チョウミス

東京生まれ東京育ち。現在、韓国・京義道の小都市で伴侶と猫との三人(二人+一匹)暮らし。…

チョウミス

東京生まれ東京育ち。現在、韓国・京義道の小都市で伴侶と猫との三人(二人+一匹)暮らし。新聞翻訳と、日本語放送ラジオパーソナリティのしごとをしています。しごとの原稿と日々感じたことを雑多に書いています。

マガジン

  • 詩/She/시

    なぐり書きの詩。

  • 韓留日記。

    かんりゅうにっき。留学を経て韓国に留まることになった暮らしのなかで、日々思ったり感じたりすることを書き留めておく雑記帖。

  • [IRO|異路]アジア・ソーシャルインパクト・トリップ韓国編

    国境と言葉を越え、人と人をつなぐ<IRO|異路>の公式noteに掲載した記事。 韓国の暮らしの中の「ソーシャルグッド」なアイデアや事例、社会課題解決に取り組む人々の声や生き方をお届けします。 IRO website: https://bit.ly/3yxg1SW

  • [土曜ステーション]ソウル暮らしのおと

    KBS ワールドラジオ(KBS World Radio) 日本語放送・毎週土曜日オンエアの「土曜ステーション」で紹介するコーナー『ソウル暮らしのおと』。2020年8月22日より。

  • うち猫ホプの話

    野良猫→保護猫を経て2020年3月にうち猫になったホプとわたしとおじさんの話。

最近の記事

離した手で

離した手がさみしくて 何度も感触を思い出している 時がたつほどにぬくみが鮮明になる 痺れた手のひらを見つめる 離した手でパソコンを打ち 離した手で料理をする 自分のための料理 手ぶらのまま立ち止まり 気ままにバスに乗って墓地へゆく 梅の香りとしゃぼんだま 離した手でケイタイを繰り 遠き島国にいる友人たちに 再来月のアポイントを取る 誰と会うことも何をすることも 制限なくゆるされている 空っぽの手がなにかをつかもうとしている さみしいけれど わたしはもう戻らない

    • おせっかい。

      持って生まれたこの性分を、ひとことで「おせっかい」と片づけていいものやらどうなのやら。しごと過多でキャパオーバーになりそうな人、既にキャパを超えている人がそばにいたら、黙ってみていられない。 なぜなら自分がキャパオーバーになった当時、どれほど辛かったか、その感覚がいまも火傷の跡のように残っているから。 キャパオーバー、とカタカナ語で書くと何だか軽く使えるが、過重負担になって出口が見えなくなった時期に経た経験は、ひとことで言って地獄の苦しみだった。そしてその頃にちょっとでも

      • カトノタタカイ。

        蚊って本当にすさまじい生き物だ。いつからそういう生き方(他者の生き血を吸って生命を維持する)をしてきたのか知らないが、相当長いこと生き永らえながら、子々孫々「迷惑なやつ」と他の生物に忌み嫌われ続けてきたのだろう。 死に至らしめる伝染病を運んでくることもあるのに、「恐ろしい存在」というよりも「うっとおしい存在」と思われがちなのは、タイミングさえ合えば一発の平手打ちで死なせることができる弱弱しい体躯を持っているからだ。だけど彼らは単体の命で生きているのではない。一匹や二匹を殺し

        • 雲の切れ間から

          雲の切れ間から、希望よりも淡いみずいろの空が見え。 薄墨の雨雲はところどころ重たくまたは掠れて、 見えない雨が、半袖の下の肌をかすめて落ち アスファルトにいくつかのコンマを打つ。 アスファルトにいくつものコンマを打つ。 ふいに古い日本のポップスを聴きたくなった。 向こう岸に渡る橋が、まだ見えない。 たしかこのあたりにあったはずなのだが。 わたしの奥底からあふれて、 こぼれてしまわないように、慎重に一歩一歩、 重めに足を運ぶ。 (比喩ではなく実際に透明なプラスチック

