最近かんじていること

最近、自分のことですが、小説には限界を感じています。まだ未完成の作品がありますが、とても破天荒な内容で小説と呼んでいいのかと自分でも思っています。

嬉しいことが一つありました。以前、携帯小説サイトおりおん⭐︎で書いていた時、私がファンだった方、Twitter、今はX?でフォローバして下さいました。
彼女の詩はやっぱりすごいですし、小説もすごいです。
そんなすごい人と同時期執筆できたことは素晴らしいことだと思いますが、あらためて、そのすごさを思うと私の小説は稚拙だなと感じます。

歴史研究会に所属してますが、これも以前書いたことの続きは書こうとは思っています。ただ、歴史研究会も出版社が変わって私自身も今の体制の出版社の元で書き続けるかどうかは考えています。以前は専門家とは違う在野の視点からというのが良かったと思うのですが、最近はその視点が無いですね。もちろんきちんと勉強したり調べたりは必要ですが視点が変われば全く違うものになります。だからこのまま所属していていいか考えています。

一冊の本になり、その中に自分が書いたものがあればやはり嬉しいし励みにもなりましたが。

短歌は一日一首は5年以上は続いています。短歌もうまいとは思いませんが、一日一首だけは続いていて気づいたら5年以上経ちました。
一日一首は自分が思う以上に大変でしたが、最近はやらないと気持ち悪いですね。これからもコツコツと続けたいとは思います。

でも、私の専門にしてたのは別のものなんです。あえてふせさせていただきますが。

人間、自分の能力以上にやるのはある意味不幸ですね。苦しいだけです。それに何か自分を高めるとか自己啓発とかも不自然に感じます。
そんなことしてもあまり意味は感じません。
私自身、障害を持ち専門にしていたことはできなくなりました。
もっというと自分を高めようと苦しみあがいでも必ず死にます。
じゃあ何の為に頑張っているのか?

それより自分を楽しませてあげるほうが大切だと感じています。昔は小説を書くのは楽しかった。歴史研究会の原稿を書くのも楽しかった。今は楽しく無いんです。
いろいろ理由はありますが楽しくありません。
障害を持つということは何かをあきらめるということです。
そして環境も変われば同じものでも感じ方も変わります。

まあ、短歌はヘタクソなりに続けたいとは思います。でもよく続きました。

でも嬉しいことがありましたから、また違う意味で何かはじまるかもしれません。
はじまらないかもしれないですが、これからも自然体に生きたいですね。

あ、頑張っていることはありますよ。それはでも本当に大切なものだからあえて言いません。

あと、このAIで以上の文章をきれいに書き直ししてみましまが、全くよくないですね。以前、あらすじをやってみた時はよかったんですが。
まだ、これも未完成なんでしょうね。

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