カンヴァスの向こう側-空間概念

3年ほど前のこと。美術の勉強を始め、美術の魅力に気づき始めた私には、しかしそれでも理解することの出来ない美術のジャンルがあった。抽象画だ。

その頃の私には、抽象画の魅力など、少しもわからない。しかし、理由は不明瞭だが、「抽象画が好きな人はかっこいい!」というイメージを持っていた。そんなかっこいい人間になれないことが悔しくて、いつか抽象画を好きになってやるんだ…!と、訳の分からない意気込みだけは充分にあった。

大学の図書館に通い詰め、抽象画の代表的な作品や、鑑賞のポイントが書かれた本を眺める日々。
書かれた鑑賞のポイントも、わかるような、わからないような。
やっぱり難しいや、なんて、諦めを覚えながら捲ったページには、
なぜだかわからない。今まで見てきた抽象画と何が違うかもよくわからない。しかし確かに、あ、好きだ。と思うような作品が載っていたのだ。
その作品は、ルーチョ・フォンタナの、《空間概念》。

それから2年。フォンタナのことなど頭からすっぽり抜けていた。あの時に比べれば、抽象画もそれなりに好きになっていたが、それなりに、だ。
旅行先で訪ねた金沢の21世紀美術館。
展覧会の内容に興味があった、などというわけではなく、単に有名な美術館であるから、一度は訪れてみたかったのだ。
その時は、イヴ・クラインという美術家の企画展が開催されていた。

なかなか大ボリュームの企画展。たくさんの作品に圧倒されて、流石になかなか疲れてきたな、という頃。順路を進むと、「色と空間」に焦点が当てられた、なにやら可愛らしい展示室が現れた。
その一角には、見知った作品。この作品をつくった人物は誰であるか。そんなこと、キャプションを見ずとも、

「フォンタナ。」
音にこそならなかったものの、私の唇は、無意識のうちに、そう紡いだ。

それは、私が2年前に本で見て、あ、いいな。と思った抽象画だった。好きだったあの人に再会できたかのように、私のこころはいっぱいになった。

実際に《空間概念》を目にして、なぜこの作品が好きだと思ったのか、私なりに答えが出た、気がする。

ナイフで切り裂かれたカンヴァスの先には、細い切れ込みの先に暗闇が広がっている。
なぜ、絵画は平面上のフィクションだと思い込んでいたのだろう。

《空間概念》のカンヴァスの中の細い暗がりの先には、宇宙のような果てしない空間が広がっているのかもしれない。その中には、私たちが知り得ない夢や希望に、あるいは絶望に満ち溢れているかもしれない。私は、絵画のその先にあるかもしれない「世界」に、魅力を見出していたのだ。

フォンタナの《空間概念》を実際に目にした私は、胸を張って「抽象画が好きだ」と言えるようになっていた。
2次元の上に広がる「よくわからないなにか」は、不思議な世界への入り口だ。
それは、画家本人の精神世界に繋がっているかもしれないし、鑑賞者の精神世界に繋がっているかもしれない。あるいは、現世とは異なる、どこかの世界と繋がっているのかも。

抽象画を目の前にしながら、あるかもしれないどこかの世界に想いを馳せる時間が、私は大好きだ。

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