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        • 詩/She/시
          16本
        • 韓留日記。
          31本
        • [IRO|異路]アジア・ソーシャルインパクト・トリップ韓国編
          7本
        • [土曜ステーション]ソウル暮らしのおと
          15本
        • うち猫ホプの話
          3本

        記事

          入り口のおばあちゃん。

          マンションの入り口のポーチに座っているおばあちゃんがいる。 私はこのマンション団地に住んでもう8年目になるが、自分の階の住民ですら、すぐ隣りの「赤い髪のおばさん」以外はまったく面識ない。 ちなみに、韓国のマンション(通常、高層の住宅建物は「アパート」と呼ぶ。日本でいうアパート的な建物はヴィラとか連立住宅と呼ぶ。ここではややこしいから「マンション」としておく)は大体「廊下式」と「階段式」があって、廊下式は一つの階に廊下に沿って複数の世帯が並んでいる形式、階段式は一つの階に玄

          入り口のおばあちゃん。

          「疲れてる」以外の表現はないものか。

          口の左端にヘルペスができた。 週末明けの朝、くちびるの端っこがむずむずした。と思ったら、あっという間に水泡ができて醜く膨らんでしまった。よくあることで、必ず左の下唇にできるので、ああこの場所に私のヘルペスウイルスが棲みついているんだなあ、と思う。 不思議なもので、くちびるの水泡を見た人は十中八九「疲れてるんですね」と言う。ヘルペスという単語は知らなくても、疲れるとこの症状が出るということは何となく多くの人が知っているというのが不思議だ。 疲れているのだろう、というのを見

          「疲れてる」以外の表現はないものか。

          紅白まんじゅうと蛇と父の話。

          東京の実家から韓国の家に戻ってくると、ほんの少しセンチメンタルな気分になる。 今回は、指を折って数えればさほど少ない日数でもなかったのに、ものすごくちょっぴりの滞在だったような気がした。 年末にコロナに罹ってキャンセルした帰省のリベンジだったから、前々から日程をとっていたにもかかわらず、出発前までなぜか気持ちがとても慌ただしかった。会いたい人も、食べたいものや買いたいものも、やりたいこともたくさんあったけれど、その予定組みもちゃんとできなかった。まあ、同居人つきの渡航だから

          紅白まんじゅうと蛇と父の話。

          いわゆる「自分へのご褒美」と心咎め。

          365日のうちの一日にすぎないけれど、その日はやっぱり「特別な日」にしたくなる。いい年して恥ずかしいけれど。誕生日は、自分を甘やかすのを許す日としている。私が私になにをしてあげようか、じっくり考えるのがささやかな楽しみだ。 最近、外でふと鏡に映った自分を見て、老け込んだ顔にぎょっとしたことがある。家ではきちんと化粧をしたつもりだったのに、くすみきった顔色を目にしてガーンとなった。急にメイクが気になり、思わずその場で検索した。 ところが、「ファンデーション、くすみ」なんて検索

          いわゆる「自分へのご褒美」と心咎め。

          夢見る引っ越し。

          周期的に引っ越しがしたいという気持ちが湧きおこる。 現在のわが家は、リビングのほか一部屋と、キッチン、シャワー付きトイレ、ベランダ、とかなりコンパクトな方だ。正直、二人と一匹で暮らすぶんにはさほど不都合はないのだけれど、人というものは「あとほんのちょっと+α」を求めてしまうらしい。 (ちなみに、周りの所帯持ちの友人たちの家を訪問した限りでは、うちより狭い家はまだみたことがない) まず、キッチン。ガス台と小さいシンクと、その間のまな板がやっと一枚置けるスペースですべての料理

