『大東京トイボックス』うめ

 熱い。本当にゲーム業界にあんなことがあるとは思ってないし、虚像なのは重々承知した上で、モノづくりとは何かって部分をストレートに問うてくる作品。刺激は受けた。東京トイボックスから続く物語の終わりをようやく見届けることができた。ひたすらに感情移入をしているから太陽はソード作れて本当によかったなと思う。しかも大東京になってからの月山の可愛さが群を抜いてる。いつの間にか関係性が出来上がっててちょっと驚いた。何よりも巻末の月山ちゃんが可愛すぎる。下手な少女漫画とかよりも心持っていかれる。なんだあれ。文字なしであそこまで表現出来るのか。漫画の描写力の強さを知る。限界なんて無いんだろうな。そして、太陽と泉水の関係も落ち着いてよかったなと。最後はあまりにもSFチックで、ゲーム作りが関係無くなってたのは確かに気になった。エピローグが満足いくものだったからあまり今は気にしてない。モノを作っていけば様々な障害がある。それに人への影響だって当然ある。良くも悪くも。それらを全部わかった上でそれでも作り続けるしかないっていう結論はそれしかないっていう落とし所だと思う。

 東日本大震災の時にアーティスト達がこぞってこんなときにこんなことしてていいのか悩むというスタンスを取っていたけど、どことなく違和感を覚えたのを思い出した。腹の足しにもならない娯楽を作ってていいのかって思う気持ちはわかる。多分それが正論なんだと思う。それでも、なんでか納得はいくことが出来なかった。しかもそれで大抵のアーティストの結論は自分にはこれで元気付けるしかないってとこに着地してた気がするし。調べたわけじゃないからものすごく印象で語ってしまってるけど。そんなもん最初から決まってただろと思ってしまったわけです。学生は学業なんかしてる場合じゃなくてとっとと、農業なりボランティアなりに行けってことなのか。果たして学生の何割が勉強なんかしてる場合じゃないって考えたんだろう。結局自分に出来ることなんか限られてて、しかも得意分野はそれぞれ違ってて、世の中は分業してるわけで。いきなり農業を始めたりしないのであれば自分の仕事をすればいいのにって思ってしまったわけです。なんかものすごく話が脱線してしまった気がする。要するに何があろうとクリエイターは作るしかないし、我を通そうが通すまいが、それに影響を受ける人たちは必ずいて。それを常に考えながらやればいいんだろうなーと考えたりなんかしたわけです。

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