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2021.7.1 パンデミックを封じた男

推定死者一億人以上

今から100年以上前…

新型コロナウイルスより遥かに恐ろしく、500年もの間、猛威を振るった感染症が存在しました。

世界各地で人々がパニックに陥り、名医と呼ばれる医者さえも解決の糸口を見出せない中、この感染症を抑え込んだ国があります。

皆さんはこの国がどこかわかるでしょうか?

当時の覇権国家だったイギリスではありません…

次なる覇権国家として、勢いを増していたアメリカでも、最先端の医療研究がなされていたドイツでも、北欧の国々でもありません。

その国とは、

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なんと我が国、日本でした。
なぜ、先進国がこぞってお手上げだった感染症を開国して間もないアジアの小国が抑え込めたのか?

その背景には、名誉を捨て、危険を顧みず日本のために尽力したある男の存在がありました。

この男の功績を知ることで、戦後75年の教育により、現代ではほとんど失われかけている、古来より日本人の心に根付いている力を与えてくれます。

今回は“特別な感性”を紐解いていこうと思います。

パンデミックを封じ込めた日本人。
「地位も名誉も要らぬ」
名声を捨て祖国に捧げた“和の精神”

「この感染症が日本に伝わって来たら一大事である。そのような惨劇を何としても食い止めなければ」

1892年、ある男の下に電報が届く…

<世界から100年近く姿を消していた感染症が突然再流行。場所は中国南部。>

これによる死者は6万人。

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さらには香港にも感染が広がり、町中が混乱と恐怖に包まれているという。

その感染症とは、数百年前ヨーロッパで猛威を振るったペスト

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この電報を受け取ったのは、後に“日本近代医学の父”と呼ばれる北里柴三郎
彼は研究者としてまだまだ若手だったドイツ留学時に、不可能と言われた破傷風菌の発見に成功し、治療法を考案。

さらには、その技術を他の感染症予防に応用するなどの功績を上げ、細菌学の分野において名声を上げていた。

そんな彼に届いたペスト流行の知らせ。

当時、ペストは菌の特定ができておらず、感染を防ぐ有効な対策も治療法もなかった。

自らが感染してしまう可能性があったのだが、その危険を顧みず、北里は香港へ向かった。

香港でペストが多く発生していた地区では、ほとんどの家庭に感染者がいた。

そのため、香港政庁は区域内の住人を強制退去させた後に家屋を取り壊し、家具を焼き払うといった対処の方法しか見出せていなかった。

そんな一刻も猶予もない壊滅的な状況の中で、北里ら一行が到着すると、病死した患者の解剖に急いで着手。
ところが、いざ顕微鏡で覗くと、既に腐敗が始まっており菌を見つけることができない。

周りの学者たちは、
「これでは埒が明かない…」
という言葉を口にしていたが、北里は違った。

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6年間のドイツ留学時、寝る間も惜しんで没頭した実験の数々。
その取り組む姿勢を見た周りの研究者たちに
「北里は実験の鬼だ」
と言わしめたほど。

他の学者と比べても、多くのデータが頭の中に入っているという自負があった。

「私がこれまで見てきた菌と共通点があるに違いない。それが見出せれば、性質も似ている可能性が高いはずだ。」

改めて取り出した臓器を詳しく調べてみる。
すると、過去に見覚えのある感染症の症状と似ていることを発見。

「もしかすると、これは“炭疽症”の菌と近い可能性があるぞ」

この病気は血液中に菌が入る性質を知っていた彼は、患者の血液を重点的に調べる作戦に切り替えた。
暫くすると、

「これだ!ついに発見したぞ!ペストだ!」

顕微鏡を眺めていると、特徴的な細菌が認められた。

それは、香港に到着して2日という早さ。

500年以上にわたり、人類を苦しめてきたペストの正体を暴いた瞬間だった。

これを境に、ペストという見えざる脅威は、目に見える病原菌へと姿を変えた。

こうなれば、感染を防ぐには、その菌を徹底的に調べていけばよい。

そして、加熱や消毒液への耐性といった性質、推定される感染経路などを次々と明らかにしていった。

北里の尽力により家屋等の消毒、菌を運ぶネズミの駆除などの公衆衛生の対策がなされると、香港は落ち着きを取り戻していった。

香港でのペスト流行から約5年後…

ペストが日本にもやってきて、国内に不穏な空気が流れたが、この時すでに北里はペストの防御策を講じていた。

感染症予防の大切さを大臣や役人に説明して回り「伝染病予防法」を設立。
そこには彼の主張通り、患者の隔離、地域の消毒、船舶や列車の検疫など、必要な事項が盛り込まれた。

彼は、現場で病人の隔離治療や環境の消毒、ペスト感染に繋がるネズミの駆除を徹底させ、香港のような大流行を防いだ。

そして、1926年以降、日本国内で一度もペストの発生はない。

日本に多大な貢献をもたらした北里。
そんな彼は、ケンブリッジ大学やペンシルバニア大学など、名立たる名門大学から破格の待遇でオファーを受けていたのだが、これらをあっさり断っている。
それには北里の確固たる思いがあった。

「多くの感染症に苦しむ祖国の人たちのために働く。自分にはその使命があるんです。自分を育ててくれた大切な家族、友人、故郷。そんな日本に恩返ししなければなりませんから。」

