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2022.1.14 2022年初詣

2021年はコロナ禍ではありましたが、東京オリンピック開催や松山英樹選手のマスターズ優勝、大谷翔平選手のメジャーMVP獲得など楽しい話題もたくさんありました。

今年のお正月は、緊急事態宣言もなかったので、初詣や遠出をする方も多かったのではないでしょうか?

かくいう私は、年末に引越し行ない、年始もバタバタしながらの年越しでした。

暖かい部屋でみかんを食べながら、
「今年の抱負は何がいいかな~」
なんて、理想のお正月を考えていたのですが、さすがに今年は無理でした。

でも、東日本はほぼ先週、西日本も明日には松明けなので、今回は全国第2位の参拝者数を誇る『成田山新勝寺』の魅力をお伝えしようと思います。

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もう初詣を済ませた方も、まだの方も是非一緒に参拝している気分になってもらえたら嬉しいです。

①「初代團十郎」と「成田山」の絆
市川家の十八番と屋号『成田家』の由来

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成田山には、毎年節分がある2月に歌舞伎俳優の市川海老蔵さんをはじめとする、市川家の方々が訪れて豆まきをし、その他にも大河ドラマの出演者やお相撲さんも来られます。

今まで、
「何で?」
とずっと思っていたのですが、実はその歴史は初代市川團十郎の時代まで遡ります。

初代團十郎は14歳で初舞台を踏み、市川家のお家芸である荒事あらごとを創演し、大変な人気を得ました。

ただ、初代團十郎は子宝に恵まれなかったので、父祖が信仰していた成田山に祈願したところ見事、男子(二代目團十郎)を授かったのです。

團十郎はこれを大変喜び、1695(元禄8)年に成田山不動明王を初演し、その後もたびたび不動明王を演じました。

こうして不動の役は市川家の十八番となり、團十郎の屋号である『成田屋』もこの頃から始まったとされています。

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当時の人気歌舞伎俳優は、今で言えば人気YouTuberや芸能人のようなものですから、その團十郎が広めたとあって『成田山』の名は一気に江戸に広がったのです。

また、当事の日本人は、旅行好きで知られていて江戸から徒歩2〜3日の成田は丁度良い観光スポットだったのでしょう。

②築地と成田山の意外な関係
大提灯に秘められた歴史と伝統

地元の方もあまり気にされない方が増えたのですが…。

成田山には『魚がし』と書かれた巨大な提灯が掲げられています。

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重さは800kgもある大変立派な代物なのですが、実はこれ、築地の魚河岸うおがしから奉納されているもので、なぜこんな風習があるかと言うと、ここにも先程お伝えした市川家が関係しているのです。

市川家は十八番のひとつ『助六』を上演するとき、その都度、築地市場の魚河岸へ挨拶に出向いたそうです。
これは、助六が花道から登場するときの伴奏の創始者が、魚河岸出身の人だったことから始まったと言われています。

そこで、築地の旦那衆も、市川家が信仰している成田山にお参りに行くようになったとか。

今は、豊洲市場に移ってしまったため、その風習が残っているかは分かりませんが…。

最近まで、築地の人たちは、よく成田山にバスを仕立てて初詣に行ったそうです。

ちなみにこの大提灯の真下を見てみると、浅草の浅草寺と同じように龍の彫刻があります。

肉眼で見ると、その壮大さが分かりますので、お越しになった際には是非ご覧ください。

③成田名物「うなぎ」の歴史
江戸っ子を唸らせた『伝統の味』

こちらの画像をご覧下さい。

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かわいいのか、かわいくないのか。
絶妙な線をいくこの謎の生き物…。

成田市のご当地キャラクラター『うなりくん』です。

そう、『うなりくん』の名前が示している通り、成田は江戸時代から『うなぎ』が有名です。

というのも当時、江戸では平賀源内の
「土用の丑の日に鰻を」
というキャッチコピーが流行し、それに合わせて庶民の間でも『うなぎ』の人気が急速に高まっていきます。

また、成田はもともと利根川や印旛沼など水資源が豊富な土地で、川魚料理が大の得意。

現在では養殖や輸入が主流ですが、当時は天然うなぎが獲れる環境も整っていたので、自然と鰻屋さんが増えていきました。

先述した、人気歌舞伎俳優の市川團十郎のおかげで『成田山』の知名度も
一気に広まった頃ですので、成田に住む商人たちは地元の名産『うなぎ』に目をつけたというわけです。
現在でも、参道沿いの3分の1の店舗がうなぎ屋さんです。

ちなみに、100年続く老舗の『川豊本店』の前では、職人さん達がうなぎを捌く姿をガラス越しに見ることができます。

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とんでもないスピードで次々とうなぎが下ろされていく風景はまさに圧巻です。

成田山にお越しになった際には伝統の技を、是非生でご覧下さい。

今回は、成田山の魅力をお伝えしましたが、実を言うと私自身、調べてみるまで、『成田山』にこんな歴史や伝統があるとは全く知りませんでした。

例えば、成田山の正式名称は『成田山新勝寺』ですが、この“新勝寺”という言葉は平安時代、朱雀天皇に反旗を翻した『平将門』を打ち破った(新たな敵に勝利した)ことが由来です。

皆さんも、地元のお寺や神社にお参りする際には、その歴史を調べてみては如何でしょうか。

皆さんにとって、良い年でありますように。

最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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