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2019.10.22 葬られた皇室・婚約秘史~東大医学部が明かした血筋の秘密~

本日10月22日(火)13時より、「即位礼正殿の儀」が開始されます。

日本政府の発表によれば、世界174カ国と国連、EUなどから約400人が参列。

この規模からもわかるように、国内のみならず、世界中から注目を浴びる催しとなっています。

日本が一丸となり皇室を祝福するこの日にこそ、皇室の歴史や苦悩、本当の姿を知る機会でもあるかと思います。

そうすれば「即位礼正殿の儀」が違った味わいとなり、日本の歴史と伝統について改めて誇らしく感じることでしょう。


そしてタイトルにあるように、葬られた皇室の秘史ともいうべき史料が発見されたので、この儀に合わせてそれを記事にしました。

その史料とは、山縣有朋の命令により実施された婚約相手の色盲遺伝調査の報告書(原文)です。

中には「家系図」とともに生々しい遺伝の予測が丁寧に記されており、当時の皇室の婚約問題、継承問題に対して、いかに慎重に取り組んでいたのか、窺い知ることができます。

今も、眞子内親王と小室さんの一件で、皇室の婚約問題が取り上げられていますが、そんなセンシティブな問題に政府高官たちがどう取り組んでいるのか、この史料を読めば、それを知る手がかりにもなるでしょう。

では本題に。

これは‟ある事件”の秘密を暴いた文書。この資料には家系図のようなものが描かれ、その下には重大な意見が記さている。一体、この資料は何を意味するのか?

今回、新たに発見された、これらの極秘史料の解読によって、およそ1万ページにも及ぶ「昭和天皇実録」でわずか1ページしか書かれず、これまでひた隠しにされてきた皇室での「重大事件」の全貌が浮かび上がってきた。

1920年、夏。

‟元老”‟陸軍元帥”として絶大な権力を有していた山縣有朋の元に、ある重大な知らせが届いた。

それは「昭和天皇のご婚約相手である良子女王の家系に‟色盲”が見つかった」との知らせ。

「色盲」とは、特定の色を識別することができない一種の障害である。現代では「色盲」は差別用語であり、「色覚異常」と言われるが、この障害を持つ者は、危険を伴うような職業には就けないため、‟軍人”になることは禁じられている。

良子女王の家系に見つかった色覚の障害…。

この事実を知った山縣は戦慄した。

なぜなら、もし仮に良子女王にも同じく「色盲」の遺伝子があれば、これから産まれてくる将来の天皇も「色覚異常」となり、伝統ある皇室の血統には相応しくない遺伝子が入り込んでしまうのではないか…、そう考えたからだ。

「皇室は純血であるべき」と考える山縣はこの事実が不快で仕方なかった。

しかも、明治以来、天皇には軍を率いる「大元帥」としての重要な役割がある。もし、大元帥が色覚異常であれば、軍隊を統率することができない。そんな事態にでもなれば、将来の日本はどうなってしまうのか…。

国家を背負う山縣は不安になり、すぐさま専門医を呼びつけ遺伝調査を命令した。

将来、昭和天皇と良子女王との間に子供ができた場合、「色盲」が遺伝する可能性は一体どれくらいあるのか…?山縣は、学問的な裏付けを得るため、医者にあらゆる遺伝パターンを調べさせた。

その結果、結論付けられた「診断書」がこれである。

その診断書で導き出された結論は、

‟もしも良子女王に色盲の因子があれば、昭和天皇との間に生まれる男子は5割の確率で「色盲」になるだろう”という結論だった。しかも色盲の場合、数世代にわたり、その遺伝が続いていくだろうと予想された。

この診断書を読んだ山縣、他の元老たちは、畏れおののいた。皇室の血が汚れてしまう…。しかも、数世代にわたり色盲が遺伝する…。国家を背負う元老として、そのような事態だけは何とか避けたい。見過ごす訳にはいかない。断固として、婚約を阻止しなければならない…。ついに彼らは行動に出る。

その時すでに、お二人のご婚約の内定は済まされていた。

当時20歳にも満たない昭和天皇(裕仁親王)は、良子女王との婚礼の日を待ちわびていらっしゃる。

良子女王もやっとの思いで「お妃教育」を終えたばかり…。

そのタイミングで、日本の政治のトップである山縣含む元老3名と首相が‟婚約破棄”に動き出した…。

「婚約反対派 vs.婚約実現派」の熾烈な戦い。

ここから、皇室の「血統」「伝統」「権力」をめぐる壮絶な争いが始まる…。

婚約破棄の要請に怒り狂った良子女王の父・久邇宮邦彦王と山縣有朋の対立。

天皇としての「倫理」を守るため、命を懸けて権力者山縣に立ち向かう男の登場。

その後、皇室内で秘密裏に動いていた騒動は思わぬ方向へと展開…。

新聞記者へのリーク。

悪質な「怪文書」のばら撒き。

抗議デモと資金援助の影…。

嫉妬や憎悪が渦巻く皇室内部の人間ドラマと、婚約騒動を利用する人々の権力闘争…。

そして、最後はいかにして婚約騒動の終結を迎えたのか?

