なめられる

ある日の私は、小さなグループをまとめるリーダーの資格を取るべく、先輩にOJTを受けていた。


この会社では、初対面のメンバーをまとめるために、マネジメントのマニュアルが存在している。

それに沿いマネジメントを行う。


中でも印象的に残ったのは、

リーダーパワー

と言うもの。

リーダーのもつ権限を利用し、部下を操る。

私はリーダーなのだから、従いなさいと言うことである。


組織の中にいるのだから仕方ない…のかも?

と、当時は思っていた。

緊張感の必要な仕事だし。



私のOJTの振り返りを先輩にしてもらうと、

先輩は、

「さくらちゃん優しいから〜

優しいと部下になめられるよ?」

と評した。


なめられる…なんだろう、久しぶりに聞いた言葉だ。そう、まるで中学校の部活のよう。


後輩になめられないように、怖い先輩でいないと!

又は、

オマエ、オレのことなめてんじゃねぇよ!!


の世界。ヤンキーか笑


どうして、なめられてはいけないのだろう?

私はそこに、前提として、

上下関係が存在しているからだと思う。


後輩は先輩を敬わなければならない。

後輩は先輩の命令には従わなければならない。


日本社会に生きていると、絶対に避けては通れない価値観。

しかしながら

"人間は平等である"と憲法には定められている。

社会科の授業でそう教わった。

しかし、現実はそんな事は無いと思ったことが、誰にだってあるはずだ。


何故、平等なはずなのに、

先輩の理不尽な命令に従わなければならないのか、

教師の機嫌を損ねないように振舞わなければならないのか、

理不尽な上司の言葉に涙を堪えなければならないのか。


社会は矛盾ばかり。


もし、リーダーであろうがメンバーであろうが平等ならば、

自由に誰でも意見を出し合える雰囲気こそ、大切なのではないのか。

なめる、なめられる、の価値観を持った途端、部下は自分と同じ人間ではなくなるだろう。


人間にはそれぞれ、得意不得意があるという事を私は信じていて、

それぞれの欠けたところを補い合うのが、組織の良さではないかと思っている。

ただの理想論に過ぎない。

が、

今の日本を見てみれば、もう理想論だと笑って済ます段階ではない様に感じる。



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