彼は自分の名声よりも、
「祖国のために貢献する」
という強い志があった。

そして北里は、慶應義塾大学医学部の初代学長に就任するも、給与その他一切の報酬を受け取らず、日本のために働いた。

感染を防いだだけでなく、
黄熱病や梅毒の研究で功績を残した野口英世
赤痢菌、結核治療ワクチンを発見した志賀潔
など、優秀な細菌学者も育て、日本の医療発展に大きく貢献。

巷では、2024年からの新一万円札に選ばれた渋沢栄一ばかりがクローズアップされているが、同じく新千円札の顔になった彼にも、こういった素晴らしい功績がある。

もしかすると、令和を生きる日本人にも、彼の生き方には大切なメッセージが込められているかもしれない…。


「祖国の国民を感染症から守る」という強い志で、日本に貢献した北里柴三郎。
では、なぜ北里はこのような志を持てたのでしょうか?
たまたま、彼だけが特別だったのでしょうか?

そうではありません…。

それは、彼が10代の頃に通っていた私塾に秘密がありました。

江戸時代か明治維新にかけて教育の一翼を担った私塾。
そこでの教育には、ある特徴があったのです。

それは、歴史を学ぶ際、
神話の時代から続く皇室の足跡。
平安時代の貴族の暮らし。
戦国時代の武士の生き様。

これらの歴史が、逸話を通して教えられており、過去の先人が何を考え、どういう想いで歴史を紡いできたのか。

年号や名前を覚えるだけの無味乾燥な歴史ではなく、心で学ぶ歴史教育がされていました。

そのため、塾生たちはその歴史を単なる事実として受け取るのではなく、逸話を通して先人の想いを受け取ることで、祖国を愛し、社会のために貢献するといった「共同体の精神」を育んでいました。

北里だけでなく、伊藤博文、山縣有朋、福沢諭吉など、近代日本の発展に貢献した明治の偉人たちも同じ時代に、それぞれが通った私塾で逸話を通して歴史教育を受けていたのです。

しかし、現代の日本の歴史教育はどうでしょうか…

国のために尽くした先人たちの逸話は深く語られることはなく、単なる暗記科目として教えられている状況…。

教科書では「このような人物がいました」くらいなもので、数行でまとめられているのが現状です。

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日本は大東亜戦争で敗北した後、GHQの矢継ぎ早な教育改革で、戦前の歴史教育を否定されました。

占領軍は教科書を黒で塗りつぶし、教育基本法まで変更。

日教組を中心とした左翼に教育を牛耳らせ、戦前の価値観は“悪”と洗脳することで、日本の先人たちと繋がりを断ち切りました。

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一方、日本の歴史教育を否定したアメリカを見ると、彼らが学ぶ歴史教科書は1000ページを超える分厚く大きな書籍で、その中にはワシントンやリンカーンといった偉人の逸話が数多く語り継がれているにもかかわらず、現在の日本の歴史教科書は先人の逸話は省かれ、たったの300ページ前後…。

日本の歴史教育は、いまだにGHQの洗脳を引きずっている状況です…。

こういった歴史教育によって、これまで先人が大切にしてきた他人への思いやりや国家のために働くといった「共同体の精神」が薄くなり、海外から輸入された「個の自由」「人権」ばかりが尊重される世の中になってはいないでしょうか…。

これが加速すれば、社会のために貢献する国民は、だんだんと減って国は衰退…。

子どもや孫の世代に負の遺産を背負わせるようになる…、そんな未来が待っているかもしれません…。

日本人は、古来から社会のために貢献するといった「共同体の精神」を大切にしてきました。
この精神を持って生きる人は“公民”と呼ばれます。

『公』というのは『大きな家』のこと。
皆が大きな家で暮らし、その屋根の下、一人ひとりが頭で考える。
そして、個性や適性を最大限に発揮して、それぞれの持ち場で自分の所を得る。

そうやって助け合い、社会を支え、日本は世界最古の歴史を繋いできました。

日本人のリーダーシップを取る力は海外に劣るかもしれませんが、互いに助け合う才能が有ります。

そして、その生き方は先人が教えてくれます。

現在の歴史教育のように理屈で理解しても、それは一過性のものになっていしまいますが、公民として立派に生きた先人たちの逸話に継続的に触れれば、そこに共感が生まれ、共同体の精神が徐々に心に刻まれていきます。

日本という国は、有史以来2600年を超える歴史を持つ世界で最古の国。

それだけ先人たちが遺してくれた功績が、私たちの足元には埋まっています。

現在の歴史の教科書では一文でしか語られないかもしれませんが、実はそこには、日本という国を守るため、立派に戦ってきた先人たちの生き様や想いがたくさん詰まっています。

こういったご時世だからこそ、この国に眠る宝に気付くときではないでしょうか。

過去の先人たちが築いてきた叡智を学び、それをどう汲み上げ活かすことができるかを考えることで、自分自身の可能性にも気付き、誇りが生まれ使命感が湧いてくるようにもなります。

そして、国民一人ひとりが志を持って、活力ある毎日を過ごせるようになってほしいですし、子供や孫の世代に強い明るい未来を残していってほしいと思います。

最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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