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八月十五日に書いた文章

ここにも、載せておこうと思う。
なお、note掲載にあたり内容を変えない範囲で若干の推敲をおこなった。 

本日8月15日は終戦でも敗戦でもなく、天皇の肉声(録音)がラジオで流れた日である。

ポツダム宣言を受諾した旨を日本国民(当時は臣民)に伝達された日であるからこの日が終戦/敗戦という主張の趣旨そのものは理解できるが、いや、だからこそ、それ以上に8月15日という暦のもつ政治性を重視したい。

ポツダム宣言の受諾は8月14日であり、降伏文書の調印は9月2日であって、私は〈敗戦〉の日を後者とする立場をとる。

なお、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を8月15日と制定する閣議決定がなされたのは、1982年4月のことである。

さて、天皇徳仁は以下のようなコメントを発したらしい。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230815/k10014163611000.html

首相のコメントと比較すれば、戦後の発展と戦没者の犠牲との因果関係に触れていないことは(相対的には)評価できるとは思うが、それ以前に「今日の我が国の平和と安定」、「戦後の長きにわたる平和な歳月」に強烈な違和感を覚える。

「戦後の平和」なるものは、単に日本国が当事国として直接戦火を交えなかったこと、日本国がその施政権の及ぶ範囲で戦闘行為を行わなかったことのみを意味する。

その言葉の裏には、朝鮮戦争やベトナム戦争によってもたらされた「特需」が戦後復興を支えたこと、PKO協力法やイラク復興支援特別措置法などにもとづく自衛隊の海外派兵などの史実が没却されている。つまり、これらの事情をみなかったことにして「結果」としての平和を称揚するのである。

上皇の退位の際のコメントでも「平成の時代を戦争のない平和な時代として終えられることができて云々」という暴力的な発話があったが、今回のコメントも同じ水準にあるといえる。

先に言及したイラク復興支援特別措置法に基づく自衛隊派兵で、帰国後少なくとも29名の隊員が自ら命を絶ったことがわかっている。

彼らの遺族の前で、同じことが言えるのか。

そんな〈象徴〉など、不要である。


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