見出し画像

新しい自分の良し悪し

最近、暇つぶしに立ち寄った中古店にて一冊の本を手にしました。

それは、数年前に話題となっており、瞬時に頭の中で「読んでみたい」と思いました。(300円という安さが、その大半を占めていましたが・・・。)

「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」村上春樹さんの著書です。

その中でどうしてもメモしないと先に進めない一説がありました。

「人生の過程で真の自分を少しずつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく」
私はこの真意に、学生時代とても苦労していた事を思い出しました。

中学高校時代に自分はこういう人間であるという自分が決めた枠に縛られていた所がありました。
数ある選択肢の中から選ぶのは必ず”無難”な選択肢。5回に2回はボケる。自己犠牲をしてまで譲る。常に清潔でいる。持ち物は最先端すぎないありきたりなもの。長過ぎでも短過ぎでもないスカート丈。予習はしないけど復習はする。好かれないけど嫌われないラインの会話。平和主義。こういう時はこうする。それが自分だと。
これらのポリシーは自分を乗っ取っり一人歩きし始めているように感じていました。〇〇したいというより自分ならどうすべきなのかと。

学校と家といったある程度の高さのある塀の中を行ったり来たりしていた頃は、そのポリシーが歩いているほうが生きやすかったのかも知れません。

しかし大学生や社会人となると一瞬にして塀は崩壊していきました。そしてポリシーは外の世界に対する対応がとれなかったのです。
正確にいうと対応できないのではなく、塀の外の世界を楽しそうと踏み出したいと思う自分をポリシーが抑え込めなくなっていました。

そして、今までの自分であったら取らない行動をとるようになっていきました。
冷たい態度。友達との戯れ、お世辞、愛想といったくだらない上辺だけの行動や言動は一切やらない。
自分の中のポリシーに反する行動をとる自分に正直困惑していました。

「人生の過程で真の自分を少しずつ発見していく。そして発見すればするほど自分を喪失していく」

発見した自分が良し悪しあると思うが
それも自分だと肯定し生きていく方がかなり生きやすいと考えるようになりました。
新しい選択肢をする自分によって昔の自分(ポリシー)は喪失していきました。
自分は変わってしまったと暗闇で何度も思考を巡らしたこともありました。昔のポリシーにハマるように思考を歪ませるが、パズルのように綺麗にはまってくれませんでした。

新しい自分の良し悪し関係なく、そう思ってしまった時点で自分でなくなったような感覚を味わった学生時代。忘れていたその時の感情を、この文章で蘇えさせることができました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?