昭和天皇ご自身も「近視」という目の悪さをお持ちになりながら、良子女王ばかりが責め立てられる様子にやり切れない思いでいらっしゃった…。

ついには自分の母から突き付けられた「婚約反対」の意思。

皇室の「血」をめぐり、事態が収束しない中、昭和天皇はどのような決断を下されたのか?

最後まで大切にされた陛下としての「ご信念」とは何だったのか?

知られざるもう一つの「ご聖断」とは…。

その後、詳細が一切語られることなく、内部文書もほとんど残されていなかったため、「謎」のまま葬られてしまったこの一大事件。我々国民には知らされなかった「皇室」の内側では、一体何が起きていたのか?

改元を迎え、何かと「天皇」や「皇室」に注目が集まる今、ニュースやテレビ番組で取り上げられることも少なくありませんが、普段、私たちが見ることができる天皇陛下や皇室の方々は、海外に行って挨拶回りをしたり、国民に笑顔で手を振られたりと、穏やかで優雅なお姿。

私たち一人ひとりが持っている負の側面「裏の部分」を映したようなお姿を拝見することは絶対にありません。

しかし、これだけの長い伝統・歴史を持っていながら、何の問題もなく、しがらみもなく、毎日にこにこして円満な暮らしをされている…、なんてことがあるでしょうか?もちろん、そんなはずはありません。

むしろ、長い伝統があるが故に起きてしまう、ドロドロした血統問題や人間関係の争いに巻き込まれ、皇室を取り巻く政治的な思惑に日々晒されながら、生活しなければならない生き辛さがあるのではないでしょうか…。

そこには、私たちには知り得ない皇族であるが故の葛藤や苦悩、壮絶なドラマが詰まっていて、そして、その歴史の連続が現代まで脈々と続く皇室の伝統を絶やすことなくつなぎ、日本の精神的基盤となってきたのです。

それら一つ一つのことを知れば、今まで、どこか遠く離れた存在に見えていた天皇についても、私たちと同じように一人の人間として、親しみを持って感じられるようになり、本当の意味で、その存在の重要性や尊さ、歴史的意義を実感することができるでしょう。

そうすれば、私たちはもっと自分自身や「日本」という祖国に対して、誇りや愛情を持てます。

しかし、私たちはそのような実態を知ることができません。

戦前まで、皇室への批判は「不敬罪」として厳格に取り締まられていたため、その影響もあってか、戦後ずっとマスコミの間では、「皇室の尊厳に傷がつくような情報は公には出してはならない…」

そのような自主的に報道規制をかける菊タブーが存在してきました。そのため、皇室にまつわる不都合な真実や内部機密が表に出ることはなく、基本的に皇室に関する報道は新聞、テレビ、メディアも、できるだけ当たり障りのない美しい部分しか流せない状態です。

もちろん、研究の世界でも「菊タブー」は存在しているため、自身のキャリアに傷がつくことを恐れ、多くの研究者は、皇室の内部まで踏み込んだ内容を公に出すことは難しいのです。

また、この「宮中某重大事件」に関する文書は、皇室の尊厳に傷をつけてしまいかねない内容が多数残されていたため、関係者によって徹底して隠され、戦後は密かにアメリカによって持ち去られてしまったため、これまで誰一人として、その真相を知ることができませんでした。

しかし、このような皇室の真実を知らなければ、天皇の苦悩や真意を汲み取ることができず、皇位継承の問題や血統問題など、無知なことによって皇室の伝統を途切れさせてしまうような論調に加担してしまう、ということにもなりかねません。

ただ単に皇室を敬い、称賛すればよいという話ではなく、美しいことも醜いことも含めて、日本人には知らされなかった「皇室」の歴史を多くの人に知ってもらうことで、そこから世界最古の国家・日本の「本質」を学び、日本人としての「誇らしさ」を感じてもらいたい…。

皇室の正しい知識を身につけて、日本が誇る「伝統」を守っていってほしいと思います。

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