『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』ティム・バートン

 あの場にいる奇妙な子供たちの愛らしさはなんだ。 特殊能力を持った子どもたちが無邪気に遊んでいる姿には理屈じゃなくワクワクする。特にヒロインを演じたエマの空気を操れるというもの。もっと言えば、鉛の靴を脱げば浮いてしまうというもの。「浮く」っていうのは示唆的だなと思いながら見ていた。人と違った部分があってコミュニティから少し外れた部分にいるとき「浮いている」と表現する。まぁ日本語的な表現を合衆国の映画に当てはめるのも野暮なのかもしれないけど、それでもきっとその浮いているという感覚はある程度みんな持っている感情なんじゃないだろうか。そんな奇妙さを体現するように「浮いている」エマと見えないものが「見える」主人公ジェイク。そんな二人が結ばれる話が面白くないわけがない。

 毎日決まった時間に木から落ちてくるリスを巣に返すために自分が浮くから紐を持っていてくれとジェイクは頼まれる。いきなり非日常に放り込まれた上に当たり前のように女の子の命綱を自分が握ることになる。それまで自分が人とは違っていて、オカシな存在なんじゃないかと葛藤していた中で、肯定されるどころか命を預けられるほど信頼されたらなんかもう幸せだろうなってすごく思った。そんなエマが苦境に立たされたときには勇気を奮い立たせて守り、浮いているエマを引っ張って歩いて先導するほどの頼もしさを見せた。

 関係ないといえば関係ないこととして、人を守るというのは傲慢だと感じる瞬間があって、人を助けたいって思う気持ちがあったとしても結局利己的なものなんだから優しさではないんじゃないかと思ったりもする。ただ、映画を見ていてそんな性善説だの性悪説だの利己的だの利他的だのって机上の空論ではなくやらなければならない瞬間というのは確実に存在していて、そういうときにきちんと動ける準備をしていなければならないなとぼんやりと考えていた。

 少しだけ苦言を呈するのならば、敵があまりにもお粗末じゃないかとは感じた。ただ攻撃を受けるだけ受けてくれて、それに対して主人公サイドを本気で殺しにかかろうともあまりしないから敵の余裕は感じられるんだけど、普通にこちら側にとっても余裕でしかなくてあまり緊張感が存在しなかった。ただなんとなく見ていてホームアローンみたいだなと感じた。子どもたちが知恵を絞って自分だけができることを次々と繰り出すことで敵を翻弄していくという様はやはり痛快で、仲間を守るために自分にしかできない攻撃を繰り出していく子どもたちを見ているだけで満ち足りた気持ちになった。

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