フォトブックの自作を初めて後悔したけれど捨てられなかった
これまで私は200冊以上のフォトブックをつくってきた。その大半が娘の写真だ。
推しのグッズを集めるような感覚でせっせとフォトブックを増やした。
たまに見返しては「つくってよかった」と満たされた気分になる。
仕上がりに不満を感じたことはあっても「つくらなければよかった」と思ったことは無い。
一度も無かった、あの日までは。
私は先月、1冊のフォトブックを注文した。
それは、神社仏閣をめぐり娘の受験合格を祈った記録。
合格発表を待つ間やきもきするくらいなら今しかできないことをとフォトブックづくりに取り掛かった。
狂気じみた考えかもしれないが、娘を思い合格を祈った日々を振り返ると心が落ち着いた。
そして迎えた合格発表の日。
完成したフォトブックを胸に見守った。
祈りが通じなかったことがわかり、フォトブックの行き場も失った。
その日の夜遅く、咄嗟に隠していたフォトブックを見つけて「つくらなければよかった」と初めて悔やんだ。
お守りといっしょに塩でお清めをして処分しようか・・・
こうなることを想像していなかったわけではない。
娘の頑張りも、その頑張りが報われるように祈ったことも事実なのに結果次第ではすべて否定されたように感じることを危惧していた。
だから、フォトブックの奥付に労いと励ましのメッセージを最大限綴った。
狂気の沙汰ではない。
他のフォトブックと同じように娘を思ってつくった1冊。
やはり捨てることはできない。
とはいえ、今は娘に見せようと思えないし、私も見返すのがちょっと辛いので本棚の奥にしまっておく。
やっぱりあの頃の私は狂っていたかもと笑い飛ばせる日まで。
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