなことしておいて捨てるなんてひどい! 責任とってよ!」
「公共の場でそういうこと言うの止めような!? もちろん身に覚えはないが!」
「もがもがもがもが!」

 冤罪とはいえ知り合いに聞かれでもしたら大変なことになるので俺は慌てて女の子の口を塞ぐ。なお客観的に見て現状の方がどう考えてもやばいのは置いておく。
 プロレスをしばらく繰り広げた後、女の子が大人しくなったので彼女を解放する。

「もう! ひどいよけんとくん!」
「酷いのは君だと思うけどな・・・・・・」

 ぷんすかむくれる彼女に一日の体力を使い果たした気分の俺。

「で、ほんとは覚えてるんだよね?」

 そんな俺に彼女は再度問いかける。

「いや覚えてねえけど」
「えー!? ならこれでどうだっ!」

 言って彼女はむむっと難しげな顔で少し唸る。
 どう考えても厄介な奴に絡まれていることが判明したので俺は逃走方法を考え始める。

 しかし、次の瞬間に目の前で起こった出来事に俺は呆気にとられる。

「は?」

 なんと彼女の頭部に動物の耳が2つ生えてきたのである。

「これでさすがに分かるよね!」

 薄い胸をむんと張って耳をぴこぴこ揺らす女の子。
 投げられた問いに咄嗟に思い浮かんだ答えを返す。

「・・・・・・猫?」
「きつねじゃーい!」

 こーんっと全身で俺を威嚇する彼女。
 よく見ればいつの間にか現われた大きな尻尾が逆立っている。

「わかんねーよ」

 俺の口から思わず笑みが漏れる。
 どうもこの子が俺を騙そうとしているようには見えない。アホそうだし。

「なんで笑うの! あと今わたしに失礼なこと考えたよね!」
「いや考えてねえって。で、狐がどうして俺のところに?」
「あ、わたしのことはあずさって呼んでね、けんとくん」
「あいあい、あずさ」
「えへへ」

 呼んでやると頬を染め顔をほころばせるあずさ。
 割と見惚れていると、俺の視線に気づいたのかんんっとあずさが咳払いをする。

「で、えっと、ほんとに覚えてないの? わたしのこと」
「悪いな」

 しょぼーん、なんていう擬音が聞こえたのかと思った。

「ま、まあしょうがないよね、わたしも恥ずかしくてすぐ逃げちゃったし。じゃあわたしとけんとくんの馴れ初めを改めて」
「馴れ初めて」

 突っ込む俺に構わずあずさは話し始める。

「あのときの狐があずさ!?」
「それでわたしはあなたに恋に落ちたのです!」

 驚く俺とドヤ顔あずさ。
 ともかく俺は今の話を再度整理する。
 あずさが言うには、俺が数日前にガキ共から助けた狐があずさらしい。
 狐が人間に化けるなど信じがたいが、目の前に本物がいるので信じざるを得ない。
 ようやく理解が追いついた。

「それで結婚しようってか」

 俺の言葉にあずさの瞳がぱっと輝く。

「うん!」
「いやうん、じゃないんだが」
「え、どうして?」
「1回人間の常識を勉強しような!」

 あずさがピタリと動きを止めた。
 そんなあずさに戸惑う俺に、おずおずとあずさは口を開く。

「わたしと結婚しないってこと・・・・・・?」
「しないっていうか・・・・・・え、俺たち知り合って初日なんだが?」

 あずさがうつむいた。
 なんで?

「・・・・・・実はわたし家族に追い出されちゃったんだ」
「え」

 予測していなかった方向から飛び込んできた事実に言葉を失う。

「狐には16になると自分の家族を持たないといけないっていう決まりがあってね」
「ちなみにあずさは・・・・・・」
「もうそろそろ16」
「・・・・・・それで追い出されたってか」
「うん」
「・・・・・・」

 急に舵の切られた場の雰囲気に俺は押し黙る。

「そんなとき途方に暮れていたわたしを助けてくれたのがあなただったんだ。その温かい声に、優しさのにじみ出るわたしを撫でる手に、心細くてどうにかなりそうだったわたしを包み込んだあなたがわたしを恋に落としたの」

 あずさはいつの間にか俺を見つめていた。
 胸の前で震える手を握り、不安に瞳を揺らし、焦がれるように俺を見つめていた。

「だからわたしと結婚してください」

 それはおそらくとても勇気のいる言葉だったのだろう。
 瞳はまたたかず、喉もならない。許されている動きは震えだけ。
 でも、それでも

「・・・・・・」

 頷けない。
 だっておかしい。
 別に理想を語るつもりはない。
 だがそれにしてもロクに知りもしない相手とこんな大きな約束は出来ない。
 そんな不甲斐ない俺にあずさの耳がしゅんとたれる。

「だめ、かな」
「・・・・・・だめ、っていうか」

 続く言葉が見つからない。

「好きだよ、けんと」
「・・・・・・」
「今日こうして話してみて改めて思ったよ。わたしの一目惚れは間違ってなかったって」
「・・・・・・」
「会ったばっかりなのにわたしのことをこんなにも考えてくれてありがとう」

 あずさが身体を翻し向こうを向く。

「一人で頑張ってみるね。本当に困ったときはお母さん達も助けてくれると思うし!」

 そのとき彼女の近くをきらりと何かが舞った。

「・・・・・・待て」

 俺は声を絞り出す。
 それは高校生の俺がするには大きすぎる決断で。
 それでも。

「じゃあね! 少しの間だけど楽しかったよ!」
「待てって!」

 泣いている子を放置できるほど俺は強くないから。
 半ば叫びながらあずさの手を握る。

「・・・・・・けんとくん?」

 何かを期待するように足を止めたあずさが振り返り俺を上目に見る。
 俺は唇を噛む。

「・・・・・・結婚はできない」
「だ、だよね」
「でも」

 肺いっぱいに空気を吸い込み、決意を言葉にする。

「俺の家で良かったら一緒に住もう」

 ぶち当たる壁はおそらくとてつもなく大きい。
 だがあずさを一人にしたことを後悔するより辛いことはきっと一つもない。

「やったー! けんとくんと事実婚だ!!!!!」

 などと己の運命を託しその反応を厳かに待つ俺に対してパートナーは、重苦しい空気などなかったかのようにぴょーんと跳ねた。心底嬉しそうな声音と共に。

「は?」
「ベッドにこっそり潜り込んだり、お風呂上がりにきわどいかっこでけんとくんの部屋訪ねたり、毎朝学校に一緒に行って噂されたり・・・・・・えへへへ」
「いやいやいやいや待て待て待て待て」
「どうしたの?」

 意味が分からない。

「どうしたも何も今人生を大きく左右する深刻な話をしてたところだよな?」
 問うと、あずさが「じつは~っ!」と俺に抱きついてきた。
「ぜんぶ嘘でした!」
「・・・・・・は?」
「お母さんとは仲良しだし、狐に家出する決まりなんてありません!」
「・・・・・・」

 うーん、キレそう。

「あ、ぜんぶ嘘って言ってもわたしがけんとくんの事を好きなのはほんとだよ!」
「・・・・・・」
「これから仲良く一緒に暮らそうね!」
「ふっざけんなよお前!? 俺の緊張感を返せ!」

 かわいい顔が憎たらしくてしょうがない。
 あずさが俺の言葉にぽっと頬を染める。

「・・・・・・か、からだでってこと?」
「アホか!」

 というわけで俺は狐の女の子と一緒に暮らすことになったのだった。

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