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2023.7.27 “残虐なウクライナ軍”を作ったのはロシア

『反プーチン勢力』は、時代と共に変化しています。

2022年2月24日にウクライナ戦争が始まるまで、『反プーチン勢力』といえば、ナワリヌイを中心とする『リベラル派』でした。

ナワリヌイは、ロシア政府高官の汚職を次々と暴露することで、“プーチンは、国民に寄り添って質素に暮らしている”神話をぶち壊していきました。

彼は2021年1月に逮捕され、今も刑務所にいます。
ロシアの『リベラル反プーチン勢力』は壊滅状態にあります。

刑務所にいるか、外国にいるか。
この勢力のロシア国内における影響力は殆どなくなっています。

代わって台頭してきたのが、『極右反プーチン勢力』です。

彼らは、ウクライナ侵攻を大歓迎しました。
彼らは、
「ロシア軍は3日でキエフを占領し、戦争は終わる」
と思っていました。

ところが、半年経っても終わらず、1年経っても終わらない。
極右勢力の一部は考え始めました。
「これは、プーチンが無能だからだ!」
と。

どんな人物が、『極右反プーチン勢力』に含まれるのか?

例えば、『プーチンのメンター』と呼ばれた地政学者ドゥーギン。
この方は、娘のダリアが2022年8月、自動車で爆殺されたことで世界的に知られるようになりました。

次に、プリゴジン。
プリゴジンは最前線で戦い健闘していました。
そのようなこともあり、極右勢力の中で最も人気が高かったのです。

もう一人、今回の主人公イーゴリ・ストレルコフがいます。

イーゴリ・ストレルコフ

この方は、どちらかというとテレグラムやYouTubeの『ロシア極右系インフルエンサー』といえるでしょう。

プーチンのことを最も強く批判している極右です。
そんな彼が7月21日、治安当局に拘束されました。

7月21日付のテレ朝newsを抜粋してみますと、

ロシアでウクライナ侵攻の最も熱心な支持者が拘束されました。
ワグネルの創設者・プリゴジン氏の反乱以降、政権による弾圧は戦争推進派へも広がっています。
ウクライナ侵攻を強く支持する言動で知られるロシア軍の元大佐、イーゴリ・ストレルコフ氏が21日、治安当局に拘束されました。
ストレルコフ氏の妻がSNSに「夫が連行され、行方が分からない」と投稿しました。

テレ朝news

なぜ、拘束されたのか?

ストレルコフ氏は侵攻を支持しつつ、ロシア軍が前線で失敗を繰り返しているとして、軍や政権を批判していました。
18日には
「臆病で凡庸な政権のもとでは6年も持たない」
「唯一のできることは有能で責任ある人物への権力の移譲を確実にすることだ」
などとプーチン大統領の交代を要求する文書を投稿しました。

テレ朝news

プーチンの辞任を求めています。
ロシアを知る人から見ると、
「終わった」
ということです。

プリゴジンも、プーチンについて、
「クソ馬鹿野郎のおじいさん」
と呼んだ後、運命が暗転しました。

ここまで、
・反プーチン勢力には、ナワリヌイを中心とするリベラルと戦争推進派の『極右勢力』がいる。

・極右勢力はプーチンの弱さを非難している。

・そして、極右の反プーチン勢力内でも粛清が始まっている、

という話でした。

しかし、話はこれで終わりではありません。

ドンバスの悲劇はなぜ起きたのか?

『親プーチン派』の重要な論拠に、
「ウクライナ軍がドンバス地方(ルガンスク州、ドネツク州)で、ロシア系住民を虐殺した」
というのがあります。

私は、ウクライナ軍がルガンスクとドネツクで、“かなり酷いことをした”ことは否定しません。

というのも、ルガンスク出身の彼らは、プーチンがルガンスク州を併合したことを喜んでいました。
とはいえ、物事はきっちり時系列で見ていくことが大事です。

2014年3月17日、クリミア議会が独立を宣言。
2014年3月21日、ロシアがクリミアを併合。
2014年4月7日、ドネツク州の親ロシア派が『ドネツク人民共和国』の建国を宣言。
2014年4月27日、ルガンスク州の親ロシア派が『ルガンスク人民共和国』の建国を宣言。

ウクライナは、自国領内で二つの勢力が分離独立を宣言したことを容認できるでしょうか?