          夢見る引っ越し。

          良い歌というのは

          良い歌というのは、 耳に流れ込んできた瞬間、 振った直後に誤って栓をあけてしまったサイダーのように、 思い出があわわわわわと溢れ出てしまうような そういう歌。

          良い歌というのは

          韓国にきて、十年たった。

          2013年2月18日午後2時50分、仁川空港に着いた。 当時の手帳を開いてみたら、その日の日記が書かれていた。 出発の日、東京は降り出しそうな曇り空だったらしい。成田空港に向かう電車のなかで「何もかも夢だったらという気分になり不安」になった、と書いてある。 たった1年半の韓国の大学院生活のはじまりの日だった。この日から10か月余りの寮生活の後、いったん日本に戻った。そして改めて翌年に韓国に渡って一人暮らしをはじめたから、じっさいには私の韓国暮らしは2014年からだと思って

          韓国にきて、十年たった。

          確信は危うい。

          自分のことや何かについて話すとき、「わたしはAだと思うけれど、Bだという人もいるだろう」というような言い方をよくしているようだ。意識的になのか、無意識的になのかわからないが。 答えを開いておく、といえばそれなりの意味付けにもなるが、自分の考えに自信がないともいえる。 または、バランスを取ろうとしているのかもしれない。一方に注目が集中して重心が傾くとき、空きがちになるもう一方がいつも気になる。ただ、それは「バランス感覚がある」というのとはちょっと違う。いや、むしろかけ離れて

          確信は危うい。

          捨てない日々。

          普通、ゴミ出しってどれくらいの頻度で行うものだろうか。 もちろん家族構成員の数とか住居の周りのゴミ出しルールによってだいぶ違うだろうけど。 うちは、10リットルの一般ゴミ(可燃ゴミ)袋をマンションの収拾場に出すまで、大体ひと月弱くらいかかる。なかなかいっぱいにならない。それが普通の二人暮らしの家庭と比べてどうなのかよくわからない。まあ比べる必要もないけど。 紙類、ペットボトル、ビニール類などはそれぞれ分別して出す。韓国で分別ゴミの出し方は、複数棟で構成されたマンション団

          捨てない日々。

          よくある日曜日の過ごしかた。

          朝のしごとのない日曜日はかなり遅く起きる。 稀に8時台に目が覚めると、今日はなんでもできそうな、充実した一日になりそうな、そんな錯覚にとらわれるのが罠だ。 今日の記録。 ベッドでぐだぐだした後、9時半ごろ起き上がって朝食の用意をする。一人は玄米がゆ、一人はおこげスープ。 食べ終わってから、今日は午前中に書きもの系のしごとを1本終わらせるぞ、そして本を読んで、観たかった動画を観るぞ!と計画する。 しかし、シンクに置かれたままの食器が気になる。洗い物くらいはやってほしいと思っ

          よくある日曜日の過ごしかた。

          お義母さんの畑。

          旧正月つながりで、田舎のことを少し書いておこう。 夫の実家の周りは、見渡す限り畑と山以外はなにもない。 いや、なにもないわけではない。隣りには家があり、その隣にかなり大きな牛舎がある。家の裏の道を挟んで向こう側に家が二軒。その隣の小高い丘には、以前は畑だった土地があり、その隅っこに義父のお墓がある。こんもり土を盛り上げただけで何の墓石もないお墓。畑は、以前はそのときどき作物が変わっていたが、今回行ってみたら人の背丈くらいの草がぼうぼうに茂って枯れていた。 風景を描写すれ

          お義母さんの畑。

          話したいことはたくさんある。

          散らばっていく。考えが、ことばが、行動が。 散漫。バラバラになって散っていくというよりは、あちこちに置かれている感じ。一つ拾ってはまた目について一つ拾う。片づけたくて、整理したくてそうしているのに、いつの間にか自分の引き出しがまた一杯になってしまっている。 心新たに立てた目標は、手にするものはなるべく少なく、そしてなるべく小さくて素朴なものから、だった。心の赴くままに一番近くにあるものから手をつけること。一つずつ。……だったのに。 限りなくシンプルにする目標なのに、それが

          話したいことはたくさんある。