普通に考えたらできません。

当然、ウクライナ政府は独立を阻止するための戦いを開始するでしょう。

親プーチン派の人はよく考えて欲しいと思います。

チェチェン共和国が独立を宣言した時、エリツィンとプーチンは、
「どうぞ独立してください」
と容認したでしょうか?

そうはしませんでした。

実際は、第1次チェチェン紛争(1994~1996年)、第2次チェチェン戦争(1999~2009年)によって独立を阻止したのです。

ウクライナ政府が“プーチンと同じこと”をするのは、当然ではないでしょうか?

いえ、他のどんな国でも、自国内で誰かが突然独立を宣言すれば、それを阻止するための内戦が起こるでしょう。

だから、ロシア側が主張する、『ドンバスの悲劇』は、ルガンスクとドネツクの親ロシア派が、“独立を宣言したことで内戦が勃発した”ことが原因で起こったのです。

もし、彼らが独立を宣言しなければ、『ドンバスの悲劇』は起こらなかったでしょう。

私は、ウクライナ軍がとった行動を肯定はしていません。
ただ、因果関係を明らかにしているだけです。

そしてもう一つ。

「親ロシア派が独立宣言した」。

これは、”ウクライナ領に住んでいたロシア系ウクライナ人が、自発的に独立宣言したのか?”
それとも、“ロシアが積極的に関与して独立宣言させたのか?”
で、かなり話が変わってきます。

“ロシアが独立宣言させた”のであれば、内戦勃発の責任はロシアにあります。

って“ドンバスの悲劇の責任も主にロシアにある”ことになります。

ここで登場するのが、今回拘束されたストレルコフです。

彼は2014年4月~7月に起こったドネツク州『スラヴャンスクの戦い』で、親ロシア派勢力を率いていました。

これは、ウクライナ軍と独立を目指す親ロシア派勢力の戦闘でした。

FSBの大佐だったストレルコフは、
「俺が戦争を始めた」
と告白しています。

曰く、

 私は戦争開始のトリガーを引きました。
もし我々の分隊が国境を越えなければ、ハリコフ人民共和国またはオデッサのように最後は失敗していたでしょう。
実際、現在まで続くこの戦争のはずみ車は私たちの部隊によって回されたのです。
そして、私はそこで起こっていることに個人的な責任を負っているのです。

「ノーヴァヤ・ガゼータ」2014年11月20日

この“国境を越えなければ”という部分が重要です。

つまり、FSB大佐のストレルコフは、ロシアからウクライナ側に侵入し、スラヴャンスクの戦いを始めたのです。

彼が、“独断”でこれを開始したとは考えられません。
当然、クレムリンからの指示があったのでしょう。

というわけで、ここまでをまとめると、

・クレムリンの指示により、FSBの大佐ストレルコフなどが、ドネツク、ドネツクの親ロシア派を指揮して独立させた。
・ウクライナ政府は当然これに反対で内戦が勃発。
・結果、ウクライナ軍がルガンスク、ドネツクで残虐行為をした。

こういう流れになっています。

繰り返しますが、私はウクライナ軍がルガンスクとドネツクでしたことを容認しません。

しかし、因果関係を追っていくと、

“ロシアがルガンスク、ドネツクの親ロシア派に独立宣言させたこと”が悲劇の主な原因なのです。

ウクライナが、あっさりルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国の独立を認めるはずはありません。

それは、ロシアがチェチェン共和国の独立を認めなかったのと同じです。

というわけで、『親プーチン派』の主なロジックである“残虐なウクライナ軍”。

こういう主張をする人には、
「抑も、その悲劇はロシアがルガンスクとドネツクに独立宣言をさせたから起こったんじゃないの?」
と質問してみると良いでしょう。

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